センゴク外伝 桶狭間戦記
漫画
作者:宮下英樹,
出版社:講談社,
掲載誌:別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン,
レーベル:KCデラックス,
発表期間:2月16日,11月15日,
巻数:全5巻,
話数:全38話,
以下はWikipediaより引用
要約
『センゴク外伝 桶狭間戦記』(センゴクがいでん おけはざませんき)は、宮下英樹による漫画。同作者による漫画『センゴク』の外伝作品。『別冊ヤングマガジン』・『月刊ヤングマガジン』および『週刊ヤングマガジン』で連載された。
概要
『センゴク』の外伝作品。本編の方は稲葉山城の戦いの決着から始まるのに対し、本作品はそれ以前に起きた桶狭間の戦いを中心に描かれる。そのため織田信長など本編の人物も若き姿で登場する。
サブタイトルに桶狭間の戦いこそ冠しているものの、今川義元が今川家を継ぐところから始まっており、ともに若き今川義元と織田信長を軸に物語が進行していく。戦国時代を「小氷河期による米不足が招いたもの」と定義し、戦国大名の強さを「より多くの米を得る者」としてその最強たる義元を描く一方で、銭という全く異なる価値観を提示し、「最も多くの銭を得る才を持つ者」として信長を対置する構成をとる。
「義元編」「信長編」「下克上編」までは『別冊ヤングマガジン(現在の月刊ヤングマガジン)』で連載されていたが、第四部からは本編を休載し『週刊ヤングマガジン』で連載される。
登場人物名の表記法
登場人物
※担当声優は『戦国大戦』でのキャスト。
今川家
駿河国大名。「今川仮名目録」によって治められ、義元が幕府からの独立宣言となる「仮名目録追加21条」を定めることで他国に抜きん出て真の「戦国大名」となる。
今川義元(いまがわ よしもと)
声 - 岡野浩介
本作品の主人公の一人。幼名は方菊丸、一時出家して梅岳承芳と名乗る。元服後の通称は五郎、後に治部大輔を称する。雪斎には「坊(ボン)」と呼ばれる。正妻の子ながら五男という立場のため、出生前から生涯を僧侶として過ごす事を約束されており、その母の誓いから「唐鏡の申し子」と称される。兄の氏輝や彦五郎らに比べ、武人らしからぬ柔和な風貌から「優男」と呼ばれていた。
天真爛漫な性格で、首塚で悪戯を仕掛けるなど奔放な生活を送っていた。一方で幼少から人心掌握や政略の感性に天賦の才を持ち、これを見抜いた雪斎から僧侶としてではなく大名としての養育を受ける事となる。家督相続後も鎧を嫌って跳ね回ったり、木の枝から逆さにぶらさがるなど童のような行動が抜けず、雪斎から窘められる事も多かった。だが次第に雪斎や宿敵たる織田信秀を唸らせる政務・軍略の才覚を見せる。
弟分として寵愛していた松平広忠を半ば見殺しにする計略を契機に、それ以前の明るさを保ちつつも人間として大きく変貌を遂げ、雪斎から「氏親以上の明君」「戦国武将として完璧な才」と賞賛される名君へと成長する。今川仮名目録追加と寄親寄子制、そして自身の圧倒的な武威によって豊かな領国に流入した流民(難民)を巧みに差配し、膨大な人口を統制された大軍勢として完璧に組織する事で、名実共に天下第一の人物となった。
物語終盤、膨大化した人口を養うべく更に別の領民の地へ進出する、一種の膨張主義を小氷河期に民を養う術と考え、尾張侵攻を開始する。信長とぶつかる戦に歴史の必然である宿命を感じながらも、大軍を過信する事無く諸将を掌握しながら確実に尾張占領へ手を進めていき、また信長の奇策も看破して窮地へ追い込んでいく。しかし最後には全てを乗り越えた信長自身による桶狭間の奇襲に遭い、これを待ち望んだ遊び相手たる宿敵の到来と喜んで自ら太刀を抜き戦陣に飛び込むも、時代に選ばれなかった自らの運命を受け入れて、討死する。
外見のモデルは、ジェイソン・ケイ。『戦国大戦』ではSS今川義元としてカード化されていたが、1.10に入ると排出停止となった。
後に本編でも、『桶狭間戦記』では描かれなかった「善徳寺の会盟」の詳細を描く場面で、雪斎とともに登場する。
