塗仏の宴 宴の支度
以下はWikipediaより引用
要約
『塗仏の宴 宴の支度』(ぬりぼとけのうたげ うたげのしたく)は京極夏彦の長編推理小説・妖怪小説。百鬼夜行シリーズ第六弾である。『塗仏の宴』は本作『宴の支度』と『宴の始末』との二部作となっている。
書誌情報
- 新書判:1998年3月、講談社ノベルス、ISBN 4-06-182002-8
- 文庫判:2003年9月、講談社文庫、ISBN 4-06-273838-4
- 分冊文庫判:2006年4月、講談社文庫、 ISBN 4-06-275366-9、 ISBN 4-06-275367-7、 ISBN 4-06-275368-5
各話概要
ぬっぺっぽう
関口巽は妹尾友典の紹介で元警察官の光保公平と出会い、韮山にかつて存在したという「戸人村」の調査を依頼される。光保によればかつてそこで駐在を務めていたが、戦後戻って来てみるとその村は存在そのものが抹消されていた。関口は地元の警官・淵脇と、道中で出会った流浪の物書き・堂島静軒と共に、韮山を訪れる。そこで彼らが目撃した真実、この世にはありえるはずの無い存在のものとは…。
うわん
一柳朱美は神奈川を離れ、静岡に身を移して暮らしていた。ある日、村上兵吉と名乗る男の自殺未遂現場に出くわし、彼を救って介抱する。彼はある過去の事情から「薬売り」に対して恐怖を抱いていた。同じ頃、隣人の松嶋ナツの下には「成仙道」という新興宗教の勧誘が毎日のように来ていた。騒ぎを聞きつけた朱美が少し外へ出てナツと話している最中、村上が再び自殺を図る…。
ひょうすべ
関口巽は京極堂の同業で先輩でもある宮村香奈男と知り合う。彼は知り合いの加藤麻美子という女性が祖父のことである悩みを抱えていることを京極堂に相談に来ていた。麻美子の祖父は最近怪しげな新興宗教のような団体に気触れ、財産を注ぎ込んでおり、彼女は祖父をその団体から脱退させたいのだという。しかし、彼女もまた華仙姑処女という謎の占い師に心酔し、多額の寄付をしていた。
わいら
中禅寺敦子は韓流気道会という道場の取材を行い、それに関する記事を掲載した。本人は好意的に書いたつもりの記事だったが、韓流気道会から大反発を買い、門下生らに付け狙われることになってしまう。そんな中、敦子は華仙姑処女と名乗る女と知り合う。彼女もまた韓流気道会に狙われているのだという。二人で必死に逃げるが、人気のない路地に追い込まれ絶体絶命に。そこに榎木津礼二郎が現れる。
しょうけら
木場修太郎は行き付けの酒場「猫目洞」の女主人である竹宮潤子から三木春子という女性を紹介される。彼女は工藤信夫という男からストーカーの被害を受けており、困っているという。相談に乗ることにした木場が詳細を尋ねると、毎週、工藤から春子宛てに手紙が送られてきており、そこには春子の一週間の行動が綿密に書き記されているという。春子の部屋を調査するも、覗き見が不可能であることが分かっただけだった。
おとろし
織作茜は織作家の遠縁と名乗る羽田隆三という男と織作家の家や土地に関する商談を行っていた。羽田は言い値で家や土地を買い取る代わりに自分の部下になるようにと迫ってきていた。そんな中羽田は部下に静岡県韮山の辺鄙な土地を買うように迫られ疑念を抱き、榎木津礼二郎に調査を依頼しようとしたがすっぽかされ、代わりに茜と秘書の津村信吾を韮山に行かせる。
登場人物
主要登場人物は百鬼夜行シリーズを参照。
中禅寺 秋彦(ちゅうぜんじあきひこ)
関口 巽(せきぐち たつみ)
中禅寺 敦子(ちゅうぜんじ あつこ)
ぬっぺっぽう
光保 公平(みつやす こうへい)
静岡県警に所属していた元警察官。年齢は30代後半程。現在は千住在住で、室内装飾業を営む。爆撃で右耳が難聴になっていて、傷痍軍人の支援団体にも入って活動している。会津出身で実家は魚屋。自称、怖がり。
頭髪が寂しく小太りで、眉が薄く色白でつるつると血色が善く、眼も鼻も口も小さく捕らえどころのない卵か薬缶のような顔つきをしているので、のっぺらぼうに似ているとよく周囲から言われるらしく、彼自身も執拗に拘っている。国学に凝っていた好事家の伯父の形見分けで鳥羽僧正ご真筆の『百鬼圖』や秦鼎の『一宵話』を貰った。
