吉里吉里人
以下はWikipediaより引用
要約
『吉里吉里人』(きりきりじん)は、井上ひさしの長編小説。
吉里吉里人は、不当な政策を押し付けてくる日本国に反抗し、分離独立を宣言した。しかし独立後2日目に崩壊する。
概要
1973年から1974年にかけて、『終末から』(筑摩書房)創刊号から第8号に一部が連載された(未完、挿絵 佐々木マキ)。1978年5月から1980年9月まで『小説新潮』に連載され、1981年8月25日、新潮社から単行本として刊行された。表紙の絵は安野光雅。1985年9月27日、新潮文庫として上・中・下巻で文庫化された。第33回読売文学賞、第13回星雲賞、第2回日本SF大賞を受賞した。
2013年12月6日、電子書籍版が新潮社より、上・中・下巻で配信開始された。2015年3月27日には電子書籍の合本版が同社より配信開始された。
東北地方の一寒村が日本政府に愛想を尽かし、突如「吉里吉里国」を名乗り独立を宣言する。当然日本政府は反発、これを阻止すべく策を講じるが吉里吉里側は食料やエネルギーの自給自足で足元を固め、高度な医学(当時日本で認められていなかった脳死による臓器移植を含む)や独自の金本位制、タックス・ヘイヴンといった切り札を世界各国にアピールすることで存続をはかる。その攻防を含む1日半の出来事を、全28章にわたって描写している。
また、独立により国語となった「吉里吉里語」 (東北弁、いわゆる「ズーズー弁」)の会話をルビを駆使して表記するほか、作中『吉里吉里語四時間・吉日、日吉辞典つき』という「小冊子」に「三時間目」まで紙幅を割くなど、方言・方言論が重要な役割を占めている作品でもある。
小説の舞台である吉里吉里村は、宮城県と岩手県の県境付近の東北本線沿線に位置する架空の村ということになっている。同名の地名が岩手県上閉伊郡大槌町にあるが、実在する場所の中で小説の舞台に比較的近い一関市を仮定しても、直線距離にして80km以上離れている。作中内でも、JR山田線(現在の三陸鉄道リアス線)沿線に吉里吉里駅があることに言及している。
1980年代後半に、井上の高校の先輩である菅原文太のプロデュースによる映画化の話も進んでいたが、現在まで実現されていない。
執筆の経緯
作者井上は1964年10月、この作品の原型となる放送劇『吉里吉里独立す』をNHKラジオ小劇場のために書いた。『吉里吉里独立す』は主題も物語の展開も小説『吉里吉里人』と同一だったが、このときは東京オリンピック開催による愛国的機運の中で不評を蒙り、担当のディレクターが左遷された。ちなみに「吉里吉里独立す」は、小説の作中に登場するNHKの報道特別番組の当初のタイトルでもある。
最初の連載時に担当編集を務めた松田哲夫によると、本作が小説として執筆されたのは、『ひょっこりひょうたん島』の小説版を希望した松田に対して「もう一つの『ひょうたん島』なんです」と1971年に提案されたことによる。前記の通り、1973年より『終末から』にて連載が開始されるも、雑誌の休刊に伴い未完のまま中断する。掲載誌の休刊による意図せざる中断だったが、井上は後の連載再開時に「日本国憲法の扱い方や吉里吉里国の軍備問題などについて、作者の考え方が浅く、雑誌の終刊を奇貨として、長いこと放ったらかしたままにしておりました」と記し、連載中断時点では十分に想を練っていなかったことを認めた。中断期間中に、井上は「主人公の小説家が東北に旅行して事件に巻き込まれる」という共通点を持つ『四捨五入殺人事件』を執筆している。中断から4年が経過した1978年、井上は「この一年、ぼちぼち書き直しているうちに、ふたたびある手応えが感じられるようになってきました」として『小説新潮』で連載を再開した。
あらすじ
ある日、三文小説家の古橋は編集者・佐藤を伴い、奥州藤原氏が隠匿した黄金に詳しい人物に取材するために夜行急行列車『十和田3号』に乗車した。ところが、一ノ関駅近くの赤壁で緊急停車させた男たちがいた。「あんだ旅券ば持って居たが」。実にこの日の午前6時、東北の一寒村吉里吉里国は突如日本からの分離独立を宣言したのだった。公用語吉里吉里語、通貨単位「イエン」を導入した人口4187人、面積約40平方キロメートルの国家である。日本政府から数々の悪政を受けた吉里吉里村の、村を挙げての独立騒動である。古橋と佐藤はこの騒動に巻き込まれてしまう。
吉里吉里国は、日本国とは違った「イエン」を独自通貨とし、地元方言を国語「吉里吉里語」に定め、さらには防衛同好会が陸から空から不法侵入者を監視し、木炭バスを改造した「国会議事堂車」が国内を巡回、人々は地元方言を国語とした「吉里吉里語」を話し、経済は金本位制にして完全な自給自足体制。独立を認めない日本国政府の妨害に対し、彼らは奇想天外な切札を駆使して次々に難局を乗り越えていく。
登場人物
吉里吉里人
吉里吉里十愚人、および国会議事堂車のメンバー
ゴンタザエモン 沼袋(ゴンタザエモン ぬまぶくろ)
トラハチ 長瀞(トラハチ ながとろ)
吉里吉里国立病院のスタッフ、その他
ゼンタザエモン 沼袋(ゼンタザエモン ぬまぶくろ)
吉里吉里善兵衛(きりきり ぜんべえ)
作品の特徴など
作品の多くが主人公である古橋自身もしくはそれに寄り添った視点で描かれている。作中、古橋が失神する場面の中には、古橋の意識に沿ってそれに相当する部分を空白にした箇所がある(同時期に執筆された筒井康隆の『虚人たち』にも類似の描写がある)。読者の時間と作中時間を一致させた(つまり猛烈にテンポが遅い)実験小説でもある。
古橋のいい加減さを示すため、彼の書いた小説を「引用」する場面が複数あるが、同じタイトルでまったく別の内容となっているものがあり、本作自体が「不整合」をはらんでいる。
吉里吉里国の歴史についてその始まりとして「1971年」という年が挙げられているが、その理由については説明されていない。
梅原猛と小田島雄志の「対談 吉里吉里国を歩く」という小冊子が挟まれていた。小田島は「井上ひさしの作品の中にある「笑い」の質は大きく分けて三種類あります。まず日本語を活性化するものとしても私も大いに支持している言葉遊び、次に自分自身に対するものも含めたカリカチュアの面白さ、そしてもう一つは一種のブラック・ユーモア的な、我々に見えなかった現実を裏返しにして見せる恐い笑いです」と分析している。
文庫本では3冊にわたる長編作品ながら、最初の単行本は当時としても珍しい上下2段組みの大部な一冊本として刊行された。
社会的影響
この作品が評判になった後、日本各地で地方自治体が独立国を名乗ることが流行(ミニ独立国ブーム)。ただし、全て観光目的のお遊びである。2007年現在もイノブータン王国(和歌山県すさみ町)等が残存している。また井上は、この小説が、沖縄米兵少女暴行事件・米軍用地特別措置法問題を経た後の「沖縄で改めて読まれているらしい」、「面白半分に、沖縄の人たちが読んでいるという手紙をもらった」と語っている(1997年5月8日朝日新聞夕刊)。