同時代ゲーム
以下はWikipediaより引用
要約
『同時代ゲーム』(どうじだいゲーム)は、1979年(昭和54年)に出版された大江健三郎の長編小説。書簡体形式で進行する小説であり、原稿用紙1,000枚を超える大作である。
概要
新潮社より「純文学書下ろし特別作品」シリーズの一冊として出版され、函には以下のような著者のメッセージが記された。
「古代から現代にいたる神話と歴史を、ひとつの夢の環にとじこめるように描く。場所は大きい森のなかの村だが、そこは国家でもあり、それを超えて小宇宙でもある。創造者であり破壊者である巨人が、あらゆる局面に立ちあっている。語り手がそれを妹に書く手紙の、語りの情熱のみをリアリティーの保証とする。僕はそうした方法的な意図からはじめたが、しかしもっとも懐かしい小説となったと思う。 著者」
文化人類学者の山口昌男の著作、特に『文化と両義性』、そして当時、山口らが日本に新しく紹介していたミハイル・バフチンなどの文化理論の影響を受けている。大江はこのことについて、必ずしも肯定的にのみ捉えておらず、後年のインタビューで「新しい文学理論や文化理論に夢中になっていて、自分が本を読んで面白いと思ったことを自分の本に書くという、閉じた回路に入っていた」「自分と海外のある作家たち、理論家たちとの間に、思い込みじみた通路を開いて、誰より書いている自分が愉しんでいる小説」であると述べている。
大江は、新潮社の「純文学書下ろし特別作品」シリーズで『個人的な体験』『洪水はわが魂に及び』と本作『同時代ゲーム』を発表して、いずれの作品もハードカヴァーで10万部を超えるベストセラーとなっている。しかし講演会などの機会に読者と直に会って話すと、本作は「どうも読者にうまく通じていない、理解されていない」という感触を受けたという。『同時代ゲーム」の世界をどう読者に届けるかということがテーマとなり、短編集『いかに木を殺すか』。『M/Tと森のフシギの物語』などの創作の試行錯誤が始まる。本作について「もっと(わかりやすく)別のかたちに書けば、私の読者との関係の、ありえたかもしれない回復のチャンスだったと思う」と考えると同時に、「しかし、あのかたちでの『同時代ゲーム』があって、それ以後の私の文学があった。読者は失ったが、私は狭い場所の作家としては生き延び(た)」とも考えているという。また、「しかし私の好きな作家たちは皆、グラスにしろリョサにしろ、ああした大盤振る舞いのような大作の仕事に入っていたんですよ。私も落着いてはいられませんでした。血気にはやるというか(笑)」とも述べている。
表題
『同時代ゲーム』という表題について、単行本に封入された加賀乙彦との対談「現代文明を諷刺する」において大江本人は以下の様に述べている。
「誤解をおそれずに言えば、共同の無意識の中の原点にあって、外側からみると歪んでいるけれども、中にいる者にとってみれば、過去も未来も含めて、全体が一挙に見渡し得るような、時間×空間のユニットを組み立てたかったわけです。僕は、小説を書くことは、同時代についてのそのようなゲームを組み立てることじゃないかと思う。そのようにして全世界の自分のモデルを作ること。そこで『同時代ゲーム』というタイトルは、僕には「小説」というタイトルにひとしいわけですね。」
あらすじ
語り手である主人公はメキシコの大学に在籍する講師である。メキシコ滞在中に、神主だった父親の仕事「村=国家=小宇宙」の神話や歴史を書くことを受け継ぐ決意をする。
主人公の故郷である「村=国家=小宇宙」は徳川期に権力から逃れた脱藩者により四国の山奥に創建された。明治維新以後「村=国家=小宇宙」は大日本帝国の版図に組み込まれるが、租税や徴兵に抵抗するため「二重戸籍」の仕組みを持っていた。しかしこの仕組みが露見する。大日本帝国は軍隊を派遣し「五十日戦争」の火蓋が切られた……。創建以来「村=国家=小宇宙」はどう発展したのか? 藩権力にどう対峙したのか? 大日本帝国を相手にどうやって戦ったのか? そして主人公の一族の歴史はどうだったのか?
語り手から双子の妹に対する手紙という形式で奇想に満ちた神話や歴史が綴られる。
主要登場人物
僕(露己)
妹(露巳)
壊す人
亀井銘助
原重治
露一兵隊(露一)
露・女形(露二郎)
ツユトメサン(露留)
関連作品
『いかに木を殺すか』
『M/Tと森のフシギの物語』
逸話
晦渋なことで知られる本作品について、評論家の小林秀雄は軽口で、大江に対し「おれは二頁でやめたよ!」と言ったという。大江自身はこの作品を気に入っており、平易に書き直した『M/Tと森のフシギの物語』から「『同時代ゲーム』にたちかえってくれる批評家、読者が現れてくれればどんなに倖せだろう」と書いている。なおよく知られたこの小林の軽口については、大江自身が別の場所で「あれはニ十ページで閉口したよ」と言われたと記しており、最序盤で投げ出した事は恐らく事実だとしても、ページ数については小林または大江による韜晦が込められている。
一方で筒井康隆は本書の愛読者である。刊行時に上記の小林に象徴される酷評を受けたこの作品を評価すべく筒井が奔走し、1980年に設立されたのが日本SF大賞である。ただし審査において「第1回はSF作家の作品を」という声が優勢となり、実際に第1回の受賞作となったのは堀晃の『太陽風交点』であった。ここでは筒井の意志は果たせなかったが、第2回の同賞において大江、筒井と親交の深い井上ひさしの『吉里吉里人』が受賞に至ったことを意趣返しとしている。また1984年に本作と同じ新潮社「純文学書下ろし特別作品」として刊行した『虚航船団』は本作品のオマージュであり、同様に強い批判にさらされることとなった(筒井はそれらの批判に対し『虚航船団の逆襲』として再反論を果たしている)。
時評
作品発表時の時評として主なものに以下のものがある。
- 加賀乙彦「根源の遡行ー大江健三郎『同時代ゲーム』を読む」『新潮』1980年1月号
- 菅野昭正「ゲームの始め、ゲームの終わりー大江健三郎『同時代ゲーム』」『群像』1980年2月号
- 高野斗志美「自由をめぐる死と再生の物語ー大江健三郎著『同時代ゲーム』」『潮』1980年2月号
- 川西政明「『同時代ゲーム』論」『すばる』1980年3月号
- 菅野昭正・後藤明生・三田誠広「読書鼎談 大江健三郎(同時代ゲーム)」『文藝』1980年3月号
- 高橋康也「道化としての語り手の肖像ー『同時代ゲーム』を読むゲーム」『世界』1980年6月号
- 松本健一「<伝奇>に試みの破綻ー大江健三郎『同時代ゲーム』をめぐって」『文藝』1981年6月号
刊行
- 『同時代ゲーム』〈純文学書下ろし特別作品〉(1979年、新潮社)
- 『同時代ゲーム』〈新潮文庫〉(1984年、新潮社)
- 『大江健三郎小説5』(1996年、新潮社)
- 『大江健三郎全小説8』(2019年、講談社)