勇気凛々
ジャンル:経済,
以下はWikipediaより引用
要約
『勇気凛々』(ゆうきりんりん)は、高杉良による企業小説である。
概要
元々は1996年より角川書店が月1冊ペースで刊行を開始した「高杉良経済小説全集」の中の綴じ込み冊子にて連載された作品。1998年には角川書店にて単行本が刊行された。2000年3月には角川文庫版、さらに2005年には講談社文庫版が刊行されている。
時代背景は高度経済成長期(1966年(昭和41年)から始まっているのでいざなぎ景気あたり)から安定成長期までが物語の舞台となる。主人公である武田光司が10年間働いた放送局を退職し、自転車業界で独立しながら、経営者として逞しく成長する実名企業小説である。自転車の開発・輸入・販売業のホダカ物産、総合スーパー「イトーヨーカドー」を運営する会社イトーヨーカ堂、同会社の創立者伊藤雅俊などが実名で登場する。
あらすじ
登場人物
武田一家
武田光司
本作の主人公。勇司、悦子の兄。金司・セキ夫妻の長男。1938年(昭和13年)1月27日生まれ。元々は弁護士を目指していたこともあり、中央大学法学部法律学科で1年学ぶが、新聞記者希望に変わり、早稲田大学に入り直した。1962年(昭和37年)3月、早稲田大学第一政治経済学部政治科を卒業後、読売、朝日、毎日などの一般試験に失敗し、最終的には放送局である文華放送に採用され放送記者となる。報道部から制作部に昇格するが、1967年(昭和42年)3月には報道部に戻される。しかし、小柳の勧めで同年4月1日付で営業部員となる。それ以来、以前とは比べものにならない程、業績が上がり営業マンとしてトップに立つも、1970年(昭和45年)末、退職したいと思うようになり3度目の辞表提出を出し、ついに退職する。退職後、サンポール物産に再就職。台湾穂高から輸入されたハイライザーを出荷するも、突如サンポール物産を解散が命じられ、とうとう解雇される。葛巻から扶桑産業の就職を勧められるが、それもつかの間僅か6ヶ月で解雇され、1972年(昭和47年)7月17日付でホダカ物産が設立され、社長となる。
武田金司
武田セキ
光司と勇司と悦子の母。金司の妻。1914年(大正3年)か1915年(大正4年)生まれと推定される(1967年(昭和42年)3月で52歳であることから)。1942年(昭和17年)、夫・金司を追うように、息子の光司(当時4歳)と勇司(当時1歳)を連れて渡満する。三江省(現:黒竜江省北東部)佳木斯市の市場で、「天平」という屋号で惣菜店を経営する。しかし、1945年8月15日終戦直後、「天平」は事実上倒産し、光司と勇司と悦子を連れて日本へ向かう。新京で引揚船が来るまで1年以上も滞在した。1946年(昭和21年)9月上旬頃、葫芦島市から引揚船に乗って舞鶴港へ帰国。それから、葛飾区新小岩で再び「天平」を経営し始める。