銭湯の壁画描きを経て22歳で警官になり、昭和12年の春から国家総動員法の施行により出征する昭和13年5月までの1年弱、戸人村の交番に住み込みで勤務していた。日華事変以来12年間も四川省成都盆地にある広漢県などを中心に中国大陸中を転々としたため、言葉も覚えて色々な祭祀儀礼や民間信仰に触れた。また、中国に居た頃、塹壕を掘っていて地中から太歳を掘り出してしまったことがあり、疫病が発生して部隊から3人死者が出たという。
昭和25年にマレー半島から帰国する。帰国後、懐かしい戸人村に行ってみると、何故か村が存在していないことになっていて、頭がおかしくなったのかと釈然としない思いを抱え、友人の赤井書房の赤井緑郎社長に相談する。
津村 辰藏(つむら たつぞう)
佐伯 亥之介(さえき いのすけ)
佐伯 玄蔵(さえき げんぞう)
佐伯 甚八(さえき じんぱち)
岩田 壬兵衛(いわたじんべえ)
淵脇(ふちわき)
堂島 静軒(どうじま せいけん)
うわん
村上 兵吉(むらかみ へいきち)
元螺子工場経営者の男性。年齢は30歳程だが、風采が上がらず40歳前に見える。紀州熊野は新宮の生まれ。「みちの教え修身会」に入会している。
昭和12年、14歳の時に家出して、阿須賀神社で出会った薬売りに東京へ逃してもらい、監獄のような建物で基本的な教育を受けたが、一切事情を知らされないのが怖くて3箇月で脱走。渡り人足として生計を立て、戦中は赤紙が届かず茨城の螺子工場で働き、経営者の厚意で新しい戸籍を用意してもらって財産と工場を相続したが、倒産したという。
工場を閉めた後は東京に出て臨時雇いの郵便局員をしていたのだが、手紙の検閲の仕事をしていた時に死亡したと思っていたかつての隣人や自分の父親の名前を発見する。そして修身会の勧めで一大決心し調べた住所を訪ね歩くが全部空振りに終わり、喪失感と焦燥感に襲われて千本松原で首吊り自殺を図ろうとしたところを朱美に助けられる。
松嶋 ナツ(まつしま なつ)
尾国 誠一(おぐに せいいち)
ひょうすべ
宮村 香奈男(みやむら かなお)
加藤 麻美子(かとう まみこ)
宮村の知人で、去年まで「小説創造」の編集者をしていた。線が細く、神経質そうでいて、夢見がちで気の抜けたような印象で、知的で闊達な職業婦人と云う物腰ながら、何処か薄幸そうに見える。気骨も馬力もあり、前向きで努力家で乎りしているのだが、反応がややスローで少しテンポが遅く、即答出来ない体質で、騙されてカモにされ易いタイプ。時間に几帳面で生活は規則正しい。幼い頃に鉄道唱歌を全部憶えていて、今でもその殆どを暗唱できるのが自慢。
20年前、父が急死する前日の昭和8年6月4日に韮山の夜道で祖父と一緒にひょうすべを目撃し、さらに昭和27年4月7日にも浅草橋で全く同じ顔のひょうすべを目にしているという。昨年ひょうすべを見てから2日後に、生まれたばかりの娘を不注意から盥で沐浴中に溺死させてしまい、それが原因で離婚した。ひょうすべの話をしてからみちの教え修身会に執拗く勧誘されているが、宗教全般を嫌っているので断固断っている。
祖父の様子がおかしいことを宮村を介して京極堂に相談した。
加藤 只二郎(かとう ただじろう)
わいら
華仙姑処女(かせんこおとめ)
必ず当たるという世間で評判の謎の女占い師。年齢は30歳を僅かに越えたばかり。セルロイドの人形のような半透明な質感の肌を持ち、左右対称の顔をしている。
先を見通し善き言葉を齎す慈善家とされ、百発百中の予言をするだけでなく、悪運を良運に変える神通力を持っていると伝えられ、評判は政財界まで広がっている。素姓も齢も顔も誰も知らず、噂は黒い醜聞を巻き込んで疑惑となって喧伝され、昭和の妲己との流言も囁かれる。未来予知が出来るとされているが、自分では嘘だと思っていて、云ってしまった事が真実になるのは自分が云った通りに誰かが細工しているからではないかと疑っている。また、占い師として開業している訳ではなく、看板も出していなければ宣伝もしておらず、成り行きで相談に来た人と会って語るだけで、相談者の事は善く知らないと云う。
