イエスタデイ (村上春樹)
以下はWikipediaより引用
要約
「イエスタデイ」は、村上春樹の短編小説。
概要
村上は『文藝春秋』2013年12月号から2014年3月号まで、「女のいない男たち」と題する連作の短編小説を続けて掲載した。本作は2014年1月号に発表されたその2作目(同号の発行日は2013年12月10日)。
英訳
タイトル | Yesterday |
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翻訳 | フィリップ・ガブリエル |
初出 | 『ザ・ニューヨーカー』2014年6月9日・16日号 |
収録書籍 | 『Men Without Women』(クノップフ社、2017年5月9日) |
オリジナル版と単行本版の本文異同
登場人物の木樽(きたる)が歌う、関西弁訳のビートルズの「イエスタデイ」の歌詞は、単行本収録に際して大幅に削られた。「歌詞の改作に関して著作権代理人から『示唆的要望』を受けた」ためと、村上は『女のいない男たち』のまえがきで説明している。歌詞の削除に伴って、大きく加筆訂正がなされた。
オリジナル版 | 単行本版 | |
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p397 | 「こんな歌詞だ。」 | 削除 |
p397 | 「イエスタデイ」の歌詞、19行 | 19行のうち16行分が削除された。 |
p397 | ―― | 「始まりはそんな…(中略)…ただあきれてその歌を聴いていただけだった。」(約310字)が挿入された。 |
p401 | 「『そらまあ、意味みたいな…(中略)…理屈は通ってるやろ』」 | 削除 |
p401 | 「『蘊蓄じゃない。世界中に知られている事実だ』と僕は言った。…(中略)…湯気の中から言った。」 | 「よく」「まあ」「のんびりした」などの言葉が付け加えられた。 |
p401 | 「そしてまたサビの部分を歌った。」 | 35文字分の言葉が付け加えられた。 |
p401 | 「イエスタデイ」の歌詞、4行 | まったく異なる歌詞に変えられた。歌詞のあとに「とかなんとか。」という言葉が付け加えられた。 |
p401 | 「『悲しい歌やないか…(中略)…浮き彫りにしている』/言葉の無駄な消費を避けるために僕は話題を変えた。」 | 全文削除され、約130字分の文章が付け加えられた。 |
p406 | 「フラニーとゾーイ」 | 「フラニーとズーイ」 |
p420 -421 |
「たとえば車を運転していて…(中略)…そして木樽のことをつい思い出してしまう。」 | 全文にわたって大幅に加筆修正がなされた。 |
p421 | 「イエスタデイ」の歌詞、5行 | 5行のうち2行分が削除された。 |
あらすじ
「僕」の知っている限り、ビートルズの『イエスタデイ』に関西弁の歌詞をつけた人間は、木樽という男一人しかない。彼は風呂に入るとよくその歌を歌った。木樽は生まれも育ちも東京都大田区田園調布だったが、ほぼ完璧な関西弁をしゃべった。子供の頃から阪神タイガースのファンだった彼は、「血の滲むような努力をして」関西弁を身につけたという。
そのとき「僕」は早稲田大学文学部の2年生で、木樽とは早稲田の正門近くの喫茶店の同じアルバイト仲間だった。木樽は浪人2年目だった。彼には小学校のときからつきあっている女の子がいたが、彼女の方は先に現役で上智大学の仏文科に入学した。
日曜日の午後、「僕」は木樽と彼のガールフレンドの栗谷えりかと三人で会った。えりかが木樽が関西弁しか話さないことを話題にすると、木樽は「僕」を指さし、「こいつかてけったいなやつやぞ。芦屋の出身のくせに東京弁しかしゃべらんしな」と言った。「それってわりに普通じゃないかしら」「おいおい、それは文化差別や。文化ゆうのは等価なもんやないか」「それは等価かもしれないけど、明治維新以来、東京の言葉がいちおう日本語表現の基準になっているの。その証拠に、たとえばサリンジャーの『フラニーとズーイ』の関西語訳なんて出てないでしょう?」という会話がそれに続いた。
木樽はえりかと「僕」に、二人が個人的につきうあうことをすすめ、その週の土曜日に二人は渋谷で落ち合った。ニューヨークを舞台にしたウディー・アレンの映画を見た。それから2週間ほどして木樽はひとことの連絡もせず喫茶店を辞めた。
16年後、「僕」は赤坂のホテルで開かれたワイン・テイスティング・パーティーの会場で栗谷えりかと再会する。フォーマルな服に身を包んだ人々があちこちでグラスを傾け、若い女性ピアニストは『ライク・サムワン・イン・ラブ』を弾いていた。