後巷説百物語
舞台:明治時代,
以下はWikipediaより引用
要約
『後巷説百物語』(のちのこうせつひゃくものがたり)は、角川書店から刊行されている京極夏彦の妖怪時代小説。「巷説百物語シリーズ」の第3作。妖怪マガジン『怪』のvol.0011からvol.0015まで連載された。第130回直木賞受賞作。
概要
江戸時代を舞台とした前作『続巷説百物語』とは趣を変え、明治時代に時代が移り、老人になった山岡百介の回想という形で数十年前に又市たちが実行した仕掛けが語られる。また、百介が自分から事件に関わるのではなく、4人の青年から怪事件の相談を持ちかけられるという形式に変わっている。
後日談だが、『半七捕物帳』のように老人の回顧録にすると前作と大差ない構造になるので、ストーリーを2つ考え、現在、回顧、過去を重ねるというスタイルになっている。
あらすじ
舞台は『続巷説百物語』から更に時代が流れた明治10年。東京警視庁一等巡査・矢作剣之進が持ち込む奇妙な話や事件を笹村与次郎達友人は協力し解決を試みる過程で、毎度のように薬研堀の一白翁のもとを訪れ智慧を借りる。彼らは老人がかつて体験した奇妙な体験談を聞くうちに現在追っている事件の謎を見つけ出していく。
主な登場人物
主要登場人物は巷説百物語シリーズを参照。
一白翁(いつぱくおう)
薬研堀界隈に九十九庵という閑居を構え、遠縁であるという娘、山岡小夜と暮らす老人。歳の頃は80と幾つか、鶴の如くに痩せ細った色白の老爺で笹村達には「薬研堀のご隠居」と呼ばれている。
『巷説百物語』、『続巷説百物語』に登場する山岡百介その人の晩年の姿であり、一白翁は号である。
旧幕時代、笹村与次郎が仕えていた北林藩を救った恩人として恩賞金を月々届けられており、二人はそれで知り合っている。その後、明治に入ってから数年の没交渉を経た後、笹村の訪問により私的な交流が復活している。
非常に博識な上、若いころに経験したという不思議な体験談を豊富に持っており、与次郎達四人はその話を楽しみに訪問しており、その中で矢作巡査の持ちこむ不思議な事件の相談を持ちかけるようになる。詳しくは巷説百物語シリーズを参照。
山岡 小夜(やまおか さよ)
笹村 与次郎(ささむら よじろう)
貿易会社・加納商事職員で、元北林藩の江戸詰め藩士。旧幕府時代、一白翁に藩からの恩賞金を毎月届ける役を慶応2年から務めていた。剣之進は見習同心時代からの友人、正馬は元同僚、惣兵衛は同郷という関係
学者ではなく単なる好事家であり、奇異な出来事や不可解な事件には多少興味がある程度で、古い書物は好むものの歴史はからきし苦手。
新しい時代に馴染もうと努力する反面、どこか新しいものに対する不信感を捨て切れないでいる。興味がない訳ではないが、暮らすのが精一杯なので、華族や士族がぴんと来ず、旧幕時代の仕組みに重ねて見てしまう所為で、公卿と大名が同じ華族だというのが納得出来ない。新政府のことも判らず、太政大臣三条実美や右大臣岩倉具視くらいしか名前と役職を知らない。
若いころの百介と感性が似ているため特に気に入られており、次第に1人で九十九庵を訪れることが多くなる。
『百鬼夜行シリーズ』の『鵼の碑』によれば、その後は「一白新聞」という小新聞を興して地方の怪談奇談を掲載し、私生活では小夜と結婚して子宝にも恵まれた後、明治23年に死没した。
矢作 剣之進(やはぎ けんのしん)
東京警視庁一等巡査で、元南町奉行所の見習い同心。旧幕時代に足繁く北林藩邸に出入りしていた縁で、与次郎とは今も親しい。
不可思議な議論を生来好む性質。珍談奇談が好きで、古典籍に精通し歴史に詳しい。古い文書を読むのが好きなので、過去に発生した事件などもよく知っている。瓜核顔で色白な童顔なので、口髭をはやしているのが不釣り合いに見える。
笹村たち友人や一白翁の知恵を借りて両国火球騒動、池袋村蛇塚騒動、野方村山男騒動などの怪奇な事件を何度も解決した事から、東京日日新聞や東京絵入新聞などの錦絵新聞にも載って有名になり、巷から妖物噺専門の官警「不思議巡査」とあだ名される様になる。
およそ15年後を描く「書楼弔堂シリーズ」にも登場し、年齢は50歳前後になっている。薩長閥から外れていたために出世は望めず風紀係のような閑職に回され、東京府会で廃娼建議が否決されたことで警察官の職を辞し、哲學館の学生となって井上圓了から哲学的思想を学んでいる。
