オバケのQ太郎
漫画
作者:藤子不二雄,
出版社:小学館,
掲載誌:週刊少年サンデー,
レーベル:てんとう虫コミックス,
巻数:TC:全16巻FF:全27巻F全:全16巻※新も合算,
アニメ:第1作
原作:藤子不二雄,
監督:長浜忠夫,
音楽:筒井広志,
アニメーション制作:Aプロダクション,
製作:東京ムービー,
話数:全96話,
アニメ:第2作『新オバケのQ太郎』
原作:藤子不二雄,
監督:長浜忠夫,
音楽:山本直純,
アニメーション制作:Aプロダクション,
製作:東京ムービー,
話数:全70回・全135話,
アニメ:第3作
原作:藤子不二雄,
総監督:笹川ひろし,
監督:原田益次,
音楽:菊池俊輔,
製作:テレビ朝日,旭通信社,
放送局:テレビ朝日など,
話数:全510話+特番1話,
以下はWikipediaより引用
要約
- 藤子不二雄 > 連載 > オバケのQ太郎
『オバケのQ太郎』(オバケのQたろう)は、藤子不二雄(藤本弘と安孫子素雄)による日本のギャグ漫画作品。ごく普通の家庭に住み着いたオバケが引き起こす騒動を面白おかしく描いた藤子流生活ギャグ漫画の原点にして、藤子漫画の代表作の一つ。3度テレビアニメシリーズ化されている。『オバQ』と省略されて呼ばれることも多い。
概要
1964年に連載が開始され、1965年にアニメ化されたことで「オバQブーム」と呼ばれる社会現象を巻き起こした。藤子はこれを機に「ギャグ漫画の藤子不二雄」として社会に広く認知されるようになった。漫画連載とアニメ放送は1967年に『パーマン』に切り替わる形で終了した(人気低下ではなく、グッズを売りたいスポンサーの要請)。
1971年3月に続編漫画が連載開始。同年9月から翌年12月かけて2作目のアニメシリーズ『新オバケのQ太郎』が放送された。漫画連載は1974年に終了したが、1976年まで読切作品が数本描かれた(漫画は1976年の最後の読切まで藤本と安孫子の合作。単行本でのタイトルは『新オバケのQ太郎』だが、連載時のタイトルは『オバケのQ太郎』)。
1973年には後日譚『劇画・オバQ』(藤本単独作)が描かれた。
1985年〜1987年には3作目のアニメシリーズが放送された。その際には藤子による漫画の新作は描かれなかった(風田朗ら他者が作画した漫画の新作は雑誌に連載された)。1986年、1987年と、劇場版新作映画が2作公開された。
合作分担
ストーリー(ネーム)
『少年サンデー』連載版のストーリーは、1964年の連載開始当初は藤本と安孫子の両方で担当していたが、やがて藤本のみで担当するようになった。それ以外の雜誌に掲載された作品では基本的に藤本が担当。
作画
1964年の連載開始から1976年の最後の読切まで、藤本と安孫子で作画を担当した(藤本は「Q太郎」らオバケ、安孫子は「正太」「伸一」「小池さん」を担当)。1985年の3度目のアニメ化の際のキャラクター設定書も、正太と伸一のものは安孫子が執筆している。
1964年から1967年の『少年サンデー』版他、一部の漫画作品は「藤子不二雄とスタジオゼロ」名義で連載され、スタジオゼロの面々が脇役や背景の作画を行った。特に石森章太郎は多数の脇役の作画を担当した。
学年誌連載版は主に藤子不二雄のみ(藤本と安孫子)で作画を担当した(背景等はアシスタントが作画)。
『よいこ』『幼稚園』版は、藤本が全ての作画を担当した(背景等はアシスタントが作画)。
名義
1988年の独立後は『オバケのQ太郎』は合作、『新オバケのQ太郎』は「藤子・F・不二雄」名義となっているが、権利上名義が分けられたのみで、『新オバケのQ太郎』も1976年の最後の読切まで安孫子が一部の作画を担当している合作である。藤子プロのWebサイトの年表等には1971年の箇所に「『新オバケのQ太郎』は藤本弘の著作物」と記されていることがあるが誤り。正確には「『新オバケのQ太郎』は藤本弘と安孫子素雄の合作で、1987年までは藤子不二雄名義の著作物。その後権利を分割したため、1989年以降は藤子・F・不二雄名義の著作物」となる。
最後の合作
1987年の独立時に「合作はオバQあたりまで」と藤子が語ったことで、「最後の合作は1964年に描かれたオバQ」と誤解されがちだが、その後も多くの合作作品が発表されている。最後の合作となったのはドラえもんアニメ化後の1976年に描かれた『オバケのQ太郎』の読切作品(『月刊少年ジャンプ』掲載)。1964年から1976年までの『オバケのQ太郎』を年代順に読むと、両人の絵のタッチの違いが明確になっていく様を確認できる。
作品の歴史
雑誌連載の開始
『週刊少年サンデー』編集部に出入りしていた子供の持ち込んだ自筆のお化け漫画「ケバ男くん」を見た編集者はお化け漫画を連載することを提案し、藤本が怪談やオバケ好きと聞いてオバケを主人公にした漫画を依頼した。
藤本と安孫子は当時作ったアニメスタジオ「スタジオゼロ」へ小田急線で通勤中に小田急→オバQ→「オバケのQ太郎」というタイトルを思いついた。以上は藤本が描いたマンガ『スタジオ・ボロ物語』やTBSにて2008年4月12日放送の番組『ブロードキャスター』における藤子Ⓐのインタビュー発言によるものだが、タイトルの由来については、これとは異なる説明もある。それは藤本と安孫子が共同で執筆した自伝『二人で少年漫画ばかり描いてきた』によるもので、まず最初に『オバケの○太郎』というタイトルが決まり、○の部分にはめる言葉を探していたとき、小説家の安部公房の本をパラパラとめくっていたら、Qという文字が目に止まり、愛敬のある文字だという理由でQ太郎になったというものである。『アサヒ芸能』2002年9月5日号の藤子Ⓐへのインタビュー記事などでも同様のことが本人から語られていたことがある。一方で幸森軍也著・鈴木伸一監修『ゼロの肖像 「トキワ荘」から生まれたアニメ会社の物語』(講談社、2012年)では、藤子Ⓐの説明にも触れつつ、○の部分を決めたきっかけとして「書店で藤本が見かけた魯迅の『阿Q正伝』」が紹介されている(また、同作の主人公「阿Q」という名称は日本語の感覚では、「Qちゃん」のようなイメージとなる(当該項目参照))。
連載1回目の「忍者ごっこ」のストーリーは、ゼロの事務所のそばで、忍者ごっこをしている子供達を見てそのまま決めた。
無事タイトルも決まり、スタジオゼロの財務を支えるスタジオゼロ雑誌部の仕事として、スタジオ所属のメンバーが手伝い、『週刊少年サンデー』誌上で1964年にスタートした(1964年6号からスタート。同号発売が1月22日、誌面クレジットの発行日は2月2日)が、読者の反応がまったくなく、連載は9回でいったん終了した。連載中は藤子もスタジオゼロを救うための仕事としてあまり力が入らず、周囲の期待もなかったというが、連載終了後読者から再開を求める手紙が殺到し、3か月後に連載が復活。再開後、藤本が基本的にストーリーを担当するようになった。
