ワタリ (漫画)
題材:忍者,
以下はWikipediaより引用
要約
『ワタリ』は、白土三平による日本の漫画作品。実写映画化もされた。
概要
『週刊少年マガジン』(講談社)で連載された。全三部構成。単行本は全7巻。「第一部」が 1965年(昭和40年)から1966年(昭和41年)に、「第二部」が 1966年(昭和41年)に、「第三部」が 1967年(昭和42年)にそれぞれ執筆された。1965年頃につげ義春を伴い千葉県大多喜の旅館寿恵比楼に宿泊し、この作品のコマ割りを手がけていた。この際にはしばしば釣りに出かけたが、蟹取橋下流側の好釣り場では杭の穴に足を落とした。このエピソードはつげ義春の『西部田村事件』で患者が足を杭の穴に落とすエピソードとして描かれた。
1966年(昭和41年)には、『大忍術映画ワタリ』のタイトルで映画化。1969年(昭和44年)には『忍風カムイ外伝』の後番組としてTCJ、宣弘社によってテレビアニメ化が企画され、パイロットフィルムも製作されたが、実現しなかった。
ストーリー
第一部・第三の忍者
時は天正年間、百地党と藤林党の争いが続く伊賀の里。そこでは下忍たちの命は使い捨ての駒として軽く扱われ、「死の掟」と呼ばれる意図不明な粛清に怯える日々を送っていた。そこへ突如、伊賀の里に現れた謎の忍者、ワタリとじい(四貫目)。彼らは伊賀、甲賀、いずれにも属さない「ワタリ一族」と呼ばれていた。百地党と藤林党の争いの最中、下忍たちは「死の掟」をはじめとする圧政を打倒するために「赤目党」を結成。一旦は首領を倒したが、最終的には壊滅に追い込まれ、さらなる圧政が敷かれることになる。そしてワタリとじいに藤林党首領直属の暗殺部隊「伊賀崎六人衆」が迫る。
第二部・0の忍者
「死の掟」の謎が明らかにされたことで、既存の支配体型が崩壊し、代わりに百地党と藤林党の主だった下忍たちで結成された「赤目党」による統治が始まった。かつての伊賀の支配者であった音羽の城戸は、自身はあくまでも真の支配者の命に従っただけだと弁明するも「百地赤目党」のリーダー石川のオビトは一笑に付し、聞き入れることはなかった。その後伊賀の真の支配者を名乗る「0の忍者」が現れ、人知を超えた忍術により次々に倒される赤目党の忍者たち、そしてワタリと心通わせた少女アテカも0の忍者に殺される。復讐を誓ったワタリはオビト達赤目党と共に0の忍者に戦いを挑むも敗れ、オビトは伊賀の人々の手にかかり、ワタリも0の忍者の脅迫に屈し伊賀を去った。その後、0の忍者を後ろ盾に復権した城戸による伊賀支配がはじまるが、その時、流行病で死んだはずの伊賀の少年カズラが墓より蘇り、ワタリと同じ術を用いて音羽の城戸と0の忍者に相対していく。
第三部・ワタリ一族
天正伊賀の乱、本能寺の変と時代は大きく移り変わっていく中、どこの誰にも仕えない事を理念としていたワタリ一族もまた時代と共に変化を遂げつつあった。そんな中、ワタリとじいはワタリ一族を取り巻く陰謀に巻き込まれていくことになる。
登場人物
第一部
百地党
赤目党
「死の掟」など首領の圧政に対からの解放を目論む下忍たちで構成されたレジスタンス。最終的に城戸や首領によって壊滅するが、花組や土組などが後に赤目党を再興し、ワタリと共闘することになる。
カズラ
藤林党
伊賀崎六人衆
道順直属の暗殺部隊。当初は赤目党参加者の暗殺を行っていたが、赤目党壊滅後はワタリと四貫目を標的に行動を開始する。
映画
『大忍術映画ワタリ』のタイトルで映画化。東映の劇場映画として、1966年(昭和41年)7月21日に公開。カラー、シネスコ、82分。東映京都撮影所(以下、京撮)。