倉田 正馬(くらた しょうま)
赤えいの魚
「島が一夜にして海に沈むのか」という話をしていた与次郎たちは、薬研堀の一白翁のもとを訪ねる。そこで、老人は40年ほど前に自らが男鹿半島の向こうにあったという戎島(えびすじま)で体験した事件のことを話し出す。品川宿の旅籠の庭に聳える大柳に纏わる奇ッ怪な騒動が一段落し、江戸に戻る途中のことであった。(『怪』vol.0011 掲載)
登場人物
戎 甲兵衛(えびす こうべえ)
300年程前に島へ富を齎した六部の末裔で、島民に頼まれて領主を呪殺しようとしたのが領主に露見して、島民に裏切られて殺され、その際の遺言により代々島親に就いている。
250余名の島民を含む島のもの全てが島親の所有物であり、掟で島民は島親に絶対服従し、漂流して来た人間ですら例外ではない。黒鍬衆が作った穀物や福揚衆が海から陸に揚げた福材は凡て自分の元へ集まり、13歳から20歳までの女は側女の役目を果たす夜伽衆として御殿に召し上がるという特権階級にある。
自分に対して厭と言う者がいないので厭がられるということが判らず、どんな無理でもいうことを聞いて貰えるので厭がる気持ちや厭ということが何なのかも判らず、そのために相手が厭だということを喜んでする。掟でどんなことをされても忤わず、厭と言わず笑顔で死んでいく島民達に苛立ち、島へ漂着し自らの所有物となった人々に残虐非道な行為をしては愉しんでいる。
満月の日にだけ出現する本土への道が沈んで以来、100年ぶりに「客」として歩いて島を訪れた百助を歓待する。
吟蔵(ぎんぞう)
戎 亥兵衛(えびす いへえ)
寿美(すみ)
三左(さんざ)
2年前に一網打尽にされた茶枳尼組の盗賊。三人組の兄貴分。甲州から信州、越後を抜けて出羽まで追われて来て、男鹿半島の入道崎に潜伏していた。代官所の追手が北浦まで迫り切羽詰まっていたところ、物見遊山に現れた百介を人質に取り、偶然霧から姿を見せていた戎島を目指す。
弐吉(にきち)、与太 (よた)
元茶枳尼組。弟分。
天火
両国で起こった小火騒ぎが発展し、油商いの根本屋が全焼した。犯人は根本屋の後妻だとみられたが、彼女は5年前に死んだ前妻の顔をした火の玉が火をつけたと証言する。頭を抱える剣之進は、与次郎たちと共に一白翁のもとを訪れると、老人はかつて摂津で起こった怪火にまつわる事件のことを語る。京の帷子辻で起きた奇妙な事件の後、大塩平八郎の乱の翌年か翌々年のことであった。(『怪』vol.0012 掲載)
登場人物
一文字屋 仁蔵(いちもんじや にぞう)
大坂の版元。百介の戯作を買い上げた。京都から来た又市や百介一行をしばらく滞在させる。上方で裏の渡世の元締めをしていた。
天行坊(てんぎょうぼう)
茂助(もすけ)
権左衛門(ごんざえもん)
権兵衛(ごんべえ)
鴻巣 玄馬(こうのす げんば)
鴻巣 雪乃(こうのす ゆきの)
医者も匙を投げた熱病を治すために天行坊を呼び出す。
美代(みよ)
考三郎(こうざぶろう)
手負蛇
池袋村の旧家で起こった蛇塚の祠に入っていた毒蛇による死亡事故。「蛇はどれほど生きるのか」という話題を与次郎たちが一白翁のもとへ持ち込むと、老人は30数年前にその祠ができたとき自分もそこにいたとして、その時のことを話し始めるのだった。(『怪』vol.0013 掲載)
登場人物
塚守 伊之助(つかもり いのすけ)
5、6歳の頃に両親を亡くして義父の粂七に何不自由なく育てられるが、何かにつけて主筋は自分だと言って粂七親子に食ってかかるうえ、全く働かず、まともに野良仕事をしたことがない。重犯罪こそ犯さないが素行も著しく悪く、死ぬ前日には嫁入り前の小作人の娘に手を付けて、目に余ると小作人一同が決起が起こるという大騒ぎに発展した。縁付いても気に入らぬとすぐに離縁したり、乱暴を働いて女房に去られるので、40歳を過ぎていまだ独り身。
塚守の家が裕福なのは家長だけが知る隠し財産のお陰だと考えており、粂七がその宝物を独り占めにしたと信じている。悪い仲間とくちなわ塚の祠を壊したところ、中に入っていた蝮に首筋を咬まれて死亡した。
塚守 伊佐治(つかもり いさじ)
