折蘆
舞台:東京,
以下はWikipediaより引用
要約
『折蘆』(おれあし)は、木々高太郎の長編推理小説。1937年1月から6月にかけて、『報知新聞』に連載された。木々高太郎の最初の新聞小説。
解説
作品連載の前年の夏、「時事新報」からの連載の話があった際に、作者が朝刊でなければ承知しないということで沙汰止みになったが、この作品に関しては、新聞小説に探偵小説を採用したことに満足し、ただし、毎日読者を外連味で引いてゆくことは不可能という条件で連載を承知して貰った、という経緯がある。
連載開始の言葉として、作者は以下のような言葉を掲げている。
「これは探偵小説でありますから、まず謎があり、それが論理的に段々に解けてゆく興味を中心としたのであることは言うまでもありません。しかし、そればかりではありません。この小説の底には人間的の懊(なや)みが横(よこた)わっています。探偵小説的には人間的懊みなどというものはいらぬと言う人があるかもしれません。しかし、謎を解くということが、既に真実を知らんとする人間的の懊みから来ているのに、何の疑いがありましょう。女性の真実を知らんとするのは、男性の懊みであり、男性の真実を知らんとするのは女性の懊みに違いないでしょう。この小説の半分を読むと、女性を侮辱し、女性を軽蔑し、女性の悪口をばかりいう小説のように取れるかも知れません。女性の読者はさぞ怒るでしょう。しかし、そこで怒ってしまわないで、終りまで読んで下さい。ついにその悪口が女性を尊び、女性を崇(あが)める所以(ゆえん)であることが明らかとなるでしょう。
かくて『折芦』という言葉の象徴する意味も初めて解けてくるでしょう。作者はこの意味において、一般の探偵小説を好きな人々には勿論のこと、広く女性の読者に読んで貰い度(た)いのです。いや女性のみではありません。およそ女性に関心を持つ一切の男性に読んで貰い度いのです」
だが、その後、年末に回顧して、新聞小説としては失敗だった、なぜなら、探偵小説であったからで、決して悪い出来ではないが、自身が年来主張し、少しずつ実践に移してゆこうと考えて励みつつある理想には達していない、とも述べている。
あらすじ
東儀四方之助は過去に興味半分で二三の事件に関与したことがあり、偶然にも推理が的中したという経歴を持つ高等遊民であった。あるとき、知人の志賀博士の紹介状を携えた福山みち子という夫人の訪問を受けた。みち子は夫、福山英吉の結婚後の性格の変貌を不気味に感じ、過去の舅と前妻との変死事件の調査を依頼しに来たのであった。志賀博士より当時の事情を聞いた東儀は、宿願の私立探偵事務所の開設を行い、最初の事件として調査に当たることにした。
程なくして、四方之助のかつての恋人の節子の嫁ぎ先である、永瀬家の当主が殺された、という知らせがあった。彼は二つの事件の関連性に気づき、ある推論を立てる。事件はそれで解決したかに思えたが、真相は彼の想像を超えるものであった。
登場人物
評価
- 荒正人は、この作品の主人公が虚無思想を抱いているという点で、現代の常識からすると新聞小説としてはふさわしくなかったかもしれないと評している。また、筋が単純明快であるという点で、探偵小説嫌いの読者にも理解されたであろうが、娯楽小説という点では物足りなかったかもしれず、一般に受けた小説ではなかったことは確かであろうとも述べているが、新聞小説としての欠点は小説としての根本的欠点ではないとも論じ、立派な本格探偵小説でもあり、文学作品にもなっており、一脈の詩情が流れており、小栗虫太郎には『黒死館殺人事件』があるように、『人生の阿呆』とともに、探偵小説の世界に木々の名を残した作品であろうという感想を述べている。
- 中島河太郎は、芸術論を高唱したジレンマがこの作品に露呈しており、どっちつかずのものとなっていると評し、人間関係や小道具の工夫を評価しつつも、傍流にとらわれて、事件解決の太い筋が通っていないと述べている。その一方で、著者は与えられた機会を活用して、新鮮で大人が読める小説を念願し、考え悩む探偵像を追究したのだとも論じている。
補足
- 『ローマ帽子の謎』の解明手法について、作中で述べられている。
- 同じ木々高太郎作品である『文学少女』の事件について、志賀博士の口から語られており、大心池先生シリーズと志賀シリーズが同一世界の話であることが分かる。
参考文献
- 『日本探偵小説全集7 木々高太郎集』創元推理文庫、(1985年5月24日初版)
- 『木々高太郎全集2』朝日新聞社刊(1970年11月25日初版)