『少年サンデー』に「藤子不二雄とスタジオゼロ」名義で発表された作品で石森章太郎が多数の脇役の作画を担当したことは前述したが、つのだじろうや長谷邦夫もその他の人物を描いていた。北見けんいちは背景を担当していた。『オバケのQ太郎』の漫画の中で石森や赤塚の作品のキャラクター(『おそ松くん』の六つ子やチビ太など)が度々登場していたのはこのためである。
1960年代 最初のアニメ化とブームの到来
翌1965年になって、連載は小学館の他の雑誌にも広がり、さらにアニメ化もされ、「オバQブーム」と呼ばれる社会的現象にまでなった。それまではシリアス志向の強い作品の描き手としての印象も強かった藤子は、これを機に「ギャグの藤子不二雄」として社会的に認知されるようになった。
『鉄腕アトム』以来、それまで主流だったSFヒーローものが飽きられて視聴率が低下した中で、日本初のギャグアニメ『オバケのQ太郎』は登場。TBS系「不二家の時間」枠(日曜19時30分 - 20時)で放送された。初回から視聴率30%以上の人気を得て、アニメ主題歌の『オバケのQ太郎』はミリオンセラーを記録し、1966年第8回日本レコード大賞童謡賞を受賞。また声優の曽我町子が歌う『オバQ音頭』はレコード200万枚、スポンサーの不二家が行ったプレミアムキャンペーンでソノシート400万枚の大ヒットとなり、レコードはジャケットと価格に若干の変更がなされつつ、1980年代まで同一の規格番号(SCS-4)で生産され続けるというロングラン商品となった(初期盤のジャケットに掲載されていた2ページのカラー漫画が、後期盤では削除されている)。そしてアニメソングにおける音頭曲の先駆けとなり、現在でも子供向け音頭曲の定番のひとつとして親しまれている。1973年に発売されたコンパクト盤「実用ベスト4シリーズ・4大音頭」では、「東京音頭」「炭坑節」「相馬盆踊り」とともに「オバQ音頭」が収録されている。
本作の商品化業務は、放映局であるTBSから「オアシのないものがオアシ(銭)を稼ぐはずがない」と否定的な見解が下されてしまい、この推測は関係各社でも同様の判断が下されるなど放映当初は商品化する会社がほとんどいなかったため、原作を掲載していた小学館が行うことになった。ところが放映開始から半年ほどで人気が爆発し、巨額の商品化収入がそのまま小学館への収入へと繋がり、1967年に建築された小学館の本社ビルはオバQビルの異名を取るほど小学館を潤した。またこの小学館ビルが2013年に解体を控えた際、壁に漫画家たちが落書きをしたイベントでは、本来Q太郎の作画を担当した藤本(既に他界)に代わって安孫子(藤子Ⓐ)がQ太郎のイラストを書きサインを添えていた。
本作で培った小学館のキャラクタービジネスのノウハウは、後年の『ドラえもん』、『名探偵コナン』、『ポケットモンスターシリーズ』などでも生かされている。
その一方、子供たちの間で流行した「オバQごっこ」(白いビニール袋を被って遊ぶ)により女児が窒息死するという事故が起きている。当時の関係者らはこの遊びに関して注意を呼びかけた。
1966年末に『週刊少年サンデー』の連載は終了し、1967年3月にはテレビアニメも日曜夜の時間から転出することになった。円谷プロダクション制作の『ウルトラQ』『ウルトラマン』と共に爆発的な人気番組となり(TBSの日曜夜7時台は、他局から「恐怖のQQタイム」と呼ばれていた)、時間帯変更の時点で依然30%を超える視聴率を誇っていたものの、スポンサーの不二家から「オバQ商品の売れ行きはピークに達した。これ以上の売上は見込めないので、新しいキャラクター(の番組)にしてくれ」という強い要望が出たためである。後番組は、原作者・制作会社ともに同じ『パーマン』となった。テレビアニメは水曜18時の時間帯に移動したが、3ヶ月で新作の放映は終了し、以後は翌年3月まで再放映を流していた。この再放送期間中は学年誌では松山しげる・しのだひでお・西村英雄氏などによるコミカライズ版が藤子本人が描く『パーマン』と同時掲載で続けられた。
1969年、『「オバケのQ太郎」あれから四年…』と題して『ビッグコミック』に後日談のエピソードが掲載された(後述)。
1970年代 『新オバQ』の連載と2回目のアニメ化
前作の連載終了後も、「もう一度Qちゃんを見たい」という読者の要望が多く寄せられていた。その声に応える形で、小学館の学習雑誌にて新キャラクターのO次郎が登場する『新オバケのQ太郎(雑誌掲載時は『オバケのQ太郎』)』の連載が1971年から1973年まで続けられた。このときアニメ『新オバケのQ太郎』も1971年9月から1972年12月まで放送された。
1973年、『ビッグコミック』誌上で、15年振りに人間界にやって来たQ太郎と、大人になった正太のすれ違いと別れの様を描いた異色作『「劇画」オバQ』が掲載された。その後1976年、『月刊少年ジャンプ』に読み切り作品が掲載された。藤子本人が手がけた『オバQ』は事実上これが最後の作品となった。
1977年、『コロコロコミック』が創刊。他の藤子作品とともに『オバケのQ太郎』も掲載される。ただし、新作は描かれず過去の作品の再収録のみだった。1979年には藤本がネームを担当し、しのだひでおの作画による番外編『ドラQパーマン』も描かれ、翌年には『ドラえもん』の特番でアニメ化される。
1980年代 3回目のアニメ化
1980年に『ドラえもん』以来の藤子アニメブームに乗り、前作までの製作を担当してきた東京ムービー新社により『がんばれ!!タブチくん!!』で実績のあったマルチラウンド方式による長編映画の企画が持ち上がるも藤子から難色を示された上映像化権がシンエイ動画に移った事により頓挫している。
1985年からシンエイ動画にて3度目のアニメ化がなされる。この際に新作連載の依頼が作者の下に来たが、「もうオバQのようなタイプのギャグ漫画を描くのは難しい」と、この申し出を断っている。結局、作者が示した新設定のキャラクターイラストの描き下ろしと、単行本(てんとう虫コミックスの傑作選全6巻と『新オバケのQ太郎』全4巻)のカバーをリニューアルして、漫画連載は『コロコロコミック』(『コロコロ』での創刊時からの再掲載は終了していたが、再び復活する形で)や学習雑誌に風太郎、しのだひでおのコミカライズ、もしくは過去の作品を再掲載する形が採られた。
掲載誌
- 週刊少年サンデー:1964年6号 - 14号、1964年24号 - 1966年51号
- 別冊少年サンデー:1964年秋季号・12月号、1965年1月号
- 少年サンデー増刊:1965年正月号 - 1967年正月号
- よいこ:1965年1月号 - 1967年6月号、1971年4月号 - 1973年4月号
- 幼稚園:1965年1月号 - 1967年3月号、1971年4月号 - 1973年2月号
- 小学館の学習雑誌
- 小学一年生:1965年1月号 - 1967年2月号、1971年4月号 - 1973年3月号
