ピングー
以下はWikipediaより引用
要約
『ピングー』(Pingu)はスイス発祥のクレイアニメであり、南極に住むコウテイペンギンの「ピングー」とその家族を描いている。 本作は、登場キャラクターが特定の言語ではなく、「ピングー語」という視聴者にはわからない言語で会話していることを特徴としており、登場キャラクターの声は、すべてカルロ・ボノーミ(イタリアの俳優)によるものである。 キャラクターはすべて発泡スチロール製の芯の上に色粘土のパーツを組み合わせた人形であり、これらの人形をストップモーション・アニメーションの手法で撮影し、映像を製作していた。
1980年に本作の原型となるテストフィルム「Hugo」が製作され、1987年にはパイロットフィルム「南極からやってきたピングー」(1986年制作)が、第37回ベルリン・フィルム・フェスティバルに入賞。
グットマンの逝去に伴う制作体制の変更などを挟み、1990年から2000年にかけてテレビシリーズが4シーズン分放送された。
その後は、親会社の経営破綻や買収などに伴い、何度か権利元が変更されつつもテレビシリーズの放送が続けられた。
制作
原作はオットマー・グットマン(Otmar Gutmann)とエリカ・ブリュガーマン(Erika Brueggemann)である。
本作に登場するキャラクターはすべて発泡スチロール製の芯の上に色粘土のパーツを組み合わせた人形であり、これらの人形をストップモーション・アニメーションの手法で撮影し、映像を製作していた。
1993年スイスのルシコンに「Trickfilmstudio」(別称Pingu Studio)設立。同年、原作者の一人であるグットマンが死去し、彼の友人だったアニメーター甲藤征史が製作に参加した。 この時点ではテレビシリーズの第2シーズン「ピングーの遊園地」の最初の部分のみ撮影されていた。グットマンによるシナリオは肝心の終わりの部分が欠けており、甲藤はセットや小道具から推測して後半部分を制作した。 グットマンは絵コンテを作らない制作スタイルだったが、制作再開を機に、甲藤によって絵コンテなどが作成された。 また、甲藤は幼い視聴者がピングーに共感することを踏まえ、心理表現には非常に気を使ったと朝日新聞の荒ちひろとのインタビューの中で明らかにしている。 甲藤は5年間、製作に携わった。
2001年、「Trickfilmstudio」の親会社であり本作の権利保有及び制作を手掛けていたオランダのアムステルダムに拠点を置く「The Pygos Group」社が破産、全ての資産をイギリスのヒット・エンターテインメント社に売却し、2002年から2006年にかけて制作された第5シリーズ・第6シリーズ及びミニシリーズ「ザ・ピングーショー」はヒット社傘下のHOT Animationで製作された。但し、「The Pygos Group」の名称は現在もコピーライト等で使用されている。なお、売却以後にリリースされた第4シリーズ以前のDVD版は、初期にリリースされたVHS版と異なり、オープニングや劇中の台詞、BGMが著作権の都合で大幅に変更されている。
スイスで制作されたシリーズの脚本はすべてシルヴィオ・マッツォーラが執筆したのに対し、ヒット社で制作されたシリーズでは何人かの脚本家によって物語が作成された。 2011年、権利元のヒット社が米大手玩具メーカーのマテルに買収され、本作の権利もマテルへ移行した。
2017年より、日本の3DCG制作会社ポリゴン・ピクチュアズ及びNHK、マテルが共同で新シリーズ「ピングー in ザ・シティ」を製作。映像は同じく日本の3DCG制作会社であるダンデライオンアニメーションスタジオが製作している。
略歴
- 1980年 - 原型となるテストフィルムが作成される。
- 1986年 - パイロットフィルム「南極からやってきたピングー」が作成される。
- 1987年 - 「南極からやってきたピングー」が第37回ベルリン・フィルム・フェスティバルに出展。
- 1990年 - スイスでピングーシリーズのテレビ放送開始
- 1990年 - 第6回インド国際子供フィルム・フェスティバルで「銀の象賞」受賞。「僕はピングー」
第3回カイロ国際子供フィルム・フェスティバル入賞。「ピングーの卵のおもり」
- 1991年 - スイスでピングーシリーズ2のテレビ放送開始
第18回「日本賞」教育番組国際コンクールで「前田賞」を受賞。「ピンガの迷子」 ニューヨーク国際フィルム・フェスティバル入賞。「ピンガ誕生」
第2回ドイツ・子供のためのテレビ番組入賞。「ピングーとお医者さん」とそれまでに制作された全27話
- 1991年 - 世界各国でもピングーの放送開始。日本ではWOWOWで初の放送開始。