東宝の独壇場だった特撮映画に挑戦した大映の『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』『大魔神』に負けじと乗り出した東映初の本格的特撮映画で、東映が得意とするアニメーションの実力の全てを投入して製作し、東映として今後も特撮映画製作に本腰を入れると発表した。
本作が当たったため、日活と松竹も1967年の春休みを当て込んで特撮映画を企画し、日活は『大巨獣ガッパ』を、松竹は『宇宙大怪獣ギララ』を企画した。
同時上映は『サイボーグ009』(東映動画、この作品も『少年マガジン連載)と『なかよし合奏団』(東映教育映画)で、金子吉延演じるワタリが『009』主役の「島村ジョー(009)」と握手する合成写真が劇場や宣伝で使われた。
スタッフ
- 製作:大川博
- 企画:岡田茂、秋元隆夫、新海竹介
- 原作:白土三平(『週刊少年マガジン』連載)
- 監督:船床定男
- 脚本:伊上勝、西村俊介
- 音楽:小川寛興
- 撮影:國定玖仁男
- 照明:長谷川武夫
- 録音:荒川輝彦
- 美術:矢田精治
- 合成:松本春吉
- 編集:神田忠男
- 助監督:本田達男
- 記録:矢部はつ子
- 装置:矢守好弘
- 装飾:笠井伴夫
- 美粧:堤野正直
- 結髪:橋本明子
- 衣裳:三上剛
- 擬斗:谷明憲
- 舞踊指導:長曾我部はる子
- 進行主任:中川卓慶
特殊撮影班
- 特撮監督:倉田準二
- 撮影:赤塚滋
- 照明:若木得二
- 録音:中山茂二
- 美術:石原昭
- 助監督:清水彰
- 記録:勝原繁子
- 協力:東映動画スタジオ(森康二、菊池貞雄、羽根章悦)
- 現像:東映化学工業
挿入歌
- 「ワタリ」(歌:佐々木新一)
- 「ワタリまーち」(歌:佐々木新一、キング合唱団)
2曲ともに、作詞:たなかゆきお、作曲:小川寛興。
配役
- ワタリ:金子吉延(「少年スター」と併記)
- ツユキ:本間千代子
- 新堂の小次郎:村井国夫
- 爺(四貫目):牧冬吉
- 楯岡の道順:天津敏
- 百地三太夫:内田朝雄
- 雲組小頭:楠本健二
- カンパチ:汐路章
- トリコ:原健策
- ドンコ:ルーキー新一
- 藤林長門:瑳川哲朗
- ハンザキ:加藤浩
- カズラ:伊藤敏孝
- ピロン:金子剛
- ツブキ:岡田千代
- シジマ:脇中昭夫
- 下忍
- 波多野博
- 春川純
- 土橋勇
- 矢部義章
- 末広恵二郎
- 有島淳平
- 香月涼二
- カンネ:宍戸大全
- シブタレ:西田良
- クグツメ:大城泰
- ヨサメ:阿波地大輔
- 雨組小頭:岩尾正隆
- 「全国応募少年スター」
- 平助:池田起教
- 三太:竹渕文明
- 次郎:田中基幹
- 貞吉:長張卓実
- 音羽の城戸:大友柳太朗
- 波多野博
- 春川純
- 土橋勇
- 矢部義章
- 末広恵二郎
- 有島淳平
- 香月涼二
- 平助:池田起教
- 三太:竹渕文明
- 次郎:田中基幹
- 貞吉:長張卓実
製作
企画
クレーム
渡邊次長はこの『ワタリ』の映画化と続くテレビシリーズ化を、入江、芝田と協力してプロジェクト化していた。しかし原作者の白土の怒りは収まらず、公開後には「こんな映画はもってのほかじゃ!!、今後一切東映とは付き合わない!!」として東映と縁を切ってしまった。
このような事情で『ワタリ』カラーテレビ番組化のプロジェクトは頓挫したが、渡邊は今度は原作を忍者漫画のもう一方の第一人者であった横山光輝に依頼、このテレビ時代劇企画は、翌年に『仮面の忍者 赤影』(関西テレビ)として実現に至った。こうして作品は変わったが、渡邊や芝田らの目指した「カラーテレビ番組」制作の夢が叶うこととなり、『ワタリ』で培われたカラーでの撮影・合成技術のノウハウや、金子吉延や牧冬吉、天津敏らのキャスティングは、そのまま本作で特撮を担当した倉田準二監督によって、『赤影』に受け継がれた。本作の楽曲も、一部が『赤影』に流用されている。
