サンワリ君
以下はWikipediaより引用
要約
『サンワリ君』(サンワリくん)は、鈴木義司による日本の4コマ漫画作品。読売新聞夕刊に連載された。
解説
1966年(昭和41年)6月22日より連載を開始し、2004年(平成16年)7月2日を最後に休載。その後17日に作者が死去したため、結果的に7月2日の第11240回が事実上の最終回となった。『サンワリ君』の連載終了以後、2012年10月1日に『オフィス ケン太』(唐沢なをき)の連載が開始するまで、読売新聞夕刊では4コマ漫画の掲載が途絶えていた。
連載38年、11240回に渡って親しまれた。2004年の終了時において、新聞連載の4コマ漫画の掲載期間は毎日新聞に連載された加藤芳郎の『まっぴら君』全13,615回に次いで歴代2位(改題・復題した東京新聞連載の佃公彦の『ほのぼの君(ちびっこ紳士)』全15,451回を考慮すると当時第3位)の連載記録であったが、同じ読売朝刊で1982年より連載中である植田まさしの『コボちゃん』をはじめ、2014年現在は多数の4コマ漫画がこれを超える連載記録を樹立しているため、現在は第7位である(4コマ漫画#長期連載記録を参照)。
1986年の一時期に作者病気のため休載した。連載再開した時には漫画の中にコボちゃんも登場した(後述)。
1993年7月1日に8000回を迎えた時には、同日朝刊で『コボちゃん』も4000回と同じく切りのよい連載回数を迎えた。これを記念して、同日夕刊に2人によるサッカーを題にした合作一コマ漫画が掲載された。当時はJリーグの発足直後でサッカーが話題になっていた。同紙面で杉浦幸雄は「「サンワリ君」八千枚のうちに、つまらない漫画は一枚も無いと断言できる。彼こそ近来希に見る天才である。」と鈴木に祝辞を贈った。
鈴木の死後、その担当記者による追悼記事が読売新聞に掲載された。それによると鈴木が悪性リンパ腫で入院後も原稿は毎日送られてきていたため、担当者ははじめ入院の事実を知らなかったという。また最後の数回は病状が深刻になったためか絵や字体が崩れてきており、ファンから「本当に本人が書いているのか」と編集部に問い合わせがあったという。また、追悼記事の挿絵として植田まさしが「さようなら!サンワリ君」と題したイラストを寄せた。旅立つサンワリ君(植田の筆による。顎のとがり方が植田独特の筆跡)をコボちゃん一家が寂しそうに見送る構図であった。
タイトルの由来は、主人公の話は“3割だけ信用できる”と評され「サンワリ君」と渾名されていることにちなむ。また、「人生の3割バッター、見た目は3割引」によるとも言われる。
稀に変則で3・4コマ目がぶち抜きの特大コマや、細かく分割された5コマの回もあった。
受賞
- 日本漫画家協会賞第31回(2002年度)大賞受賞(「サンワリ君他一連の作品」として)。さいとうたかを『ゴルゴ13』との同時受賞。
登場人物
エピソード
病気休養後の連載再開(1986年)
平成改元直後(1989年)。
1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇が崩御し、その日の夕刊は崩御報道一色となり、折からの自粛ムードから漫画は休載となった(昭和天皇#「崩御」前後も参照)。自粛期間が終わり連載再開直後のエピソードがこれである。
連載10000回目(2000年)
連載10000回目にサンワリ君が2人の人に「10000回おめでとう」と感謝の言葉を言われる。4コマ目に目前に迫った衆議院選挙の候補者に「お願いします」といわれる。
最終回(2004年)
この数回前から絵や字体が崩れ出し、吹き出しの線がなく台詞が書かれるなどの今までになかった現象が見られた。上述の追悼記事によると、最終回・1コマ目の背景で明らかに線の足りない箇所があった。締切が迫っていたため、「先生に失礼」と思いつつも担当記者が定規で線を書き足したという(鈴木の事務所には、承諾を得ている)。担当記者は「『オレの原稿に手を入れやがったな』と、天国の鈴木さんは顔をしかめているだろうか。」と述懐している。
書籍
- サンワリ君 単行本: 123ページ 出版社: ダイナミックセラーズ出版 (1988/09); ISBN 4884930754; ISBN 9784884930752
- サンワリ君 単行本: 176ページ 芳文社 51511-81 1981年刊