- 1993年 - スイスのルシコンにピングー・スタジオ設立。
オットマー・グットマン逝去
- 1993年 - 新スタッフでの制作開始
「ピングー・コミック」の連載スタート
- 1998年 - アイダホ州子どもフィルム・テレビジョン・フェスティバル、アニメーション短編部門受賞。「ピングーのしかえし」
- 2001年 - 諸権利がヒット・エンターテインメント社に移行
- 2005年 - 初の英国版となる第5シリーズの制作開始
- 2006年 - バンド「Eskimo Disco」の楽曲「7-11」のミュージックビデオに出演
- 2009年 - BBC制作のチャリティーシングル「Children in Need Medley」のミュージックビデオに出演
- 2011年 - 米マテル社がヒット・エンターテインメント社を買収、諸権利がマテル社に移行
- 2017年 - 国内制作の「ピングー in ザ・シティ」が公開
日本での放送
1992年にテレビ東京にて日本初放送が行われた。その後も同じくテレビ東京系列のTVQ九州放送の『あそぼうラッキー』など、地方民放や独立局で頻繁に放送された。
全国放送ではNHK教育テレビの『ぐっとくるサンデー』内にて放映。その後、同局の『ニャンちゅうワールド放送局』内にて放送された。2007年4月からは、上記番組の放送時間変更にあわせて、新シリーズ「ザ・ピングーショー」がスタートした。初めての試みとして、日本語の解説が入るようになった。
CSでは2007年4月から2008年6月まで、スカイパーフェクTV!のアニマックスで平日8:20~と毎週日曜日9:20頃~放送。カートゥーン ネットワークでも2011年6月4日から放送された。
2017年10月7日にNHK Eテレで、『ピングーinザ・シティ』の放送が開始された。毎週土曜午前9:20 - 9:27、再放送17:25 -17:32。
登場キャラクター
主人公
ピングー(Pingu)
本作の主人公。明るく元気なコウテイペンギンの男の子。
やんちゃなところがあり、時々いたずらが過ぎてパパとママに怒られることもある。
一方で双子のペンギンの赤ちゃんのベビーシッターをしたり、貧しいオルガンおじさんを助けたりなど、頼もしい部分もある。
お気に入りはクマのぬいぐるみ。
緑色の野菜が苦手。これが食べられないために幾度も騒動を引き起こしている。それ以外(魚や菓子類)はほとんどが好物。
大声で叫ぶ際、嘴がラッパのような形状になる。怒ったり悔しがったりするときはくちばしをとがらせてツーツーと叫ぶことがあり、のちにこれは彼のトレードマークとなった。鳥類の筈だが、一部の回で嘴の奥に歯が生えていることが確認できるシーンがある。
妹のピンガには意地悪する事もあるが、一緒に遊んであげたり、幼稚園に付いていってあげたりと基本的には可愛がっている。
手先が器用。楽器演奏の習得が早く、かなりの腕前。何度か物語の中で披露している。
ピングーの家族
ピングーの友人
ピンゴ(Pingo)
その他のペンギン
ペンギン以外のキャラクター
エピソード
主題歌
サブタイトルに使用される曲は「Pingu Dance(ピングー・ダンス)」というタイトルの曲である。デビッド・ハッセルホフの歌唱による、約3分20秒のフルバージョンがある。
日本版VHS・DVDの主題歌
オープニング(初期・VHS版)
エンディング(初期・VHS版)
エンディング(再放送前半期)
エンディング(再放送後半期)
日本版VHSの挿入歌
「Woodpeckers from Space」(初期・VHS版「ピングーの卵のおもり」挿入歌)歌:VideoKids
「ハンド・イン・ハンド」(初期・VHS版「ピングーのアイスホッケー」挿入歌) 歌:コリアナ
- 最近の再放送では主題歌が異なる。オープニングは雪で「PINGU」の文字を作るところから始まる。
- 再放送のエンディングは前半ではピングーのテーマ、後半ではVHS版の映像を使用した日本独自のものが起用されている。
受賞歴
- パイロットフィルム
- 第37回ベルリン・フィルム・フェスティバル(1987年)
- Palmares(1989年)
- 僕はピングー
- 第6回インド国際子供フィルム・フェスティバル 銀の象賞(1990年)
- ピングーのお家づくり
- 第18回「日本賞」教育番組国際コンクール 前田賞(1991年)
- 第37回ベルリン・フィルム・フェスティバル(1987年)
- Palmares(1989年)
- 第6回インド国際子供フィルム・フェスティバル 銀の象賞(1990年)
- 第18回「日本賞」教育番組国際コンクール 前田賞(1991年)