- 小学二年生:1965年1月号 - 1967年2月号、1971年4月号 - 1973年2月号
- 小学三年生:1965年1月号 - 1966年10月号、1971年4月号 - 1973年2月号
- 小学四年生:1965年1月号 - 1966年11月号、1971年4月号 - 1973年3月号
- 小学五年生:1965年1月号 - 1966年10月号、1971年4月号 - 1973年3月号
- 小学六年生:1965年1月号 - 1966年10月号、1971年4月号 - 1973年3月号・6月号
- 小学館コミックス:1965年夏季号 - 1966年春季号
- マドモアゼル:1965年12月号 - 1966年10月号
- 女学生の友:1966年1月号 - 12月号(番外編『オバケのP子日記』)
- ボーイズライフ:1966年3月号
- ビッグコミック:1969年3月号(『「オバケのQ太郎」あれから四年…』)、1973年2月25日号(『劇画・オバQ』)
- めばえ:1971年4月号 - 1974年3月号
- ベビーブック:1971年4月号 - 1973年3月号
- 小学館ブック:1966年7月号(創刊号) - 1967年2月号
- 月刊少年ジャンプ:1976年5月号
- 小学一年生:1965年1月号 - 1967年2月号、1971年4月号 - 1973年3月号
- 小学二年生:1965年1月号 - 1967年2月号、1971年4月号 - 1973年2月号
- 小学三年生:1965年1月号 - 1966年10月号、1971年4月号 - 1973年2月号
- 小学四年生:1965年1月号 - 1966年11月号、1971年4月号 - 1973年3月号
- 小学五年生:1965年1月号 - 1966年10月号、1971年4月号 - 1973年3月号
- 小学六年生:1965年1月号 - 1966年10月号、1971年4月号 - 1973年3月号・6月号
長期にわたる絶版
本作は人気が高いにもかかわらず、1988年を最後に単行本の増刷が停止。その後も『21エモン』や『エスパー魔美』と異なり、文庫版や新装版が出版されることもなかったため、古本の価格は高騰した。この絶版状態は、本作を再び収録した『藤子・F・不二雄大全集』(第1期)が刊行される2009年7月まで、20年以上も続くこととなった。
この間に新刊で購入可能だったものは、SF短篇集に収録された後日談である『劇画オバQ』と『新オバケのQ太郎』の一編「サテハラタカ」(小学館ワンダーライフ・スペシャル『藤子・F・不二雄の世界』)、赤塚不二夫との合作である『オハゲのKK太郎』(竹書房文庫 『おそ松くん』22巻)、藤子不二雄、赤塚不二夫、つのだじろうの3組の合作『ギャハハ三銃士』(赤塚不二夫漫画大全集 オンデマンド版 1960年代 その2 Web注文のみ)、2007年5月25日発売の『熱血!!コロコロ伝説』Vol.1で、文庫版サイズの単行本別冊付録として復刊された『新オバケのQ太郎』だけであった。
絶版の理由はこれまで明確にされたことがなく、さまざまな説がある。以下は、ライターの安藤健二が著書に記している情報を中心に、それを解説する。
著作権説
本作は藤子不二雄の2人のほかに、石森章太郎やスタジオゼロが関わっている。藤子不二雄がそれぞれ独立し、さらに石森、スタジオゼロが関わっているため、四者の間で著作権料の割合で揉めていたのではないかという説。
両者にアシスタントとして携わったえびはら武司は自伝的自著『まいっちんぐマンガ道』の中でこれに近い説明をしている。前述の通り本作は藤子不二雄の事実上最後の合作であり、独立後に代理人を立てての法的な話し合いが始まった。また石ノ森らとの話し合いのほか、紛失原稿が多すぎること、そして後述の差別表現などの描き直しが膨大であること、これら全てをクリアーするためのハードルが多く、再版まで時間がかかってしまったとした。
ただし、台湾や香港では1997年頃までは公式に単行本が発売されており、アニメ(3作目)は、絶版中も独立前の「藤子不二雄」とクレジットが入った上でCSなどで再放送されていたり、石森が参加しているのは『少年サンデー』版のみで、それ以外の雑誌でのよっちゃん、ゴジラは藤本が描いているため漫画の単行本が出ない理由とするにはこの説は弱い。また、石森・安孫子・藤本による合作(風田朗とスタジオゼロ名義。鈴木伸一とつのだじろうも関与していた)の『レインボー戦隊』は、現在石ノ森のプロダクションである石森プロに権利があるが、「石ノ森章太郎萬画全集」でいち早く復刊された。
安藤は『新潮45』(新潮社)2004年11月号でこの問題を取り上げ、追加取材を行なって『封印作品の謎2』として2006年に出版。それによると、スタジオゼロから独立前の藤子不二雄と藤子スタジオへ著作権は戻され、石森プロも「『オバケのQ太郎』の著作権に関して主張したことはない」として、石ノ森やスタジオゼロとの著作権問題という説は否定されている。小学館では「作者サイドが表に出さないことにしている」と主張。原作者サイドの藤子スタジオは「藤子プロに任せている」、藤子プロは「権利問題ではなく作者の意志を守りファンを優先に活動している」、「遺された作品が膨大なので今はたまたま出していないだけ」という見解であった。
遺族の意向説
藤本の遺族(藤本夫人は藤子プロの現会長でもある)は、当時と現在の価値観の違い(差別描写説参照)から、故人の作品が表に出ることを警戒している(漫画コラムニストの夏目房之介も同様の見解をしている)。藤本本人が他界してから『藤子・F・不二雄大全集』が出版されるまでの間は、短編集や一部の児童向け作品が出版されたのみであった。また、全集『藤子不二雄ランド』も、Fの没後はⒶの作品だけを集めた『藤子不二雄Ⓐランド』として復刊され、Fの作品は復刊が見送られた。
また他にも、藤子両人は独立後も仲が良かったものの、Fの遺族とⒶ(2022年没)の親族が実は不仲であり、権利の取り分で揉めていたという説もある。安藤も『封印作品の謎2』において「藤子両人の周囲で起きている感情の問題が、封印の理由の一つではないか」と指摘している。
差別描写説
1980年代半ばより始まった差別表現への抗議やそれに対しての自主規制が原因だとする説。黒人差別が原因だとする説と差別用語が原因とする説、またはその両方が原因だという説もある。
1980年代に「黒人差別をなくす会」という団体が黒人の描写について差別的だと多くの出版社に抗議をした際、本作もその対象となり、てんとう虫コミックスと藤子不二雄ランドのうち「国際オバケ連合」の話を含む巻が回収された。これは、該当話に登場する「バケ食いオバケ」が人食い人種を思わせると抗議を受けたためである。そしてこれ以降、『オバケのQ太郎』の増刷は全面的に停止した。
