「うま味」を発見した男
以下はWikipediaより引用
要約
『「うま味」を発見した男』(うまみをはっけんしたおとこ)は、第五の味覚「うま味」(うまみ)を世界で初めて発見した、日本の化学者・池田菊苗の生涯を記した評伝小説である。
概要
東京帝国大学理科大学化学科助教授だった池田菊苗は1899年、独逸ライプチヒ大学に留学し、ヴィルヘルム・オストヴァルト教授のもとで物理化学の研究に従事。1年半後、英国ロンドンの王立研究所で研究を続けるため、夏目金之助(漱石)の隣の部屋に下宿する。53日間に及ぶ同宿生活で菊苗と漱石は親交を深めた。この間に菊苗は、ある日は文学論について、ある日は恩師オストヴァルトから直伝の感覚一元論について、またある日は、互いの理想の美人論について、漱石と自由闊達に論じ合った。
ロンドンから帰国後、菊苗は、のちに味の素の共同特許人になる鈴木三郎助との出会いを契機に、うま味成分であるグルタミン酸ソーダの製品化に成功。特許成立後間もない明治41年夏、その試食会が、上野・静養軒と並び称せられた西洋料理の名店、銀座・風月堂の2階で開かれる。昆布の下地とばかり思って高級フランス料理を楽しんだ評論家・天皇料理人といった達人たちの舌が、菊苗が取り出したうま味成分のグルタミン酸ソーダ「味の素」の振りかけにだまされたことに気づくのだった。
本書は、限られた資料に小説的想像力を働かせ、虚と実を綯い合わせ、菊苗の生の全容に科学的精確さを保ちながら精巧に描きあげた、「うま味」を発見した男・池田菊苗の評伝小説である。
主な登場人物
池田菊苗(いけだきくなえ,1864-1936)
元治元年、薩摩藩士池田春苗の次男として京都で生まれる。明治14年、家出して上京。明治22年、帝国大学理科大学化学科を卒業し、大学院へ進学。明治29年、帝国大学理科大学化学科の助教授に就任。明治32年独逸ライプツィヒ大学に留学し、ヴィルヘルム・オストヴァルト教授の研究室で物理化学の研究に取り組む。明治34年に英国王立研究所に留学。ロンドン郊外ステラロード5番地の夏目金之助と同じ下宿に住み、親交を深める。帰国後、東京帝国大学教授に就任。そして、甘・辛・酸・苦とは別の第5の味覚を「うま味」と名づけ、研究に着手。「うま味」の正体が、グルタミン酸塩であることを突きとめ、明治41年に「グルタミン酸塩を主成分とせる調味料製造法」と題する特許申請し、同年取得。翌42年、うまみ調味料「味の素」が鈴木製薬所(現在のAJINOMOTO)から発売される。
夏目金之助(なつめきんのすけ,1867-1916)
ヴィルヘルム・オストヴァルト(Wilhelm Ostwald,1853-1932)
エルンスト・マッハ(Ernst Mach,1838-1916)
櫻井錠二(さくらいじょうじ,1858-1939)
三宅秀(みやけひいず,1848-1938)
村井弦斎(むらいげんさい,1864-1927)
鈴木三郎助(すずきさぶろうすけ,1868-1931)
宮武外骨(みやたけ がいこつ,1867-1955)
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ,1892-1927)
目次
御一新の風
黄葉の菩提樹
ロンドンの漱石
第五の味覚
食道楽の晩餐
うまい話
昆布とヘビ
あとがき
主な参考文献
あとがき
主な参考文献
書誌事項
書名
副題
著者
装幀
判型
製本
頁数
発行所
発行日
参考文献
- 書籍紹介『「うま味」を発見した男』北里大学獣医学部動物資源科学科食品機能安全学研究室 2011年8月12日
- 新聞書評「漱石文学誕生の触媒にも」 評者=末延芳晴(評論家)『北國新聞』2011年6月26日
- 新聞書評「料理の達人もだまされた〝味の素〟発明者の人生劇」 評者=金子務(科学史家/大阪府立大学名誉教授)『公明新聞』2011年8月29日
- 雑誌書評「近代日本文学の行く末を決定づけた二つの智の邂逅、池田菊苗と夏目漱石の会話が圧巻!」 評者=島地勝彦(エッセイスト/『月刊プレイボーイ』元編集長)『MEN'S Preclous』小学館,2011年冬号
- 著者インタビュー『「うま味」を発見した男─小説・池田菊苗』『PRESIDENT』プレジデント社,2011年8月29日号