塚守 伊三郎(つかもり いさぶろう)
70年前に村民が何名か亡くなったのを自分が取り殺したのだと因縁を付けられ、屋敷に乗り込んで来た大衆に追い詰められて、潔白を証明するため祟り塚の中に納められた石函を開け、中に入っていた蛇に頸を咬まれて亡くなる。
塚守 粂七(つかもり くめしち)
兄の伊佐治と兄嫁の死後、又市と百介の勧めでくちなわ塚に祠を立てた。
塚守 正五郎(つかもり しょうごろう)
お里(おさと)
伊平治(いへいじ)
70年以上前に江戸で活動していた武家屋敷専門の盗賊「くちなわ党」の頭目。元軽業師の乞胸。盗んで貯めていた大金を一党を解散するときに分配するという約定を交わしていたが、矢太や大吉の裏切りに逢って盗み先で味方を失い、逃げたものの息子と共に裏切り者達に捕えられ、拷問を受ける。
矢太(やた)、大吉(たきち)
くちなわ党の一員。金の分配について不満を抱き、他に2人を味方に付け、仲間を裏切って盗みに侵入した屋敷の者と通じて頭目と息子以外の5人を斬らせ、捕らえた頭目を拷問して金の隠し場所を白状させようとした。
加助(かすけ)
蝮の大吉の息がかかった虚無僧。毒を使う殺し屋。くちなわ党の分裂から30年を経て、失われたくちなわ党の隠し金を探していた。
山男
野方村で山男に攫われた娘が、子供を連れて帰ってくる。「山男」とは実在するものなのか、という議論に行き詰った4人組は一白翁のもとを訪れると、老人はかつて遠州秋葉山で自らが体験した山男の話を始めるのだった。(『怪』vol.0014 掲載)
登場人物
蒲生 いね(がもう いね)
蒲生 茂助(がもう もすけ)
平左(へいざ)
山野 金六(やまの きんろく)
暴動の際に茂助に抗議した。いねを探す山狩りの最中、高尾山麓で鋭い刃物で刺殺される。
俣蔵(またぞう)
伍作(ごさく)
義助(ぎすけ)
和三郎(わさぶろう)
お千代(おちよ)
五位の光
由良公房卿に「青鷺は光り、人に変ずるのか」と尋ねられた剣之進は、与次郎に質問するが明確な答えは得られず、一白翁のもとへ向かうこととなる。老人は又市と関わりを持った最後の仕掛けを話し出す。それは北林の大事件から4年ばかり後のことであった。(『怪』voi.0015 掲載)
登場人物
由良 公房(ゆら きみふさ)
全く欲のない人物で、質素な暮らし向きを苦にすることもないが、父が亡くなった際に家督をそっくり受け取らず、遺産は兄弟全部で分配し、加えて息子が私塾を開いた時の出費や孫と子がほぼ同時に生まれたことで、現在は相当苦しい。ただ、ご一新前に分家した弟達は、世が改まった後に皆事業を始めてそれなりに成功しており、その人柄のお陰で弟達から援助を受けられている。
他の4人の弟は後添えとなった他家の姫の子で、生まれてすぐ鬼籍に入った実母については誰なのか記録に残っていない。若い頃は儒学より神道や国史、地誌の方に興味を持ち、諸国を旅して由来や祭神を聞くことを善くしていた。公卿の多くが貧窮する中で旅をするだけの余裕があったことから、魔物の子だという中傷めいた噂が流れていた。
50年近く前の天保の頃、3、4歳の頃に青白く光る女から父の元へ引き渡され、直後に女は光る青鷺に変じて飛び去ったという記憶を持つ。その20年後の安政のころに信州蓼科山の中で記憶の場所を発見し、同様の不思議な体験をした。このことから、前年に両国の怪火事件を解決した剣之進に、青鷺について質問した。
「陰摩羅鬼の瑕」にも名前が登場。
由良 公篤(ゆら きみあつ)
商事会社を興した末の叔父の公胤とは反りが合わず、分家の施しを受けて暮らす本家は物乞と変わらないと誹られたのが契機となり、学問で身を立ててやろうと発奮して塾を開く。ただ、塾自体の人気はあるものの儲かっている訳ではなく、開塾した際の借金が一向に減らないので経営は厳しく、一度始めてしまった上に評判をとってしまったので、体面もあって簡単には閉められなくなった。
「陰摩羅鬼の瑕」にも名前が登場。
由良 胤房(ゆら たねふさ)
由良 公胤(ゆら きみたね)
山形(やまがた)
南方衆
風の神
「百物語をやり終えると本当に怪異が起こるのか」と公篤卿は弟子たちに尋ねられる。その話を公房卿から持ちかけられた剣之進は、それを検証するために百物語の怪談会の幹事をすることとなる。一白翁は、その会にある寺の住職を呼んでほしいと頼むのだった。(書き下ろし)