15年程前に東京に出て来て、女給、女工、女中を経て昭和15年から築地の高級料亭で働き、2年程で仲居に昇格する。客の相談を聞いて発言したのが真実になって霊感仲居として有名になり、金は貯まったが徐々に疲弊していって2年前に料亭を辞め有楽町で隠遁生活を始めたものの、ひと月保たずに相談者がやって来て、結局同じことを繰り返している。
渋谷で韓流気道会に誘拐されそうになった所を敦子に助けられ、彼女の自宅で保護される。
しょうけら
張果老(ちょうかろう)
三木 春子(みつき はるこ)
工藤 信夫(くどう のぶお)
おとろし
羽田 隆三(はた りゅうぞう)
津村 信吾(つむら しんご)
多々良 勝五郎(たたら かつごろう)
南雲 正陽(なぐも せいよう)
用語
戸人村(へびとむら)
世帯数は僅か18戸、人口は精々50人程度の小さな集落。殆どが農家で、地主の佐伯家が村の中心にあり、その親戚筋の医者が1軒、馬喰が居て雑貨や郵便を扱う「三木屋」が1軒。小畠姓が5軒、久能姓が6軒、八瀬姓が3軒で、これらの家は元々佐伯家の使用人だったと云う。佐伯家では伊豆が伊豆と呼ばれる前から、村が存在していたと伝わっていて、「くんほう様」という「人の形をした死なない生き物」を守るのが佐伯家先祖代々の役目とされ、現存しないはずの『白澤図』も当主だけが見られる秘伝の古文書として所有していた。
人口が少な過ぎて古い地図には載っておらず、戦禍で戸籍も警察の資料も焼けていて、戦死や退官、警察法改正により警察関係者の記憶からも消えている。村は樹々の中に埋まるような状態で、田畑は自給自足がやっとの痩せた段々畑しかないので、航空写真には映らないらしい。
昭和13年6月30日、1箇村全員が失踪したと報道され、大量の血痕も見つかったために大量殺戮を噂されたのだが、日華事変の最中であったため、大きく報道されることはなかった。
成仙道(せいせんどう)
画一的な信仰のスタイルを強要せず、神仏ではなく己の永遠の幸福とそれを得る方法自体を信じさせ、生活環境や体質の改善、服薬と健康法を優先し、処方料指導料として金品を吐き出させる、と云う狡猾な遣り方で信者を増やした。静岡でも数年前から水面下で布教活動を行い、潜在的な信者も含めると相当数を確保している。
みちの教え修身会(みちのおしえしゅうしんかい)
講習は数段階に分かれており、中級以上は更に細かいコースに分かれる。最初は「自分を語る集い」で愚痴を云い合って憂さを晴らし、第2段階で抜本的な解決を欲する会員に向けて「自分を探る集い」で愚痴の原因を会員同士で探り合って対応策を考え、第3段階で導き役と云う指導員が入り「真実の幸福を見極める集い」で幸福とは何かを問うて相手の土台を揺るがし、そして樹海の中で瞑想合宿して考える力を剥奪する「誤った世界観を葬り去る合宿」で中級編を締め括る。自我を盗み取られて何も信じられなくなった会員は上級編へ進み、会長から欲求を許されて、それぞれの欲求に合わせて設定された人格強化講座を受けされられる。
韓流気道会(かんりゅうきどうかい)
昭和27年夏頃から人々の口の端に上り始め、年が明けた頃からそこここで名前を耳にする程の評判になる。
条山房(じょうざんぼう)
羽田製鐵會社
羽田家は渡来人の秦一族の末裔であり、現在の本家は京都の太秦付近にあるが、発祥は徐福漂着の云い伝えが残る丹後半島先端の伊根とされており、徐福を祀った新井崎神社へ数年に一度、陣幕などを奉納している。これらの事や『義楚六帖』の内容から、現会長の隆三は羽田家は秦氏を名乗った徐福の末裔ではないかと考えている。
徐福研究会(じょふくけんきゅうかい)
表向きの研究は文化事業であり、至って真面目に研究を行っていて、成果もそれなりに出ている。裏の目的として始皇帝が求めた仙薬についての研究も進めており、隆三は阿房宮に集めた3000人の美女を相手にするための回春剤と考えて薬草研究を行わせているが、こちらはあまり成果が出ていない。
研究会を運営する財団法人を作り、展示室を備えた研究所を兼ねる徐福資料館を建てる計画を進めている。
大斗風水塾(たいとふうすいじゅく)
川崎製鐵が最新式の千葉製鉄所を造ったことに焦った羽田製鐵の現社長によって雇われている。