地底世界のターザン
以下はWikipediaより引用
要約
『地底世界のターザン』(ちていせかいのたーざん、英: Tarzan at the Earth's Core)は、エドガー・ライス・バローズによるアメリカのSF小説。
「ターザンが、地球内部にあるペルシダーを訪れる」という骨子であり、約110作(単行本では約70冊)あるバローズの作品の中でも、ほぼ唯一の本格的なクロスオーバー作品である(後述)。
本項では、ペルシダー・シリーズの最終作"Savage Pellucidar"の版権を有し、ターザン・シリーズの多くを翻訳している早川書房版の表記を優先する。東京創元社版の訳題は『ターザンの世界ペルシダー』。
出版
本作は、"Tarzan at the Earth's Core"のタイトルでブルー・ブックに1929年に連載され、1930年にメトロポリタンから単行本化された。ペルシダー・シリーズでは第4巻となり、そのほぼ半分(折り返し)の位置にある。ターザン・シリーズの場合も、ほぼ半分の位置に当たる(後述。詳細はターザン・シリーズ#作品一覧を参照)。
日本語訳は、以下の通り。両社とも「地底世界シリーズ」の一環として刊行された(ハヤカワ版での「ターザン・シリーズ」の刊行は1971年8月からである)。
ハヤカワ文庫SF
創元推理文庫SF
ストーリー
設定的には、ペルシダー・シリーズの前作(第3巻)『戦乱のペルシダー』(Tanar of Pellucidar、創元版は『海賊の世界ペルシダー』)の続編に当たるが、ターザン・シリーズとしても前作『ターザンと失われた帝国』(Tarzan and the Lost Empire、1928年~1929年)の設定を受け継いでいる部分がある。
ペルシダー・シリーズ第2巻まで
第3巻
ペルシダーとの通信に使用される「グリドリー波」が、ジェイスン・グリドリーによって発見される。続編はもちろん、バルスームとの通信にも使用された(第7巻『火星の秘密兵器』、第9巻『火星の合成人間』)。
デヴィッドの描いた「文明化」は拒まれ、時計は廃止、列車は影も形もなく、ライフルに至っては、いざという時にも棍棒代わりにされる始末であった。
そんな折、仇敵マハールを上回る強敵、コルサール人が国家として台頭してくる。彼らは大航海時代風の帆船や銃を扱う文明人であり、ムーア風の壮麗な建物を要し、首領は「エル・シド」と呼ばれていた(デヴィッドは、「11世紀に実在したエル・シド(El Cid)に由来する」、と見ている)。
コルサール人との戦争の結果、疾風のタナー(デヴィッドの親友であるガークの息子。デヴィッドの妻ダイアンにとっては息子同然の存在)らが捕虜となる。デヴィッドは、捕虜の奪回のためコルサールの艦隊を追跡、首都に潜り込む。逃走の結果、北極の大開口部を発見、「コルサール人は、大航海時代に開口部を通って入り込んだ海賊(私掠船。コルセア(fr:Corsaire))の子孫」と確信する。
冒険の末、タナーらはペルシダー帝国に帰還するものの、デヴィッドはコルサールに捕らえられたままだった。アブナー・ペリーはコルサールとの戦争とデヴィッドの窮状を地上に訴えるが、通信の最後は途絶えてしまう。ジェイスンは、デヴィッド救出を志願する。
以上を踏まえ、本作では、冒頭でジェイスンがターザンを捜索隊の隊長にスカウトする。彼の提案で、新素材ハーベナイトが収集された(『ターザンと失われた帝国』の主人公、エリッヒ・フォン・ハーベンが発見したため、この名前がついた)。強固で軽いハーベナイト製の飛行船O-220号はドイツで建造され、ドイツ軍人の士官らを乗せ、北極の大開口部を目指し、地球内部へ突入する。しかし、到着早々、ターザンは単独行動の結果、帰路を見失う。捜索に出かけたフォン・ホルストやワジリ族も二次遭難し、帰ってきたのはジェイスンのみだった。彼は飛行機による単独捜索を主張し、実行するものの、翼竜との邂逅で不時着してしまう。
以後は、ターザン・シリーズで確立していた「複数主人公による冒険(と、サブヒーローの恋)」を展開、終盤までデヴィッドの出番は訪れない(しかも、直接的な描写は皆無)。また、コルサール人も終盤近くまで登場せず、エル・シドや前作の人物はほぼ登場しない、という、本筋から外れた展開が主流を占めている。また、「飛行機で翼竜に遭遇し、不時着。ヒロインと遭遇する」という展開は、1918年の『時間に忘れられた国』第2部と同じである。
ラストでは、ついにフォン・ホルストのみ発見されず、ジェイスンは残留して捜索を続行する決意をする。これにヒロインのジャナが同行を申し出たところで、本作は終了した。
第5巻
また、「ジェイスンはターザンらに説得され、飛行船O-220号で地上に帰還した」旨が、第5巻のラストでデヴィッドの口からフォン・ホルストに語られている。