太原雪斎(たいげん せっさい)
声 - 浜田賢二
かつての名は九英承菊、義元に仕えてからは崇孚と名乗る。今川重臣庵原左衛門の子。戦国時代最高の軍師。義元には「お師匠」と呼ばれる。
京都建仁寺に入り、仏道修行に明け暮れていた文武両道の僧侶。ひたすら生真面目に仏道の理想を追求していたが、寺と世の中の醜さを痛感し道を見失う。その後は反動で破戒僧として堕落してしまい、半ば京都を追われる形で故郷の駿河へ舞い戻る。帰郷後は父の主君である今川氏親と会談して、乱世を生きる大名達に強い興味を抱かされる。また五男・方菊丸(義元)の教育役となり、幼い少年に大名としての才覚の片鱗を見て、義元を僧侶としてでなく「戦国大名」として育てる事に後半生を費やす決意を固める。
京都の修行を経て、今川氏輝・今川彦五郎の相次ぐ「怪死」による家督争い(花倉の乱)が起きると、義元の後見として家督相続に奔走する。以後も義元の軍師としてその成長を見守り、また重臣の一人として緒戦闘に加わり、破竹の勢いだった織田信秀を小豆坂の戦いで破るなどの功績を残す。齢六十を前に自らの寿命を悟ると、武田・北条よりも強い相手と見定めた織田家との争いに義元を集中させるべく、甲相駿三国同盟と義元・晴信・氏康の「善得寺の会盟」を最後の奉仕として実現する。後事を朝比奈、三浦の両名に託すと自らは隠棲、第二次川中島の戦いの調停に出征する義元との今生の別れの後に、往生を遂げた。
外見のモデルは、渡辺謙。『戦国大戦』ではSS太原雪斎としてカード化されていたが、1.10で排出停止となった。
義元と雪斎は後に本編でも、北条氏康の視点から見た「善徳寺の会盟」において登場する。
今川氏親(いまがわ うじちか)
寿桂尼(じゅけいに)
今川氏輝(いまがわ うじてる)
玄広恵深(げんこう えたん)
朝比奈泰能(あさひな やすよし)
朝比奈泰朝(あさひな やすとも)
岡部元信(おかべ もとのぶ)
通称は五郎兵衛。以前は真幸の名で登場。今川家の武将。馬鎧風の甲冑を身に纏う異様な出で立ちの武者。小豆坂の戦いで雪斎麾下の将として織田軍を撃破する活躍を見せ、義元から自分や雪斎の戦術を具体的な指示なしに遂行できる人物と信頼されている。桶狭間の戦いでは鳴海城城主として前線拠点の防衛にあたり、信長の奇襲を独自に察知して千秋四郎らを討ち取った。しかし死地を越えた信長の奇襲から主君を守る事はできず、義元討死の方を聞くと直ちに切腹しようとした。兵士達の引止めに「(義元不在の)今川家の行く末など知らぬ」と答えるも、「ならば自分達の寄親としての道がある」と説得され、義元の首を取り戻すまで織田軍と戦いを続けたという。
松井宗信(まつい むねのぶ)
松平家
後の徳川家。三河の大名。織田に翻弄されながらも、今川家に従属している。
松平元康(まつだいら もとやす)
松平広忠の嫡男。幼名は竹千代。今川家への従属を決断した父のために今川家の人質となるはずだったが、織田信秀の謀略によって織田家の人質となる。そこで少年時代の信長とも知り合っているが、太原雪斎によって捕らえられた織田信広と交換される形で今川家に取り戻された。後に元服して義元の「元」の偏諱を与えられ元康と改名、その姪である築山殿を娶った事で今川一門の武将「松平次郎三郎元康」と名乗る。祖父・父から続く猛将の資質とその裏返しとしての癇癪を引き継いでいるが、他方で信長に誘拐されたときに幼児にも関わらず「声を出すな」と言われて最後まで沈黙を続けるような忍耐強さも持つ。
尾張侵攻の際には新式の鎧具足を与えられて大高城への兵糧補給を成功させる。桶狭間の戦いの後は、幼少期に雪斎から受けた教えを自ら解釈し、今川家から独立して徳川家康を名乗る。
松平広忠(まつだいら ひろただ)
松平信定(まつだいら のぶさだ)
戸田康光(とだ やすみつ)
織田家
尾張国守護代の称号を持つ大名家。尾張守護である斯波家を傀儡として実権を握るが、織田家内でも守護代家(本家)から複数の分家に実権が移されている。
織田弾正忠家