同様にして一時絶版になった藤子作品に『ジャングル黒べえ』がある。きっかけとしてはこの「黒人差別をなくす会」による抗議が原因と言われているが、『封印作品の謎2』によると、この時回収されたのは「国際オバケ連合」が収録された巻のみで、作品全てを封印する理由には繋がらないとしている。なお、後に「国際オバケ連合」は藤子・F・不二雄大全集第4巻およびてんとう虫コミックス(新装版)第9巻に収録されているが、「人食い人種」というセリフについては別の表現に差し替えられている。
また、本作の初出時の版では「きちがい」「こじき」など、現在では放送禁止用語とされる語が多く使われている。これらについて出版社の圧力は避けたいということなかれ主義で出版を止めているという説もある。だが、同様の表現がされている作品としては『パーマン』や初期の『ドラえもん』などもあるものの、それらについては単行本の重版から該当する話を削除したり、セリフや表現を修正している(これは藤子・F・不二雄大全集においても例外ではない)ため、作品の全面封印の理由としては根拠が薄い。
総括
以上のように、封印理由としては「FとⒶの間で起きた権利問題」と、「その周囲の人々で起きている問題」で出版が見送られていたとの説が最も有力である。
2007年、安藤の『封印作品の謎2』が『封印作品の闇』と改題の上文庫化された際、小学館の元幹部への追加取材がなされた。それによると、Ⓐの側は再版の許諾を早くから出していたが、F夫人が「FとⒶが共同で著作権を持つ作品を出したくない」との意向を持っていたためそれを拒否していた、と安藤は結論づけている。
2009年7月、『藤子・F・不二雄大全集』においてFとⒶの共著扱い(コンビとしての『藤子不二雄』統一名義ではなく、FとⒶ、両者の名前が記載されている)という形で、再び出版がなされた。
2015年7月からは、藤子・F・不二雄大全集における原稿スキャン版を元に、てんとう虫コミックスでも「オバケのQ太郎」新装版の刊行が行われ(藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐ名義)、2016年4月28日発売の12巻を以て刊行が終了した。なお12巻の限定版には、「別冊少年サンデー」1967年1月号の付録「サンデーゲーム盤」を49年振りに復刻。同ゲーム盤には「ラッキーレース」と、赤塚不二夫作成の「おそ松くん買い物ゲーム」、そしてオバQ・ドロンパ・P子が世界一周する双六「Qちゃんすごろく」が掲載されている。
さらに2018年4月から7月にかけて、てんとう虫コミックス「新オバケのQ太郎」新装版全4巻も刊行された。
キャラクター
- 各キャラクターの基本的な作画分担も記した(ただし、石森の作画は1967年までの『少年サンデー』掲載話のみで、それ以外は基本的に藤本が作画)。
オバケ
- オバケは基本的に全員藤本が作画。ただし「なくなQちゃん」に登場するQ太郎のパパ(偽者)は安孫子作画。
- 名前のアルファベットは特殊な読み方をしないが、ここではカナ表記の読み仮名を記す。
本作のオバケは、普通連想するいわゆる「幽霊」「霊魂」「妖怪」といった類の存在ではなく、れっきとした一個の生物である。空を飛び(Q太郎の場合は最高時速40km、一度に50kmまで飛べる)、姿を消し、壁を抜け、力も割と強く、口の中に何でも放り込め(大量に放りこむと壁をすり抜けられなくなる)、動物と会話ができる、変身する(これは学習しないとうまくできない)といった特殊能力を持っている。人間と同じ食物を摂取できるほか、雲を食べる(人間である正太もオバケの国で雲を御馳走されたが、栄養になっているかは不明)。
かつては人間と地上で共存していたが、人間が進歩するにつれ、のんびり屋で嘘をついたり人を傷付けたりできないオバケは追い詰められて行った。化けて人間を脅かしたこともあったが(人間界に伝わる多種の妖怪はこれが元になる)、やがて雲の上にオバケの国を築いて隠れ住むようになった。
Q太郎(キューたろう) ※藤本作画(オバケは基本的に全員藤本)
声 - 曽我町子(1作目)、堀絢子(2作目)、天地総子(3作目)、鈴木みえ(現:一龍斎貞友、ドラえもん のび太のドラビアンナイト)
通称:Qちゃん。竹藪で生まれた(実際はQ太郎のタマゴだけ竹藪に落っことしたらしい。誕生直後は3本の毛ではなかった)オバケ。大原家に居候し、いつも正太と行動を共にしている親友の仲。大飯食らい(炊飯器を空にして「おかわり」と催促してママに怒られるなどしている。インスタントラーメンはカッポレ一番を愛好する)でお人よし、鈍くさくて頭はあまり良くないが、繊細で落ち込んだり傷ついたりすると、時々家出を企てては、腹を空かせるなどの理由であっさり帰って来る。身長111cm、体重0~35kg、視力は右が3.0で左が2.5。犬が大の苦手だが、嫌っているわけではなく何度か子犬を守ったこともある。また犬から逃げるために、動物園にいるライオンの口の中に隠れたこともある。先述のオバケの能力を一通り持っているが、変身だけは苦手で靴になることくらいが限度(原作では苦手な犬に化けたことがある)。他に、容器の中に入っていると体が容器の形に固まる、眼球を飛び出させることができる(「書類に目を通してくれ」と言われて紙束に眼球を通す場面がある)といった「特技」もある。また、音楽のセンスは皆無で歌唱、器楽共に聴者が頭痛など起こし気持ち悪くなってしまうほど(しかも当人は無自覚)だが、逆にこれが功をなすことも。腹の中にはポケットがあり、口や服の下からどんな物でも出し入れができる。一枚布(バケトロン(バケミロン)という架空の素材。この素材はマジックなどで字や絵をかくことが可能で、脱いて放置しておくと汚れが落ちるが、洗濯すると縮む)に目・口用の穴を開けた白い服(同じ物が何枚もあり、よそ行き用もある)を頭から被っており、実際に見えているのは服を除くと、3本の毛と、足、目、口だけである。また、服の中を見られることは「オバケの国での御法度だ」と言って頑なに嫌っており、中身がどうなっているのかは不明。
U子に対して好意を抱くものの、非常にシャイで好意の伝達方法を間違えてU子を怒らせてしまったこともある。作者いわくQ太郎のモデルは、ペンギンとベビー服であるという。『週刊少年サンデー』で『オバケのQ太郎』の連載が開始した1964年2月28日が誕生日と設定されている。連載当初は毛が10本以上あったが、次第に減って行き「台風Q号」から3本に落ち着いた。これは作画の手間から都合がいいということである。『小学一年生』の懸賞で「オバQ消しゴム」を作ることになり藤子・F・不二雄に造形を頼んだが、もじゃもじゃ頭だと作り難い。そこで、大学では心理学を学んでいた担当の井川浩が「男は奇数女は偶数」というジークムント・フロイトの学説に基づき毛を3本にする提案をしたことが直接のきっかけという。毛の長さは約15cm。最初のシリーズ最終話では単身オバケの世界へと帰って行った。『ドラえもん』での登場については後述。