原作からの改変を許さない白土三平と、原作と映画は別ものと割り切る横山光輝、この対称的なスタンスは、どちらも以降の漫画映画の実写化を巡る定番となった。後者はプロモーションのため、原作者の"お墨付き"をファンに向けアピールする例が増えていく。
監督
キャスティング
船床は『隠密剣士』『丹下左膳』に出演していた子役の大森俊介に出演を依頼していたが、大森はこれを断り、その後引退した。
風間杜夫らとともに東映児童演劇研修所一期生の本間千代子が女忍者役で出演している。
製作費
撮影
作品の評価
すでに時代劇は下火となっていた中で、夏休み映画としてヒット。
『週刊新潮』は「動画と俳優の組合せが売物だけに、ワタリ少年が虹をかけるファンタジックな美しい場面もあるが、問題は全編これ"グロと殺リク"で満ちていることだ。何しろ原作は、正義と悪が戦って悪が勝ち「これが歴史さ」などとつぶやくことで大学生にうけている"唯物論漫画"とやらの白土三平。それだけに二組の忍者の対立も、どっちが正か悪かの判然としないし、次々に忍者が殺されるのも、何のための死か子供に納得いくシロモノではない。忍者の顔が青や黄に色どられたり、蛾を使う忍者の死体が黄色の粉になるなどグロ要素も濃厚。『教育ママならずとも、これはあまりにヒド過ぎる。ここにないのはエロだけだ』という批評家もいる。しかし興行成績は徹底したお子様向け番組が奏功して大ヒット。東京の一部(映画館)では二週間ロングという景気である。もっとも心配なのは、子供への影響より大学生への影響かもしれない。なぜなら、映画館を満員にしているのは夏休み中の高校、大学生だからだ」と批評している。
『映画年鑑』1967年版では「"ヤクザ"と"エロチシズム"の"不良性感度"映画で、東映が日本映画の品位と質を著しく落とした中で一つ特記すべきは『ワタリ』の製作で、特撮物といえば怪獣映画に右へ倣えする中にあって、特撮と動画と劇を一体化した新しい映画を考え出し、年少ファンのための特撮時代劇路線を開拓したことである」と評価されている。
本作は海外にも輸出され、オリエンタルな要素が受け、フランスなど欧州や、台湾でも大ヒットした。『ワタリ』を観た台湾の映画プロデューサー黄銘は船床定男の演出手腕に注目し、西村俊一を説得して『銀姑』という映画を撮らせている。またさらに台湾映画界は「ワタリ」役の金子吉延を招き、1970年(昭和45年)に、金子の主演で特撮冒険映画『神童桃太郎』、『桃太郎斬七妖』を制作している。
影響
本作のヒットを受け、岡田茂京撮所長は、時代劇復興の望みを込め、時代劇の一路線として「特撮シリーズ」の路線化を決めた。同シリーズ化により、以降『冒険大活劇 黄金の盗賊』『怪竜大決戦』『まぼろし黒頭巾 闇を飛ぶ影』などが製作された。岡田は「『怪竜大決戦』の主人公自来也というのは、かつて時代劇初期のスター尾上松之助の当たり芸で、同時に"活動写真ファン"を飛躍的に増加させた作品だった。しかし、当時は特撮技術を未熟で、ストーリーの面白さを充分に活かし切れなかった。今日の特撮技術を持ってすれば、もう一度"忍術ブーム"を招来することが出来ると信じている。配役的にはスポーティな魅力を持つ松方弘樹がその中心になる」と話した。
参考文献
- 『大特撮』(有文社)
- 『赤影大辞典』(たちばな出版)
- 『「月光仮面」を創った男たち』(平凡社新書)
- 石橋春海『’60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』コスミック出版〈COSMIC MOOK〉、2013年12月5日。ISBN 978-4-7747-5853-4。