小説

ときめきに死す


舞台:長野県,北海道,

主人公の属性:暗殺者,



以下はWikipediaより引用

要約

『ときめきに死す』(ときめきにしす)は、1982年に発表された丸山健二の小説、およびそれを原作とした1984年制作の日本映画である。

盛りを過ぎた信州の避暑地の様子、世話を依頼された「彼」との生活、そして政治家の暗殺に成功すると思われていた彼が謎の死を遂げるまでを「私」の視点から緻密に描く。

あらすじ

職を辞し、妻とも別れ、自暴自棄な生活を送っていた「私」はある日、何らかの組織に属している昔の知人から、ある若者の身の回りの世話と別荘の管理を依頼される。そして毎日必要最小限の会話だけを交わし、酒も煙草もやらず黙々とトレーニングに励む「彼」との生活が始まった。全てが謎に包まれた彼に対し、たまには釣りや売春宿に連れて行き、リラックスさせて探りを入れ、その目的に想像を巡らせる私。やがて少しずつ彼の大それた目的が明らかになるにつれ、荒んでいた私の心は密かにときめき始める。そして私の飼っていた犬が姿を消し、大雨の降る日、歓迎セレモニーに盛り上がる駅で、ついにその瞬間がやってきた。

映画

森田芳光監督。沢田研二演じる孤高のテロリストが宗教家暗殺に失敗するまでの過程を、男二人、女一人という奇妙な共同生活を軸に描かれている。原作には出てこないコンピューターや同居の女、舞台が信州ではなく北海道、暗殺対象が政治家でなく宗教家であるなど、原作とはかなりの差異がある。当時、歌謡界のスーパースターであった沢田研二の壮絶なラストシーンが話題となった。

共演の杉浦直樹は、本作で1984年度アジア太平洋映画祭助演男優賞を受賞している。

映画あらすじ

謎の組織から莫大な報酬で、ある男の身の回りの世話と別荘の管理を依頼された歌舞伎町の医者を自称する大倉洋介は、北海道の山間部にある田舎町の駅で工藤直也という若い男を出迎える。

大倉は、組織から受けた綿密な指示に基づき、別荘で工藤の世話をする。酒も煙草もやらず、会話さえも拒否し、黙々とトレーニングに励む偏屈な若者との生活に神経をとがらせる大倉。しかも、工藤の正体も目的も知らされず、また質問することも禁じられている。

こうして男二人での共同生活がはじまる。組織からの一方的な指示に基づいて工藤の世話をする大倉だったが、ひたすらに日課をこなす工藤のストイックなまでの姿勢に次第に惹かれていく。

そんなある日、組織から一人の女が派遣されてくる。組織は工藤と大倉の体格や性格に応じて梢ひろみという女性を選んだのだ。しかし、工藤は梢に関心を示さず、自分の生活パターンをくずさない。手持ちぶさたに悄然としていた梢も、やがて工藤に興味を抱きだす。男二人、女一人の奇妙な共同生活がはじまった。

コンピューターが指名した組織から排除すべき人間は、何とトップである谷川会長だった。

キャスト
  • 沢田研二:工藤直也
  • 杉浦直樹:大倉洋介
  • 樋口可南子:梢ひろみ
  • 岡本真:谷川
  • 日下武史:中山
  • 矢崎滋:新城
  • 加藤治子:おたえさん
  • 吉川游土:売春屋の女
  • 宮本信子:旅館の女将
  • 干場てる美(響野夏子):バニーガール
  • 岸部一徳:泳ぐ男
  • 林亜里沙:黄の女
  • KIM(キム):赤の女
  • 加藤善博:車の男
  • 中村亜湖:車の女
  • 上田耕一:新宗教の男
  • 綾田俊樹:理髪店主
  • 會澤雅人:少年A
  • 佐竹一男:警官A
  • 佐藤恒治:警官B
スタッフ
  • 製作:増山茂
  • プロデューサー:岡田裕、細越省吾、大森慎
  • プロデューサー補:笹岡幸三郎
  • 監督・脚本:森田芳光
  • 原作:丸山健二
  • 音楽:塩村修
  • 撮影:前田米造
  • 助監督:水谷俊之
  • 現像:東洋現像所
  • ロケ協力:七飯町、大野町、松前町ほか
  • 協力:日産自動車、明星食品、アシックス
こぼれ話

『映画秘宝』誌の内田裕也へのインタビューによると、当初この作品の映画化権を持っていたのは、内田だった。アル・パチーノ主演で、内田が医師の役をやる予定だったという。しかし、沢田からの懇願によって映画化権を譲ることになった。その後、内田主演・脚本の『コミック雑誌なんかいらない!』のなかの一シーンで、ドライブインシアターで上映されているのが、本作である。

宗教家谷川会長役の岡本真(1935〜99)は、その風貌を買われ出演となるが、役者ではない。彼は洋画家岡本唐貴の息子であり、漫画家白土三平の実弟である。赤目プロダクションのマネージメントの仕事中に声を掛けられている。

『千夜千冊』によると、森田監督は、松岡正剛と谷川浩司をキャストに考えており、松岡には実際にオファーしている。松岡の役は、日下武史に受け継がれた。