後年のドラえもんのように数々のSFグッズを取り出すわけでもなく、基本的に消えることと飛ぶことだけの超常能力しか持たないため、子供たちの日常生活にすっぽり同化している。性格的にも、ドラえもんがやや保護者的なのに対し、抜けているところが多い三枚目キャラクターである。ただ、正太を背中に乗せての空中散歩はこの作品の象徴的風景であり、パロディの対象になったり(永野のりこ『GOD SAVE THE すげこまくん!』など)、スーパーや百貨店の屋上遊具に取り入れられたりした。
P子(ピーこ)
O次郎(オーじろう)
声 - 高坂真琴→桂玲子(2作目)、横沢啓子(3作目)
Q太郎、P子の弟。『新オバケのQ太郎』で登場したキャラクターで、オバケの国へ一度帰っていったQ太郎が、再び人間界へ戻って来た際に連れてきた。Q太郎と共に大原家に居候している。体は丸く黄色(またはピンク)であり、毛は1本でくるっとしている。まだ赤ん坊のオバケなので、「バケラッタ(この言葉は「オバQ音頭」の歌詞から来ている)」しか言えないが、「ナニラッタ?」「バカラッタ!」「ダメラッタ」「アホラッタ」など、多少のバリエーションがある。このため、意思伝達にはQ太郎の翻訳が必要。大原家の人々がQ太郎から「バケラッタ」ごとのニュアンスの違いを教わるエピソードがある。また「ボム!」または「パァ!」と叫ぶことで目の前のあらゆる物を爆発させる特技の持ち主(ライオンを退けたこともある)。手先が器用で、自分で壊した電話を直したり新聞紙で靴下を作ったりできるが、画力は幼稚園児と大差ない(O次郎の絵が漫画のキャラクターのベースになったことはある)。世界中の多くの国名を言えるほど頭はよい(ただし全てバケラッタになる)。化けるのも上手で、クジ運もいい。なかなかの兄思いである。
U子(ユーこ)
声 - 丸山裕子(2作目)、増山江威子(3作目)
人間の世界に憧れてやって来た、小泉家に居候しているおてんば娘のオバケ。柔道に入れ込んでいるが、がさつで乱暴、家事が一切できない。Q太郎が好意を寄せているが、逢うたびにQ太郎を柔道の稽古相手にしたり、家事を任せてしまっている。しかし、内心ではQ太郎に想いを寄せている部分も。喧嘩が異常に強く、正太の同級生のガキ大将・ゴジラでも歯が立たない。怒るとすぐ手を出すところがあり、特にQ太郎には何かあるとすぐ暴行を加える。ギャング映画を愛好したり足で襖を開ける、茶道を習いに行った席でシェーをしてふざける、箏をエレキギターのように弾いたりするなど、典雅、可憐に対する理解がない。太ることを著しく気にしており、それを指摘されると烈火の如く怒りを現にする。化けることもできるが余り上手ではない。また歌も下手である。アニメ版の『新オバケのQ太郎』では、原作と口のデザインが異なる。
ドロンパ
声 - 喜多道枝(1作目)、山本嘉子(2作目)、白石冬美(3作目)
アメリカ・テキサス出身のオバケ。神成家に居候している。アメリカでは大地主の家に住んでいた。頭が良くて運動神経がいい上、さまざまな物・人に化けられる。いつもQ太郎のことをバカにしている。少々ニヒルなひねくれ者だが、実際は寂しがり屋で心優しい。Q太郎がオバケの国へ帰っていた時期には、Q太郎に化けて悪戯をしていたこともあった。体は薄桃色の一体型で、Q太郎と異なり脚もきちんと分かれている。お腹にある赤い星型(脱着可能)が能力の源(直下にある青の三本線で星条旗を象徴している)。一度、その星型を紛失したことがあったが、Q太郎によって取り返された。登場オバケの中で唯一、犬を苦手としないが、糠味噌やたくあんの匂いが大の苦手。シュークリームも苦手と言っているが、「見てると怖いから食べてやる」とたくさん食べていた(まんじゅうこわいのパロディ。似た手口でホットドッグをせしめたこともある)。好物はハンバーガー。P子に思いを寄せているが、デートの際には、P子の身を案ずるQ太郎に、いつも邪魔されている。話のまとめ役が多く、演劇や新聞製作など色々と挑戦するが、Q太郎が引っ掻き回してしまうため長続きしないことが多い。誕生日は3月27日。なお、藤子・F・不二雄大全集版では4巻から登場しているが、掲載ごとに分かれているため、初登場の話は10巻収録である。
ペロンパ
X蔵(エックスぞう)
おZ(おゼット)
Y助(ワイすけ)
人間(メイン)
大原 伸一(おおはら しんいち) ※安孫子作画
声 - 野沢雅子(1作目)、白川澄子(2作目)、水島裕(3作目)
通称:伸ちゃん。大原家の長男で正太の兄。中学生で三枚目キャラクター。弟と違い、学業成績はそこそこ良好。当初は猫を連れて来て飼いたいと切り出し、正太の連れて来たQ太郎と猫、どちらが役に立つかを競わせていた。オーディオマニアで、自宅にいる時は大抵音楽を聴いて過ごしているが、持っているレコードはビートルズやプレスリーばかりらしい。好きな女の子ができるとすぐに告白するが、大体振られている。『新オバケのQ太郎』では、同級生の河伊伊奈子にアプローチしているが、いつも空回りに終わっている。正太とQ太郎のセッティングで嫌々デートしたバケ寺ベソ子とは友人関係となった。『劇画オバQ』では仕事の都合で北海道に転勤したことになっている。名前の由来は鈴木伸一から。
よっちゃん ※石森作画
ゴジラ ※石森作画
木佐 キザ夫(きざ きざお) ※藤本作画
声 - 山岸比呂美(1作目)、沢田和子(2作目)、龍田直樹(3作目)
正太のクラスメート。裕福な家庭で、名の通り気障で新しい物を買っては自慢する癖がある。ゴジラを「親分」と呼んでいたこともあった。『ドラえもん』のスネ夫にも通じるキャラクターだが、ゴジラとは対抗心を露にすることもあり、必ずしもおべっかばかり使っているわけではない。Q太郎や正太からは「木佐くん」というように「君」づけで呼ばれることが多い。眼鏡がないとほとんど何も見えず、『ギャハハ三銃士』で眼鏡が壊れてしまった際には失敗ばかりしていた。なお、全てカタカナ表記の「キザオ」というキャラクターが安孫子作品の『怪物くん』、『フータくん』、『オヤジ坊太郎』にも登場する。また、この顔のキャラクターは安孫子によって『ミス・ドラキュラ』の上司に受け継がれる。ただし、オバQでの作画は藤本が担当。『劇画オバQ』では外見が変わっているが、Q太郎は一目でキザ夫だと見抜いた。
ハカセ ※石森作画
声 - 麻生みつ子(1作目)、白川澄子(2作目)、肝付兼太(3作目)、龍田直樹(3作目での代役)
正太のクラスメート。姓は通称と同じ読みの「博勢(はかせ)」(テレビ朝日版アニメでは「湯川(ゆかわ)」)で、下の名前は不明。アニメ3作目では「〜です、はい」が口癖。頭脳明晰で博識かつ発明好き。ただしお人好しな上、学術関係以外では間の抜けたところがある。小柄な体格で若ハゲ。眼鏡を着用し、いつも袖がダブダブの学生服を着ている。頑固者のお祖父さんと二人暮らしで、祖父を非常に慕っている。乗り物に極端に弱く、バスの絵を見ただけで乗り物酔いを起こす。
連載途中より、両の眉毛が「ハ」、右目が「カ」、左目が「セ」の字を模したような特徴的な顔立ちとなる。アニメ3作目では普通の顔立ちになった。『劇画オバQ』では失敗続きの起業家となり、眼鏡をかけた普通の顔立ちになっている。作画は石森(学年誌版では藤本)が担当。
