夏子の冒険
以下はWikipediaより引用
要約
『夏子の冒険』(なつこのぼうけん)は、三島由紀夫の7作目の長編小説。無邪気で破天荒な美人のお嬢様・夏子が、猪突猛進な行動力で北海道に向い、仇討ちの青年と一緒に熊退治に出かける恋と冒険の物語。夏子に振り回される人たちの慌てぶりを交え、コミカルなタッチで描かれた娯楽的な趣の作品となっている。
1951年(昭和26年)、週刊誌『週刊朝日』8月5日号から11月25日号に連載された(挿絵:猪熊弦一郎)。単行本は同年12月5日に朝日新聞社より刊行された。翌々年の1953年(昭和28年)1月14日には、角梨枝子主演で映画も封切られた。文庫版は1960年(昭和35年)4月10日に角川文庫より刊行された。翻訳版は、中国(中題:夏子的冒険)で行われている。
村上春樹の『羊をめぐる冒険』は、『夏子の冒険』のパロディあるいは、書き換えであるという仮説がよくいわれている。
時代背景・主題
『夏子の冒険』は、「お嬢さま」を主人公とした三島の作品群の中でも、特にヒロインが大活躍し、女子の魅力があふれているものの一つであるが、この作品の執筆当時は、まだ日本が敗戦後数年しか経っておらず、連合国の占領下の時代で、女子の4年制大学進学率も低く、良家のお嬢さんは高校や短大などを出ると「良縁」を待つことが一般的で、主人公・夏子もそうした良家の子女の設定となっている。また、夏子が惹かれる青年は、恋人を熊に殺され仇討ちに行く若者の設定となっている。
三島は『夏子の冒険』の主人公たちについて次のように述べている。
上述のように、北海道は当時まだ〈外地〉に近い雰囲気を漂わせていた時代であり、歴史的に見て、「近代国家」と「北海道」の関係を反映していた作品という面もある。なお、そういった点の見られる同系列の小説は他に、有島武郎『カインの末裔』、吉屋信子『海の極みまで』、武田泰淳『森と湖のまつり』、安部公房『榎本武揚』、池澤夏樹『静かな大地』などがある。
あらすじ
20歳の松浦夏子は、ある朝、突然朝食の食卓で、「あたくし修道院へ入る」と家族に宣言した。美しい夏子には降るように男たちから申し込みがある。しかし、大学法学部の助手も、社長の御曹司も、建築家志望や芸術家志望の青年も誰一人、死の危険を冒したり、愛のために命を賭けたりするような情熱も持っていない、ありきたりな出世を望む退屈な青年ばかりだった。処女の夏子は、いくら探しても望む男がいない以上、神に仕えて浮世と絶縁して、憧れていた北海道函館市にあるトラピスト修道院で暮そうという結論に達したのだった。家族はもちろん猛反対だったが、自殺未遂までやらかす頑固な夏子に押され、入会後半年間の志願期はいつでも脱退できることを知った父はやむなく承諾した。
夏子の母、伯母、祖母が付き添って北海道の函館へと旅立った。ふと夏子は上野駅で、猟銃を背負い、目の輝きが他の人と違う青年を見かけた。彼は夏子と同じ青森から出帆した青函連絡船にも乗っていた。2人は甲板で言葉を交わし、次の日、函館で会う流れになった。彼・井田毅は一昨年、千歳に近いアイヌ部落・蘭越コタンで知り合った16歳の和人の少女・秋子と結婚を誓い帰京したが、その直後、秋子は無残にも熊に手足をバラバラにされ殺されてしまったのだった。毅はその4本指の人喰い熊を仇討ちするために、休暇をとって再び北海道に来たのだった。夏子は毅の話を聞いて、自分も熊退治について行くと言い出した。最初は何とか夏子をまこうとした毅だったが、決心のゆらがない夏子に根負けし、お供させることとなった。
一方、函館の宿に残された母、伯母、祖母は夏子の失踪に慌てふためき、彼女が定期的に宿に打つ電報をたよりに夏子捜索の珍道中の旅に出ることとなった。夏子は途中、白老のY牧場の厩舎番牧夫の娘・16歳の不二子に嫉妬しながらも、毅と恋仲になっていき、熊を仕留めたら結婚することを約束した。やがて2人を追って、猟友会の札幌支部長・黒川や夏子の母たち、札幌タイムス社の野口も蘭越近くの村のコタナイへやって来た。一行は村長別宅に集まり、熊が出そうなコースの確認や計画を練った。夏子も村田銃を持ち、毅と一緒に家の裏手の緬羊小屋を見張った。母、伯母、祖母らが村長別宅に残り、茶菓子などを食べている時、熊が家の中に入って来た。彼女らは失神してしまったが、熊はそのまま家を出て緬羊小屋に来た。そして毅が見事、四本指の大熊を仕留めた。