「前作(前々作)で消息を絶った人物の冒険譜」と言う形式は、『時間に忘れられた国』第3部と同じである。
第6巻
ターザン・シリーズの次作『無敵王ターザン』(Tarzan the Invincible、1930年)では、ターザンが「飛行船による無謀な計画」によりアフリカを留守にしている状況が語られ、そのスキをついて革命家グループがオパル(アトランティスの植民地の末裔。ターザン・シリーズの基本設定の一つ)の宝物を狙う、というストーリーが展開する。しかし、以後のシリーズは「単巻読みきり」という状態となり、例外は『ターザンと女戦士』(1936年~1937年)の後半のみ(『ターザンと黄金都市』(1932年)の続編)となっている(ただし、未訳分3巻については不明)。
キャラクター等
本作は、その性質上、既存のシリーズの人物等(ターザン・シリーズ、ペルシダー・シリーズ共)と、本作オリジナルの3種類に大別される。
ターザン・シリーズの人物
ペルシダーを訪れたのはターザンとワジリ族だけであるが、飛行船O-220号の建造に関し、エリッヒ・フォン・ハーベンの協力が不可欠だった。また、ハーベンのような「ゲスト・ヒーロー(ゲスト・ヒロイン)」の後日が描かれるのも珍しい。
ターザン
ジェイスンによってデヴィッド奪還隊の隊長に選ばれた。経済的な援助も求められている。飛行船O-220号の設計図を見せられ、新素材ハーベナイトの使用を提案する。
ペルシダー到着後は、単独行動を主張し実行した結果、サゴス(ゴリラ人間)の罠にかかった末、「方角が判らない」という不測の事態に陥る(ペルシダーの太陽は地球の中心部に固定されているため、夜のない永遠の真昼の世界である)。彼を捜索に出たワジリ族やフォン・ホルストも、事情は違うものの二次遭難しており、到着早々、部隊に多大な迷惑をかけた。
野田昌宏は「初期の作品にえがかれているようなターザンの人間くささみたいなものが、もうこのへんまでくると、鮮度がかなりおちている」とした上で、展開がマンネリになっている、と、本作に関し、手厳しい意見を述べている。
ワジリ族
エリッヒ・フォン・ハーベン
ペルシダー・シリーズの人物
以上のうち、まともに登場するのはジャぐらいで、しかも非常に出番は少ない。他の構成員はさらに影が薄く、頭数に近い。アブナー・ペリーは言及されるのみで、登場していない。ガークは「タナーの父」と触れてある程度である。そもそもデヴィッドの直接的な出番は皆無に近く、結果的に「前作までとは関係ない物語」が主体となり、単独の物語に近い構成になっている。
本作オリジナルの人物等
本節では、人類以外の種族、機体についても説明する。なお、ジェイスン・グリドリーは、厳密には前作『戦乱のペルシダー』(創元版は『海賊の世界ペルシダー』)で登場した人物である。彼とフォン・ホルスト以外は、後続の作品では基本的に登場しない。
ズップナー
飛行船O-220号とハーベナイト
本作で重要な存在となる飛行船O-220号だが、バローズの作品にとっては例外的な機体である。すなわち、「主人公側があらかじめ用意した機体」としては、敵に対して圧倒的な優位を持っている、という点である(厳密には、本作は続編であり、その視点から見れば「強敵への対抗策」であり、「後出し」ではあるが)。
「コルクのような軽さと、鋼鉄の強度を両立している」新素材、ハーベナイトで船体や真空タンクが建造されており(ヘリウムガスは高価であり、水素ガスは危険であるため、当初は飛行船O-220号の建造自体が疑問視されていた)、軽くて強固な機体に仕上がっており、操作性の高さに乗員が驚いている。
船体は葉巻型で、長さは299メートル、直径は45メートル。総重量は75トン。真空タンクの揚力は225トン。エンジンは5600馬力。時速168キロで航行可能。直接の戦力は不明だが、コルサールを訪れた際は、爆撃の用意があることを明かしている。
また、「大勢の地上人を乗せてペルシダーを訪れた」、「その乗員ほとんどを無事に帰した」と言う点でも特筆すべき存在である(イレギュラーな存在、ともいえる)。本作では、ズップナー船長のところで紹介した26名(本人含む)に、グリドリー、フォン・ホルスト、ターザン、ムヴィロ率いる10名のワジリ族が加わっており、総勢39名が乗り込んでいるが、本作以外で直接登場する地上人は3名のみ(デヴィッド・イネス、アブナー・ペリー、アー・ギラク)である(フォン・ホルストを除く)。アー・ギラクの登場が最終巻であることを考えれば、本作の地上人が「大勢」であるといえる。
ただし、本作以前で「ペルシダーを訪れた」人物は、以上42名よりも多いことが判明している(コルサール人の祖先と、アー・ギラクの船の乗員)が、第1巻の時点で、彼らは明らかに故人である。第3巻では気球の残骸をデヴィッドが発見し、「北極に大開口部がある」と確信するシーンはあるものの、乗組員の運命は明示されていない(デヴィッドは帽子を取り、黙祷していることから、彼らの生存を絶望視している模様)。この直前に「もうひとつの太陽」(ペルシダーのそれではなく、宇宙に浮かぶ天体としての太陽)をデヴィッドらが目撃するシーンがある。