小池さん(こいけ) ※安孫子作画
声 - 大竹宏(1作目)、島田彰(2作目)、広森信吾(3作目)
近所のおじさん。インスタントラーメンが好物で、いつもQ太郎に食事中を邪魔されている。職業はアニメーター。他の藤子作品にも多く登場している。連載中に結婚し、子供も2人いる。結婚当初は妻にインスタントラーメンを食べさせてもらえず、正太とQ太郎が隠れて与えることを画策するエピソードがある(失敗するが、結果的にそのおかげで妻に作ってもらえるようになった)。
大人でありながら頭はあまり良くないらしく、正太から「頭のていどが子どもなみ」と言われたことがある。また、『ギャハハ三銃士』では守備隊の隊長でありながら、火攻めと燃やすことが一緒であると分からなかった。
神成さん(かみなり) ※藤本作画
声 - 野本礼三(1、2作目)、兼本新吾(3作目)
大原家の隣に住んでいる老人男性。その名の通り短気で頑固だが、根は寂しがり屋で情け深く、『新オバケのQ太郎』第1話では大原家の面々から人間界に戻ってきたことを信じてもらえず、途方に暮れていたQ太郎を暖かく迎え入れている。妻とは死別しており、ドロンパが来るまでは一軒家で一人暮らしをしていた。ドロンパに住み着かれそうになり最初は追い出そうとしたが、やがて意気投合し居候させることに。そしてドロンパを実の子供のようにかわいがっている。
本名:神成 雷蔵(かみなり らいぞう)。
『劇画オバQ』では正太とQ太郎の会話において既に死去したことが語られている。
ドラえもん等の他の藤子不二雄作品にも登場する。
大原 正助(おおはら しょうすけ) ※藤本作画
声 - 松岡文雄→田の中勇(1作目)、永井一郎(2作目)、大山高男(3作目)
正太、伸一の父親で、少々太り気味の大黒柱。Q太郎からは「パパ」と呼ばれている。トレードマークはチョビ髭にメガネだが、一度床屋で居眠りをしている間に髭を落とされ、子供たちに八つ当たりしたこともあった。メガネは『オバケのQ太郎』では丸いフレーム、『新オバケのQ太郎』では四角いフレーム。「びっくりしたなぁ、もう」のような当時の流行語を多用したり、ハナ肇とクレージーキャッツの歌の替え歌を頻繁に歌うようなユーモラスな一面を持つ。ヘビースモーカーで、吸っているタバコは「ハイライト」。禁煙にチャレンジするも挫折する。いつも飲む酒はビール。落第を3回経験したことがある。商事会社に勤務し、作中で課長に昇進。日曜大工が趣味だが、手先が不器用で下手の横好きに近い。Q太郎を実の子供のように思っている。田舎に90歳を超える母親と兄一家が、近隣に弟数名が住んでいる設定になっている。『劇画オバQ』では定年退職後、故郷に帰郷したということになっている。
テレビ朝日版アニメでは、正太郎という名であった。
大原 節子(おおはら せつこ) ※藤本作画
人間(サブ)・その他
河伊 伊奈子(かわい いなこ) ※藤本作画
先生 ※石森作画
声 - 島香裕(3作目)
正太達の通う小学校のクラス担任。容貌がカバそっくりの中年男性教員。「 - だっちゅうに」、「 - ってな」などが口癖。あだ名は"威張り豚"、"ヒネブタ"。作画を石森・藤子以外が担当している箇所もある。
青山 ミドリ(あおやま ミドリ) ※藤本作画
上記で言及した作画の分担は『オバケのQ太郎』においてのものを記した。学年誌版『オバケのQ太郎』や『新オバケのQ太郎』では石森は参加しておらず、藤子不二雄の2人で描かれている。ただし、『新オバケのQ太郎』における絵の分担は明らかにはされていない。絵柄の違いから、正太と伸一以外の大部分が藤本とされており、中には全て藤本による執筆の作品もある。
劇画・オバQ
「劇画・オバQ」(げきがおばキュー)は『オバケのQ太郎』のエピローグ的物語。初出は『ビッグコミック』(小学館)1973年2月25日号掲載。
藤本が、マージョリー・キナン・ローリングスの小説『子鹿物語』からヒントを得たといわれている作品。ジョディ少年と、フラッグと名付けられた野生の子鹿との出会いと別れという、楽しかった少年時代への決別を描いたこの作品を、誰もが知る少年時代の象徴ともいえる「オバQ」に置換。短編としてまとめあげる事ができたという。「Q」の旗( = フラッグ)が、この作品同士の繋がりを示すキーワードとなっている。作中には、この旗を印象付けるために、シリーズ本編のエピソード「オバQ王国」の1シーンが引用された。ただし、このシーンに出てくる「Q」の旗はこの作品用に追加で描かれたもので、本来の「オバQ王国」にこの旗は出てこない。
タイトルは「劇画」と謳っているが、まさに絵柄も劇画タッチの硬質でリアルな線で描かれており、Q太郎の劇画調に誇張されどこか哀愁の帯びた姿、そして写実的に描かれた正太達とに妙な違和感がある。もっとも、この作品が発表された時期は劇画ブームの最中で、「毒の無い漫画は漫画ではない」という風潮が強まっていた。作者自身も得意とする生活ギャグが受け入れられなくなっており、落ち込んでいた時期でもあったという。
しかし、上記の「オバQ王国」の旗の他、ゴジラの継いだ家業が酒屋ではなく乾物屋という点や、当時無人島に居なかったはずのよっちゃんが他の仲間と一緒に思い出話に花を咲かせているシーンがあるなど、本編と異なる設定がある為、あくまで「外伝」「自己パロディ」的なものであり直接の最終回という位置付けではない。後述のように、時系列では本作より後の時代になる作品において、本作では故人となっている神成さんがまだ元気な様子が描かれている。だが、「オバQ」の新作は、1976年の月刊少年ジャンプに読み切り作品が掲載された以降、描かれる事は無かったため、本作が「オバQ」自体のエピローグとして一般的には認識されている。
前述の通り、劇画タッチで話は進行するが、酔った勢いで全員がハカセの計画に賛同して「Q」の一文字が書かれた旗を掲げ「俺たちは永遠の子供だ、同志よ集え、この旗の下に」と叫ぶ一コマのみ本来のタッチで描かれている。
あらすじ
大人になりサラリーマンとなった大原正太(正ちゃん)と、15年ぶりに人間界に帰ってきたQ太郎が街角で再会する。正太は既に結婚しており、Q太郎はその家庭に居候することになるのだが、正太の妻は大食らいで厚かましい態度のQ太郎を煙たがる。そんな中、Q太郎が戻って来た事を知った西郷強(ゴジラ)が、かつての仲間達を呼び寄せて飲み会を開く。やがて昔話に花が咲き、「子供の頃の夢よもう一度」と皆で誓い合う。
しかしほどなくして、正太の妻が妊娠していると分かり、前夜の誓いなどすっかり忘れて子供が出来たと浮かれて出勤する正太を見たQ太郎は、もう正ちゃんは子供ではないということを悟り、大原家を後にしてどこかへ飛び去って行く。後にはボロボロになったQ旗が誰にも顧みられることなく残された。
登場人物
Q太郎
大原正太