一件落着し、母たちも毅と夏子の結婚に大賛成し、2人は幸せだった。しかし、帰りの船の甲板で毅が話すことは、重役になったらアメリカに行こう、自動車を買おうなどという凡庸な所帯じみた将来の結婚生活の夢であった。夏子はロビーに行き荷物から時間表を取り出し、函館行きの船の時間を調べ始めた。そして、いぶかる母たち3人に向かって、「夏子、やっぱり修道院へ入る」と言った。
登場人物
松浦夏子
井田毅
松浦かよ
夏子の父
誠
研一
夏子の友人たち
大牛田十蔵
大牛田秋子
不二子
本多菊造
黒川
コタナイ村の住人
作品評価・研究
『夏子の冒険』は軽いタッチの恋愛コメディの娯楽小説として楽しめる作品で、冒頭から突然ヒロインが修道院入りを決意するという突飛な展開に特徴がある。少女小説や古典文学では、波乱万丈の運命に翻弄された末、ヒロインが世を儚んで修道院や尼寺へ入るという結末は珍しくはないが、『夏子の冒険』では「出家の決意」から物語が始まって結末へ向かっていくところに独自性がある。
夏子の願望は、『仮面の告白』の〈私〉や、『愛の渇き』の悦子の欲望を反復して発展させたものだと見ている千野帽子は、夏子が前半で見せていた「わけのわからないことをする人物」の魅力が中盤において、恋敵の不二子に嫉妬したりするなど、「わけのわかることをする女」となり、逆にミステリアスな不二子の方が魅力的に描かれるが、最後のどんでん返しで再び夏子が「わけのわからないことをする女」となり、「正→反→合」の作用を物語に与えていると解説している。
木村康男は、夏子が「熊狩りという冒険」に恋し、自身の情熱の対象が「〈ますらおぶり〉を喪失した男性にはないこと」に気づくという主題を解説しつつ、「恋の本質は冒険であり、冒険の終わる時に恋も終わる」としている。松本鶴雄は、「井田を見る夏子の眼に三島のロマンチシズムとイロニーが横溢している」と解説している。
十返肇は、『夏子の冒険』発表から約3年後に、「若く溌溂とした夏子の魅力」は、そのまま、作者・三島の魅力だとし、以下のように解説している。
『夏子の冒険』は2000年代以降、村上春樹の『羊をめぐる冒険』(1982年)との関係性で文学的に論及されることも多く、佐藤幹夫は、村上が「熊をめぐる冒険」である『夏子の冒険』から『羊をめぐる冒険』を着想し、〈女秘書のやうなまじめな顔つきになつて拝聴〉する夏子に相当するのが、「耳のガールフレンド」だとし、〈導き〉という言葉や、今や村上の専売特許となっている〈やれやれ〉という言葉も、すでに三島がこの作中で使っていることを指摘している。
高澤秀次もまた、村上の『羊をめぐる冒険』は三島の『夏子の冒険』の「書き換え」であると唱え、大澤真幸も、高澤秀次の論を敷衍して、三島と村上の関連について論じ、「三島の自殺こそ、理想の時代の行き詰まりに対する、最も先鋭な行動である。このことを考慮すると、三島と村上のこうした繋がりは、実に暗示的である」と述べている。
大澤真幸は、夏子の〈冒険〉が、「〈植民地〉的なエキゾチシズムを誘う土地」である北海道に向けられることに着眼し、東京(の青年)に倦怠していた夏子が、修道院への旅の途上、仇討ちの青年に共鳴し、「逆説的な仕方で、冒険(理想)を発見」することを、「〈復讐〉というネガティヴな形態でのみ、理想が活きているのだ」とし、以下のように考察している。
そして大澤は、村上が『羊をめぐる冒険』の冒頭の章「1970/11/25」で、三島事件を、〈我々にとってどうでもいいこと〉としてのみ言及していることについて、「無論、それは〈どうでもいいこと〉ではないからこそ言及されるのである」とし、主人公の〈彼〉が、二人の女性の死を契機に、やはり『夏子の冒険』同様、北海道への冒険に出ることを指摘しながら、以下のようにまとめている。