なお、「O-220」というのは、当時のバローズの電話番号である。
備考
バローズにとっての「折り返し地点」
ペルシダー・シリーズでは、全7巻中の第4巻だが、ターザン・シリーズでは13作目に当たる(しかし、数え方によっては、14作目、あるいは15作目と、異同がある。厚木淳は「訳者あとがき」で16作目、と紹介している)。ターザン・シリーズは全24巻(最大で全26巻、あるいは全29作であり、こちらも「ほぼ半分」といえる。
1912年に『火星のプリンセス』で始まるバローズの作家人生は、1950年の死で一旦終了したが、生前の最後の作品は1947年の"Tarzan and the Foreign Legion"(『ターザンと外人部隊』、ハヤカワ版は未刊)であり、作家人生として考えた場合も、ほぼ半分の位置に相当する。単行本リストでは、69冊中34冊目であり、やはり半分ほどに当たる。ヘインズのリストでは、全110作(109作と欠番1つ)中、67番だが、ヘインズのリストは短編・長編問わず、ともに1作としてカウントされているので、事情は違ってくる。例えば、連作短編集『ターザンの密林物語』はシリーズでは6作目であり、12の短編から構成されているが、ヘインズのリストではそれぞれの短編にナンバリングされている(22番から37番まで。番号が12以上になっているのは、他の作品を途中に挟んでいるため)。
「ネタ切れ」
野田昌宏は、本作の解説「ターザン、ペルシダーへ行く」で「ネタ切れに大変苦しんでいる」と評している。「ターザンが他のシリーズに登場する」という発想は以前からあり、火星シリーズ第4巻(『火星の幻兵団』、1914年執筆、1916年連載)において構想されたものの、破棄されている。
また、本作では、サゴス(ペルシダー現住の種族。ゴリラ人間、と呼称される)と、地上の類人猿(マンガニ。ターザンを育てた種族)の言語が同一であることが、ターザンによって確認されている。その上、プロットの一部が『時間に忘れられた国』(1918年)に類似している(#ストーリー参照)。
創元版と武部本一郎
創元版は、バローズの1作目でもある『火星のプリンセス』以降、火星シリーズ、金星シリーズ…と、一貫して武部本一郎が手がけていた。ハヤカワ版ではシリーズによって画家が違っており、武部が手がけたのはターザン・シリーズのみである。両社とも、武部の死後は加藤直之が受け継いだ。
また、後に創元社から第1作『ターザン』(1999年)と第2作『ターザンの帰還』(2000年)が刊行されたが、それまでは同社のターザン・シリーズとしては、唯一の作品であった(『石器時代から来た男』が1977年に刊行されたが、ターザンは登場するものの、脇役でしかない)。ターザン・シリーズ#ハヤカワ版と創元版(邦訳順)も参照。
バローズ作品のカメオ出演
ジェイスン・グリドリー自身やグリドリー波によって複数の作品が結びついている例がある他、「ある作品の主人公が、別の作品に登場する」という事例もある。しかし、設定的に重要なのは、本作の他は「月シリーズ」第1部のみで、それも冒頭のみであり、第2部の本文以降は接点が無くなる。
以下、タイトルの後の数字は「E・R・バロウズ作品総目録(H・H・ヘインズの資料による)」の作品番号である。複数が振ってあるものは、2部作(3部作)であり、それぞれに番号が与えられているため。
The Outlaw of Torn(8)
13世紀のイギリスを舞台にしており、この時代のグレイストーク卿(ターザンの先祖)が登場する。
石器時代から来た男(9、14)
第2巻『ターザンの復讐』(創元版は『ターザンの帰還』)と第3巻『ターザンの凱歌』の間に位置する。結局「夢オチ」が採用されており、上記の状態は半ば「なかったこと」にされた。ただし、ターザンの息子ジャックの誕生は、そのまま続編に生かされている。
ルータ王国の危機(10、16)
本作第2部冒頭では、ヴィクトリアとバッツオウの間に、ほのかな愛情が通っているものの、出番はそれだけである。
月シリーズ(55、58、59)
第2部では、冒頭で火星との交流が失われた旨、簡潔に記されている。第3部では、アメリカから文明は失われており、インディアンレベルの生活を白人が送っている。
ただし、バローズの作品としては、例外的に未来を舞台にした作品である(2025年~2432年頃まで。雑誌掲載は1923年~1925年)。他に、未来を舞台にしたバローズ作品は、『失われた大陸』、"The Scientists Revolt"(未訳)がある程度であり、かなり例外的である。