また劇中には実際に登場しないが、父・正助は定年退職後に故郷に帰郷し、兄・伸一は仕事の都合で北海道に転勤したことが語られている。
正太の妻
博勢
西郷強
木佐キザオ
小泉美子
神成さん
その他の『オバQ』未来話
『劇画・オバQ』発表以前にも、小学館の雑誌の企画によって本作の未来話を発表した事がある。いずれもQ太郎をはじめとするオバケは(一部を除き)変化は少ない。ここでは発表した順に紹介する。
7年後(7年あとのQちゃん一家)
これによると、正太は高校生になり、大学受験で忙しくなってQ太郎と遊ばなくなり、伸一は新米サラリーマンになり、パパは顔にしわが出た他はあまり変化が無く、ママは太った体になった。
20年後(20年後のオバケのQ太郎)
これによると、正太は職業は不明であるが大人になっても漫画の愛読者、伸一は依然としてサラリーマンだが通勤には自家用飛行機を使用、パパは頭がスキンヘッドになり、ママは20年前と同じ体格だが白髪になっている。
またここでは街の人たちの20年後も紹介、ハカセ・ゴジラ・キザオ・よっちゃんは成長するも、職業が判明しているのは発明家となっているハカセだけ。神成さんはまだまだ元気でゴルフに凝りだし、小池さんは和服を着用するも依然としてラーメンを食べている。
このほか、P子がやや大きくなって美容院で髪をカール、またQ太郎は「23歳」、P子は「22歳」である事が判明している。
4年後(『オバケのQ太郎』あれから4年…)
これによると、正太は長身になり、伸一は大学入試にパス(ただし喜びのあまり熱を出し写真に写らず)、パパは若く見られたいために髭を剃り、ママは「7年後」同様に太っている。
オバケに関しては、ドロンパはアメリカに帰国し、P子はスカートが更に短くなり網タイツを着用、U子は柔道三段となり、整形手術を受けて顔が一新、そしてQ太郎はグループ・サウンズの影響で3本毛を伸ばしており、また水木しげるや楳図かずおのお化け漫画の愛読者へと変わっている。
アニメ
3度にわたってテレビアニメ化がされている。
ゲーム
オバケのQ太郎 ワンワンパニック
原作とほとんど関係の無い世界観、Q太郎のあらゆる動作の鈍さなどからゲームとしての評価は低い。Q太郎の天敵である犬の攻撃が非常に早く、1面をクリアするのも難しいほどのゲームバランスの悪さとなっている。
キャラクター商品・関連企画
アニメ1作目が空前のヒットとなり、以後数多くの関連商品が作られた。
アニメ1作目
不二家の一社提供のため、不二家からオバQのお菓子が発売された、当初はアニメ開始前に風船ガム「オバQフーセンガム」が発売されたが、アニメ開始と同時に板チョコ「オバQチョコレート」や、「オバQキャンディー」を追加発売、やがてキャラメルを始め、ピーナッツチョコ(板チョコ、チョコボール)や糖衣チョコも発売、いずれのお菓子にも、様々なおまけが付いていた。また懸賞も盛んに行われ、1965年から1966年にかけて、オバQお菓子の包み紙を贈ると、オープンリールテープレコーダーやオバQラジコン人形が当たる懸賞が行われていた。さらに1966年にはオープン懸賞として、「オバQといっしょにケニヤに行こう!」「Qちゃんとオトギの国デンマークへ行こう」が行われた(インド航空協賛)。これは葉書にオバQ(「デンマーク」ではP子でも良い)の似顔絵を描いて応募すると、抽選でケニア旅行やデンマーク旅行といった海外旅行が贈られるもので(「ケニヤ」の時は8ミリカメラが副賞)、海外旅行がまだ「高値の花」と言われたこの時期では、一際注目を浴びた。なお原作者の藤子不二雄は双方の審査員を担当し、旅行に同行した。また「デンマーク」の時は、「週刊少年サンデー」1966年28・29号で藤子不二雄が懸賞前にデンマークへ偵察に出かけた事を報告すると、似顔絵懸賞の説明と参考のための「オバQの描き方」(P子の描き方は無し)の記事を発表、そして旅行後の「週刊少年サンデー」1966年48号に、藤子・F・不二雄風の男性がデンマーク旅行に行った時の土産話を語る作品「デンマークに負けるな」を発表した。
1966年暮れには『オバQクリスマス』というレコードが発売された(P子や正太も登場するコロムビア盤と、Q太郎のみが歌う勁文社盤がある)。スポンサーの不二家が『オバQ』を通じて自社のケーキを買ってもらおうというタイアップ企画でもあり、ペコちゃんとQ太郎がクリスマスソングを歌う、景品のソノシートも制作された。
また2作目と3作目の間の1976年には、ポピー(現:バンダイ)の「超合金」のシリーズ企画で、懐かしの漫画キャラ・アニメキャラ・おとぎ話キャラをフィギュア化した「名作シリーズ」の一環として、オバQの「超合金」が発売。オバQを立てる台座やP子人形が付属しており、P子を背中に乗せたり、背中のボタン操作で口が開き、舌が出るギミックが付いていた。後年、『ドラえもん』『怪物くん』『パーマン』といったシンエイ動画版藤子アニメが放送された時は、ポピー→バンダイから「超合金」人形が発売されたが、本作のシンエイ版が放送された時は、オバQの「超合金」は発売されず、「名作シリーズ」版が唯一の「超合金」となった。
本作のキャラクターが登場する他の作品
国民的人気漫画であったことから、「オバQ」や「Q太郎」という名称や絵が登場したり、作中人物がQ太郎に扮したり、漫画やアニメのモブシーンに顔を出す作品は多数ある。ここでは「セリフのあるキャラクターとして登場するもの」「制作当時の社会風俗として登場しているもの」に限定する。
キャラクターとして登場するもの
漫画
- 『ドラえもん』(セリフのあるもの)
「なんでも空港」(てんとう虫コミックス32巻)、「不運はのび太のツヨーイ味方!?」(てんとう虫コミックス『ドラえもん プラス』1巻)、「のび太のドラビアンナイト」(『大長編ドラえもん』11巻)
このほかモブキャラとして「ほんもの図鑑」(てんとう虫コミックス6巻)、作中世界のテレビ番組として「おりたたみハウス」(てんとう虫コミックス24巻)、「ジャイアンよい子だねんねしな」(てんとう虫コミックス27巻)、「カチンカチンライト」(てんとう虫コミックス38巻)、「ジャイ子の新作まんが」(てんとう虫コミックス44巻)、スネ夫のコレクションとして「ポスターになったのび太」(てんとう虫コミックス33巻)に描かれている。
- 『おそ松くん』 - 赤塚不二夫の漫画であるが、週刊少年サンデー1966年10号に掲載された「オハゲのKK(ケケ)太郎」では藤子不二雄との合作という形でチビ太とQ太郎を共演するクロスオーバーが実現した。この話は『おそ松くん』竹書房文庫版22巻、及び「藤子・F・不二雄大全集」の『オバケのQ太郎』第5巻の巻末に収録されている。
- ヨシダ忠(元・藤子・F・不二雄アシスタント)による小学館の学習雑誌『小学一年生』の1974年版なぞなぞ漫画および付録の豆本 - この漫画および豆本の主役は「なぞえもん」という、ちょんまげ頭の小学生であるが(首から下は現代の普段着、舞台も現代で、通っている小学校でちょんまげは彼一人だけ)、Q太郎が同居しており、仲間のオバケたちもなぞなぞを出す話の都合上出演している。大原家は登場しない。