映画化
『夏子の冒険』(松竹大船作品)。1953年(昭和28年)1月14日封切。カラー・スタンダード 1時間35分。この年度の興行収入第4位となった。『カルメン故郷に帰る』に続く、日本製カラー劇映画第2作として当時注目を浴びた。中村登監督は、「ライトに桃色や青のフィルターをかけて室内と野外のちがい」を出したと語り、スタッフが技術的な打合せのために渡米するなど、かなり苦労したという。撮影現場のセットには、三島も訪問していた。
スタッフ
- 監督:中村登
- 脚本:山内久
- 撮影:生方敏夫
- 音楽:黛敏郎
- 美術:熊谷正雄
- 照明:田村晃雄
- 録音:熊谷広
- 編集:杉原よ志
- 監督助手:西河克己、番匠義彰
- 製作:小出孝
- 総指揮:高村潔
キャスト
- 松浦夏子:角梨枝子
- 井田毅:若原雅夫
- 夏子の祖母・かよ:東山千栄子
- 夏子の伯母・逸子:村瀬幸子
- 夏子の父:北龍二
- 夏子の母・光子:岸輝子
- 大牛田秋子:淡路恵子
- 野口:高橋貞二
- 不二子:桂木洋子
- 成瀬:伊沢一郎
- 大牛田十造:坂本武
ラジオドラマ化・朗読
- 小説『夏子の冒険』(ラジオ東京)
- 1952年(昭和27年)6月2日 - 30日(全25回) 毎週月曜 - 土曜日 11:05 - 11:15
- 出演:芥川比呂志
- 連続物語『夏子の冒険』(文化放送)
- 1953年(昭和28年)6月1日 - 27日(全23回) 毎週月曜 - 土曜日 13:15 - 13:40(土曜は13:30まで)
- 出演:秋好光果、滝田進、滝田裕介、ほか
- ラジオ小説『夏子の冒険』(NHKラジオ第一)
- 1962年(昭和37年)10月1日 - 31日(全27回) 毎週月曜 - 土曜日 8:31 - 8:45
- 脚色:田辺まもる
- 出演:幸田弘子、水島弘、斎藤隆、ほか
- 1952年(昭和27年)6月2日 - 30日(全25回) 毎週月曜 - 土曜日 11:05 - 11:15
- 出演:芥川比呂志
- 1953年(昭和28年)6月1日 - 27日(全23回) 毎週月曜 - 土曜日 13:15 - 13:40(土曜は13:30まで)
- 出演:秋好光果、滝田進、滝田裕介、ほか
- 1962年(昭和37年)10月1日 - 31日(全27回) 毎週月曜 - 土曜日 8:31 - 8:45
- 脚色:田辺まもる
- 出演:幸田弘子、水島弘、斎藤隆、ほか
おもな刊行本
- 『夏子の冒険』(朝日新聞社、1951年12月5日) NCID BN15723379
- 装幀:猪熊弦一郎。紙装。フランス装。291頁。本扉に「朝日連載文芸図書」とあり。
- 『夏子の冒険』(河出新書、1955年2月28日)
- カバー画(モナコの児童画)。紙装。口絵写真1頁1葉(著書肖像。撮影:土門拳)。本扉裏に著者略歴。
- カバー袖に十返肇「青春の生き方」
- 文庫版『夏子の冒険』(角川文庫、1960年4月10日。改版2009年3月25日)
- 緑色帯。
- ※ のちにカバー装幀:櫃田伸也
- ※ 改版2009年より、カバー装幀:國枝達也。赤色帯。解説:千野帽子「熊をめぐる冒険―1951年の文藝ガーリッシュ」
- 装幀:猪熊弦一郎。紙装。フランス装。291頁。本扉に「朝日連載文芸図書」とあり。
- カバー画(モナコの児童画)。紙装。口絵写真1頁1葉(著書肖像。撮影:土門拳)。本扉裏に著者略歴。
- カバー袖に十返肇「青春の生き方」
- 緑色帯。
- ※ のちにカバー装幀:櫃田伸也
- ※ 改版2009年より、カバー装幀:國枝達也。赤色帯。解説:千野帽子「熊をめぐる冒険―1951年の文藝ガーリッシュ」
全集収録
- 『三島由紀夫全集7巻(小説VII)』(新潮社、1974年5月25日)
- 装幀:杉山寧。四六判。背革紙継ぎ装。貼函。