清洲織田家に仕える清洲三奉行の一つ。守護又代家の家老格という一族の末家ながら津島支配によって膨大な財力を持ち、清洲織田家からも一目置かれている。
織田信長(おだ のぶなが)
本作品の主人公の一人。幼名は吉法師、元服後は三郎、上総介を名乗る。織田信秀の三男。少年時代から青年時代にかけて自らを悪郎(わろ)と名乗る。危うい程の純粋さで父や祖父が目をつけてきた金銭に興味を持ち、嫡子ながら家臣たちも手を焼く問題児として後継者から外されていた。信秀から織田弾正忠家を託された後、兄弟や一族を手にかけて悲壮な覚悟の下に尾張統一を果たす。武士たる家臣団ではなく自らの頭で物事を考える商人衆を信頼し、商家の次男三男を馬廻りとして重用している。
父・信秀は雪斎に対し「米を得るための強さ」ではなく「銭を得るための弱さ」において類稀であるという信長観を語り、義元・雪斎の今川主従に強く注目されていくこととなる。信長自身も仮名目録追加を読み耽るなど義元の諸政策を研究し、強大化していく今川家を恐れている。そして今川家が尾張国に狙いを定めると、政務を投げ出して義元の考えを探り見抜く事に没頭、自他共に認めるように「惚れた相手」を見つけたかの如く四六時中、思案を続けていた。
尾張侵攻が始まると動揺する家臣や国人、商人衆を纏めながら僅かな可能性に賭けて奇襲を試みるも、悉く義元に看破されて追い詰められていく。しかし決死の覚悟で行った桶狭間の奇襲で遂に義元本隊を捕らえ、乱戦の末に義元を討ち取った。戦場から義元の首を持ち帰る際、服部小平太らに「惚れすぎた故にやっちまった」と呟くなど、憎悪と親愛の入り混じった感情を抱いていた事を吐露している。そして首検分で義元の首の前に座り、法度を作り民を養う者(義元)が死に、場当たり的に戦を繰り広げる自分が生き残るのが定めなら、「人間(じんかん)の限り業を尽くすのみ」と決意した。その後、天下統一事業に着手し、短期間で上洛を成し遂げる。
織田信秀(おだ のぶひで)
通称は弾正忠、三河守とも。法名は桃巌。信長の父で尾張守護代家老にあたる家柄である織田弾正忠家を統率する。父・信貞が手に入れた津島支配を背景に尾張で勢力を拡張しながらも、父とは異なり商人からの熱狂的をも取り付ける「器用の仁」。天魔鬼神の如き悪謀の持ち主で、武勇のみならず様々な策謀や計略にも長けており、急速に勢力を拡大させる。信長とは互いに殺そうとすらする奇妙な親子愛がある。
三河領有を巡る謀略合戦では義元の策略に陥って一度は窮地に立つも、「禁手」により竹千代を奪うなど大名としての経験差で勝利を奪い取った。しかし小豆坂の戦いで雪斎に敗戦、加えて期待していた長男・信広が今川軍の捕虜になる失態を犯した事で竹千代も奪い返され、三河領有で最終的な敗北を喫してからは覇気を失い始める。晩年には体調も悪化し、同族の反抗を許すまでになってしまう。しかし、織田信清の反乱を、軍勢の数に劣りながらその人心を掌握して一丸となって当たりこれを鎮めた後、信長に胸襟を開き、父信貞の恐怖の治世を上回るために「仁道を説き義で人を支配」しようとした自らの夢と、それをなし得ず父の撒いた恨みを宥めることに終止した現実を語り、自分の「器用」で義元に優れなかったが故に「日ノ本で最も不器用」な信長を後継と定め、後を託して亡くなった。
織田信貞(おだ のぶさだ)
織田信広(おだ のぶひろ)
通称は三郎五郎。信秀の長男で、信長・信行・秀俊の兄。小豆坂の戦いでの先鋒役を務めるなどの事跡から、本作では庶子ながら当初は家督継承の筆頭であったと解釈されている。単に長男というだけでなく武勇の誉れも高く、父や家臣団からの深い信頼を集めていた。当主代理として人質であった松平竹千代の養育も任されるが、その際に自身に一礼をしなかった竹千代を「凡庸で将器はない」と評価していた(当の竹千代は信長と会った際には一礼している)。
家督相続を前に織田家と今川家の決戦である小豆坂の戦いで先鋒役の大任を務めた。この戦いでは通説とは異なり遭遇戦ではなく奇襲での勝利を狙い、意図的に横槍を試みる様子が描かれている。だが奇襲は遠征軍を率いる太原雪斎に看破されており、逆に伏兵攻撃を受けて動揺した挙句に後方へ逃げ帰ってしまう。この失態から当初の勇名も廃れ、「悪銭」として家督相続から除外された。