社会風俗として登場しているもの
漫画
- 長谷川町子『サザエさん』 - カツオがサザエのエプロンにいたずらでオバQを書き、追い回される回がある。
映画
- 『哀愁の夜』(1966年、日活) - 和泉雅子扮する美沙緒が経営するアニメ制作プロダクション「Qプロダクション」では『オバケのQ太郎』のテレビアニメを製作している。劇中で主演の舟木一夫と二人でスライドで『オバケのQ太郎』を見るシーンがあり、従業員一同で『オバケのQ太郎』の主題歌を合唱するシーンなどがある。
- 『喜劇 駅前漫画』(1966年、東京映画) - Q太郎とP子らがアニメと着ぐるみで登場。劇中に登場する玩具工場では当時のオバQグッズが作られている。その工場の社長(伴淳三郎)の息子は久太郎(頭師佳孝)という名で、いつもオバQの「Q」の字と唇をモチーフにした白いトレーナーを着ている。この作品に登場する漫画工房で描かれている漫画は『おそ松くん』である。なお久太郎役の頭師がレギュラー出演し本作と同じくTBS系列にて放送されていたテレビコメディ『いとはんと丁稚どん』(朝日放送制作)の、第26話(1966年4月18日放送)に「大松とオバQの巻」という話があるが、どのような内容かは不明。
本作に由来する愛称を持つもの
人物
- 高橋尚子 - 「Qちゃん」のあだ名で呼ばれている。その由来は、リクルート(当時)の陸上部新入部員歓迎パーティーで、全身にアルミホイルを巻き、カラオケで『新オバケのQ太郎』の主題歌を歌ったことによる。
- 田代富雄 - 「オバQ」の愛称があった元大洋ホエールズ選手。プロ入りした1973年に間の抜けたような受け答えをしたことから、当時の2軍コーチだった沖山光利に「オバQみたいなヤツだな」と言われたことが「オバQ」と呼ばれた始まりだった。それまで言われていた、その風貌(田代はむしろ目は小さい)や「オバケのように打球が遠くへ飛んでいく」などの説は違うという。当時、打席に立つ時にアニメのテーマ曲がエレクトーンで演奏された時期もあった。
- 栃乃和歌(元・大相撲力士、現・春日野親方) - その風貌と厚い唇から兄弟子の舛田山(現・千賀ノ浦親方)から「Qちゃん」と呼ばれていた。後に、そのあだ名が広まり「角界のオバQ」と呼ばれるようになった。
自動車
- いすゞ・BU - 1960年代から1970年代に製造された観光バスで、川崎重工業(1969年までの川崎航空機、のちの川重車体工業)が製造したボディは、前面がQ太郎に似ている(特にヘッドライト周りがQ太郎の唇に似ているという)理由で「オバQ」の愛称が付いた車がある(詳細は該当項目参照)。なお、ユーザー側の希望により、日野自動車や三菱自動車工業(三菱ふそう)のシャーシに同型のボディを架装した例も若干あった。
書籍情報
- 『オバケのQ太郎』 虫プロ商事〈虫コミックス〉全12巻
- 『オバケのQ太郎』(傑作選) 小学館〈てんとう虫コミックス〉全6巻
- 『オバケのQ太郎』(藤子不二雄自選集)小学館 全2巻(1巻は『オバケのQ太郎』、2巻は『新オバケのQ太郎』より収録)
- 『新編集オバケのQ太郎』 中央公論社〈藤子不二雄ランド〉全20巻
- 『新オバケのQ太郎』 小学館〈てんとう虫コミックス〉全4巻
- 『新オバケのQ太郎』 中央公論社〈藤子不二雄ランド〉全7巻
- 『Q The Spook』(オバケのQ太郎 英訳版) ラボ教育センター
※以上の単行本シリーズは2010年現在、全て絶版。1969年に刊行された虫コミックス版は、原作者ですら全巻持っていないといわれる(藤本によると、うちには1冊しか残っていないとのこと)。
- 熱血!!コロコロ伝説『新オバケのQ太郎』(別冊付録)2007年5月25日発売
- 『オバケのQ太郎』小学館〈藤子・F・不二雄大全集〉全12巻 2009年7月24日より刊行
- 『新オバケのQ太郎』小学館〈藤子・F・不二雄大全集〉全4巻
- 『オバケのQ太郎』小学館〈てんとう虫コミックス〉2015年7月24日より刊行。全12巻(1969年虫コミックス版の新装復刊)で、電子書籍配信も同時に実施。
- 第1巻 ISBN 978-4-09-142048-0
- 第2巻 ISBN 978-4-09-142049-7
- 第3巻 ISBN 978-4-09-142050-3
- 第4巻 ISBN 978-4-09-142058-9
- 第5巻 ISBN 978-4-09-142059-6
- 第6巻 ISBN 978-4-09-142060-2
- 第7巻 ISBN 978-4-09-142069-5
- 第8巻 ISBN 978-4-09-142070-1
- 第9巻 ISBN 978-4-09-142082-4
- 第10巻 ISBN 978-4-09-142083-1
- 第11巻 ISBN 978-4-09-142084-8
- 第12巻 ISBN 978-4-09-142085-5
- 第12巻 すごろく付き限定版 ISBN 978-4-09-159229-3
- 『新オバケのQ太郎』 (新装版) 小学館〈てんとう虫コミックス〉全4巻
- 第1巻 ISBN 978-4-09-142048-0
- 第2巻 ISBN 978-4-09-142049-7
- 第3巻 ISBN 978-4-09-142050-3
- 第4巻 ISBN 978-4-09-142058-9
- 第5巻 ISBN 978-4-09-142059-6
- 第6巻 ISBN 978-4-09-142060-2
- 第7巻 ISBN 978-4-09-142069-5
- 第8巻 ISBN 978-4-09-142070-1
- 第9巻 ISBN 978-4-09-142082-4
- 第10巻 ISBN 978-4-09-142083-1
- 第11巻 ISBN 978-4-09-142084-8
- 第12巻 ISBN 978-4-09-142085-5
- 第12巻 すごろく付き限定版 ISBN 978-4-09-159229-3
関連書籍
- 藤子不二雄『二人で少年漫画ばかり描いてきた -戦後児童漫画私史』(文藝春秋社、1980年)
- 月刊「創」編集部編『音羽vs一ツ橋』(創出版、1983年) - 小学館本社ビルがオバQビルと呼ばれているとの記述。
- 中野晴行編『鉄腕アトムワールド』(ぴあ、1993年) - マーチャンダイジングの歴史。オバQブームと怪獣ブーム。
- 米澤嘉博『藤子不二雄論 FとⒶの方程式』(河出書房新社、2002年)
- 安藤健二『封印作品の謎2』(太田出版、2006年) ISBN 4-7783-1006-3 - 絶版の真相について関係者の取材を行っている。
関連カテゴリ
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