- 月報:倉橋由美子「『仮面』について」。《評伝・三島由紀夫13》佐伯彰一「伝記と評伝(その4)」。《同時代評から13》虫明亜呂無「つくられた挑戦」
- 収録作品:「侍童」「天国に結ぶ恋」「退屈な旅」「修学旅行」「孤閨悶々」「日食」「食道楽」「家庭裁判」「夏子の冒険」「につぽん製」「雛の宿」「女神」
- ※ 同一内容で豪華限定版(装幀:杉山寧。総革装。天金。緑革貼函。段ボール夫婦外函。A5変型版。本文2色刷)が1,000部あり。
- 『決定版 三島由紀夫全集2巻 長編2』(新潮社、2001年1月10日)
- 装幀:新潮社装幀室。装画:柄澤齊。四六判。貼函。布クロス装。丸背。箔押し2色。
- 月報: ドナルド・キーン「三島文学の英訳」。佐伯彰一「三島さんとのつき合い」。[小説の創り方1]田中美代子「秘鑰をつかむ」
- 収録作品:「愛の渇き」「青の時代」「夏子の冒険」「『愛の渇き』創作ノート」「『青の時代』創作ノート」
- 装幀:杉山寧。四六判。背革紙継ぎ装。貼函。
- 月報:倉橋由美子「『仮面』について」。《評伝・三島由紀夫13》佐伯彰一「伝記と評伝(その4)」。《同時代評から13》虫明亜呂無「つくられた挑戦」
- 収録作品:「侍童」「天国に結ぶ恋」「退屈な旅」「修学旅行」「孤閨悶々」「日食」「食道楽」「家庭裁判」「夏子の冒険」「につぽん製」「雛の宿」「女神」
- ※ 同一内容で豪華限定版(装幀:杉山寧。総革装。天金。緑革貼函。段ボール夫婦外函。A5変型版。本文2色刷)が1,000部あり。
- 装幀:新潮社装幀室。装画:柄澤齊。四六判。貼函。布クロス装。丸背。箔押し2色。
- 月報: ドナルド・キーン「三島文学の英訳」。佐伯彰一「三島さんとのつき合い」。[小説の創り方1]田中美代子「秘鑰をつかむ」
- 収録作品:「愛の渇き」「青の時代」「夏子の冒険」「『愛の渇き』創作ノート」「『青の時代』創作ノート」
参考文献
- 三島由紀夫『決定版 三島由紀夫全集2巻 長編2』新潮社、2001年1月。ISBN 978-4106425424。
- 三島由紀夫『決定版 三島由紀夫全集27巻 評論2』新潮社、2003年2月。ISBN 978-4106425677。
- 佐藤秀明; 井上隆史; 山中剛史 編『決定版 三島由紀夫全集42巻 年譜・書誌』新潮社、2005年8月。ISBN 978-4106425820。
- 三島由紀夫『夏子の冒険』(改版)角川文庫、2009年3月。ISBN 978-4041212110。 初版は1960年4月。
- 井上隆史; 佐藤秀明; 松本徹 編『三島由紀夫事典』勉誠出版、2000年11月。ISBN 978-4585060185。
- 井上隆史; 佐藤秀明; 松本徹 編『三島由紀夫と映画』鼎書房〈三島由紀夫研究2〉、2006年6月。ISBN 978-4907846435。
- 長谷川泉; 武田勝彦 編『三島由紀夫事典』明治書院、1976年1月。NCID BN01686605。
- 大澤真幸『不可能性の時代』岩波書店〈岩波新書新赤版1122〉、2008年4月。ISBN 978-4004311225。
- 佐藤幹夫『村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる』PHP研究所〈PHP新書391〉、2006年3月。ISBN 978-4569649344。
- 高澤秀次「北の文学誌(17)三島由紀夫から村上春樹へ――『夏子の冒険』と『羊をめぐる冒険』」『北の発言』第18号、西部邁事務所、62-65頁、2006年3月。 NAID 40007178737。
- 『キネマ旬報ベスト・テン80回全史 1924-2006』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2007年7月。ISBN 978-4873766560。
- 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月。ISBN 978-4873767550。