その後は三河における織田家の前線拠点である安祥城城主を務めていたが、先の戦いで信広の弱気を見抜いていた義元の計略により安祥城の戦いで捕縛される。信秀は長男救出と引き換えに竹千代を手放す事を余儀なくされ、織田家の三河撤退の原因を作るという更なる失態を犯す。本編では信長の家督相続により弟に仕える身分として登場、伊勢長島包囲戦で信長の計略に激怒した一向宗軍の攻撃を受けて討死する。
織田信行(おだ のぶゆき)
通称は勘十郎。信長の実弟。文武両道にして威儀が正しく、それでいて父譲りの豪胆さも併せ持っている。母・土田御前からは信秀譲りの姿から深い寵愛を受けていた。
自身を利用しようとする叔父達の意図を見抜いた上で敢えて担がれる選択を行うなど、「弟は弟で手綱を取り辛い」と評される。柴田勝家ら重臣団からの信頼も得て稲生の戦いでは兄を上回る軍勢を引き連れて望むも、信長自らが手傷を負いながらの奮戦に敗北を喫してしまう。その後も信安、信広ら一族内の反信長派と連帯して対峙を続けるが、信長が商人衆の支持を取り付けると徐々に押されていく。そして遂に叔父・信安の失脚、勝家の寝返りによって失脚に追い込まれる。兄を勝利に導いた「銭」の力を自問しながら、土田御前の眼前で信長に刺殺される。
自らの死は覚悟していたと信長に伝えるが、互いの母の眼前であった事は「余りにも」と呻いた。
平手政秀(ひらて まさひで)
柴田勝家(しばた かついえ)
服部小平太(はっとり こへいた)、服部小藤太(はっとり ことうた)、河村久五郎(かわむら きゅうごろう)、恒川久蔵(つねかわ きゅうぞう)
清洲織田家
尾張下四郡守護又代。二つある守護又代の一つで、織田弾正忠家にとっては直接の主家にあたる。
織田信友(おだ のぶとも)
岩倉織田家
尾張上四郡守護又代。清洲織田家よりも格上とされ、織田本家から実権を掌握している。
織田信安(おだ のぶやす)
尾張の土豪
斯波家
尾張の最高権力者として君臨するが、実質的な実力は守護代の織田家に奪われている。
斯波義統(しば よしむね)
土田家
生駒家
吉乃(きつの)
本名はお類。生駒家の息女で、信長が最も深く愛した側室。信長からは吉乃と呼ばれ、自身は信長を幼名から吉様と呼んでいた。宮仕えしていても不思議ではない美貌に加えて鼓の名手であったが、男と間違われる程の長身だったために婚期を逃していた。一見すると大人しく気弱な性格だが、根の部分は強情で一度心に決めると譲らない。侍女の五さは「人を見る目は確か」と評していた。信長に見初められるが、織田家と斎藤家の間で婚姻が成立したことで信長が斎藤道三の娘である濃姫(帰蝶)を正室として娶る事になり、信長の母である土田御前の説得もあって身を引き、土田家の武将である土田弥平次と婚姻する。
しかし土田弥平次の死により寡婦となっていた所を信長が側室として迎え、長男・信忠を儲けるなど正室以上の寵愛を受けた。桶狭間の戦いの直後に病没する。
津島十五党
堀田正貞(ほった まささだ)
熱田商人衆
その他の大名家
斎藤家
斎藤道三(さいとう どうさん)
武田家
北条家
長尾家
その他
服部友貞(はっとり ともさだ)
土岐頼純(とき よりずみ)
書誌情報
- 宮下英樹 『センゴク外伝 桶狭間戦記』 講談社〈KCデラックス〉、全5巻
- 2008年2月6日発売、ISBN 978-4-06-361642-2
- 2009年3月6日発売、ISBN 978-4-06-375666-1
- 2010年6月4日発売、ISBN 978-4-06-375926-6
- 2010年10月6日発売、ISBN 978-4-06-375972-3
- 2010年12月29日発売、ISBN 978-4-06-376001-9
- 「特装版」同日発売、ISBN 978-4-06-362185-3
- 「特装版」同日発売、ISBN 978-4-06-362185-3