登場人物
和田 智弁(わだ ちべん)
和田 智稔(わだ ちねん)
「鉄鼠の檻」にも名前が登場。
三遊亭 圓朝 (さんゆうてい えんちょう)
国枝 慧嶽(くにえだ えがく)
ご一新後は新政府に登用されることを固辞して出家した。加持祈祷に霊験あらたかとして有名になっている。
百介の推薦で、百物語に立会人兼お祓い役として百物語会に呼ばれる。
由良 公篤(ゆら きみあつ)
由良 公房(ゆら きみふさ)
鬼原 俣吾(きはら またご)
印南 市郎兵衛(いんなみ いちろべえ)
用語
戎島(えびすじま)
島全体が常に霧のようなものに覆われているので、気がつく者は殆どおらず、地元の者でも知っている者はごく僅か。入道崎の断崖の下に穿たれた窟の中に「夷社(えびすのやしろ)」という小さなお堂があり、その鳥居の真ん中から望んだ時だけ、真正面に島の影が見える。年に一二度、善く晴れた日に、ほんの僅かの間だけ、島を覆う霧が晴れ、この時に鳥居越しに島を見ると、島の頂上に厳島神社のような朱塗りの立派な御殿が見える。
島の周囲はぐるりと絶壁になっていて、海面に近い方が括れているという、まさに奇景としかいいようがない、茸のような奇妙な形をしている。島は擂り鉢状、且つ凹型になっていて、本土から見て真裏に当たる部分は大きな湾になっている。海岸は事代ヶ浜といわれていて、湾の南西側の先端付近には鯛ヶ原という草原がある。舟をつけることも出来ず、上陸するために崖をよじ登るのも難しい。
島を流れる川は凡て高温の湧泉。北国とは思えない程に年中温暖な気候で、適度に雨も降るので、飢饉などの不測の天変地異に見舞われる心配はない。だが、空が晴れることはなく、不思議な色に濁っていることもあって爽やかさはまるでない。
本来なら簡単に往復の出来る距離にあるのだが、霧の立ち籠める辺りから半径2里以内は急で強い海流が島に向かって流れていて、島を沿うようにして島の裏側にあたる外海側へと向かい、幾つかの渦で轟を巻いて湾の中に流れ込み、湾の中央から外に向けて流出している。腕自慢の漁師が漕いでも決して逃れられない程の大変な勢いで島に引き寄せられてしまい、行ったは良いが絶対に出られないので、地元の漁師達は絶対に近付かない。
月に一度、満月の夜にだけ、1本の路のように島まで細長く続いている岩礁が海上に現れ、この路から石段を昇ると蛭子の泉という大きな湧泉の向こうに出る。300年近く前までは常に海上に露出していたとされるが、年々島が隆起して路の方が沈没しており、かつてはこの路を通って海向こうから月に一度は商人や僧侶がやって来ていたが、100年以上前から路が出現するのが月が天空に昇り沈むまでのごく僅かな時間だけとなり、外界との交流は絶たれてしまう。この路を「歩いて」島まで来た者だけが「客」として歓待される。
恵比寿尽くしの島で、道道、到るところに恵比寿の像が祀られ、特に戎屋敷では、廊下に渡された細い注連縄には恵比寿の顔を肖った御幣が連なり、床の間や部屋の四隅には恵比寿像が置かれ、其処彼処に恵比寿の彫り物が施され、酒器にも恵比寿を肖った細工が施されている。中でも優に100畳はあろうかという座敷の奥には、8尺はある巨大な恵比寿像が安置されている。
土井藩
銀2千貫を軽く超える借財を抱えて財政が逼迫していたため、緊縮財政では乗り切れず、藩札を発行するなど色々と手を講じたものの上手くいかず、最終的に法外な率の年貢の吊り上げや、鞋作りの強要、藩が作った講への強制加入といった、あまりにも酷い通達を出す。
口縄塚(くちなわづか)
30数年前に伊佐治が死んだ時に、塚の上に塚守家の屋敷神を祀った小さな祠が建てられ、扉には陀羅尼の札が貼られて固く閉ざされていた。祠の中には石を刳り貫いた蓋付きの龕のような、千両箱くらいの函が入っている。
くちなわ党
書誌情報
- 四六判:角川書店、2003年12月3日、ISBN 4-04-873501-2
- 新書判:中央公論新社〈C★NOVELS〉、2006年2月、ISBN 4-12-500933-3
- 文庫判:角川書店〈角川文庫〉、2007年4月25日、ISBN 4-04-362004-7