楽園のこちら側
以下はWikipediaより引用
要約
『楽園のこちら側』(らくえんのこちらがわ、This Side of Paradise)は1920年出版の小説。F・スコット・フィッツジェラルドのデビュー作。ルパート・ブルックの詩『ティアレ・タヒチ』の一行がタイトルとして用いられ、第一次世界大戦後の若者の生活や倫理観が詳細に描かれた作品。主人公のエイモリー・ブレインは魅力的で、文学をちょっとかじったプリンストン大学の学生。この小説は強欲や出世競争によって歪められた愛の探究がテーマとなっている。
背景
1919年の夏、わずか1年に満たない交際期間の後、 ゼルダ・セイヤーは当時22歳だったフィッツジェラルドとの婚約を破棄した。ひと夏の間アルコールに溺れたフィッツジェラルドはその後、ミネソタ州のセントポールの家族のもとへ戻り、もし小説家として成功できたらゼルダを取り戻そうという期待を込めて本書を書き上げた。プリンストン在学中に(とりわけコテージ・クラブの図書館で)フィッツジェラルドは未発表小説の『ロマンチック・エゴイスト』を執筆し、80ページのタイプ打ち原稿だった当作は最終的に『楽園のこちら側』となり完成を迎えた。
1919年9月4日、フィッツジェラルドは手書きの原稿を彼の友人シェーン・レスリーに渡し、その原稿はニューヨークの出版社チャールズ・スクリブナーズ・サンズの編集者マックスウェル・パーキンスの元へ届けられた。スクリブナーズの編集者たちはほとんど原稿に興味を示さなかったがパーキンスは原稿を受け取り、そして9月16日に正式に採用されることが決まった。フィッツジェラルドは1日も早い出版を望んだ(これは早く有名になってゼルダをあっと言わせたかったため)ものの、出版は翌年の春まで見送られた。にもかかわらず、作品が採用され出版が決まると彼はゼルダのもとを訪ね、二人は再び交際を始めた。そして彼の成功が目前に迫った頃、ゼルダは彼との結婚を受け入れた。
出版
『楽園のこちら側』は1920年3月26日に出版され、初版の3,000部はわずか3日で売り切れとなった。初版の出版から4日後、初版が売り切れた日の翌日の3月30日、フィッツジェラルドはゼルダに、その週末にニューヨークに来て結婚しようと電報を打った。出版からわずか1週間後の1920年4月3日、ゼルダとスコットはニューヨークで挙式した。
1920年と1921年の2年間で12回の重版を繰り返し、合計49,075部を売り上げた ものの、フィッツジェラルドにとっては大きな収入にはならなかった。最初の5,000部までは1部あたり10%に当たる1ドル75セント、それ以上は1部あたり15パーセントの印税を得たが、1920年の彼のこの本による収入は計6,200ドル(2015年の価値に換算すると82,095ドル27セント)だった。しかし、その成功は今や有名人となったフィッツジェラルドにとって、短編を書くよりもずっと高い収入だった。
あらすじ
本作は2つのパートで構成されている。
『第一巻:ロマンチックなエゴイスト』
『幕間(インタールード)』
『第二巻:人格(パーソネージ)の教育』
登場人物
ほとんどの登場人物は、直接フィッツジェラルド自身の人生に関わりのあった人々である。
エイモリー・ブレイン(Amory Blaine)
ロザリンド・コナージュ(Rosalind Connage)
トーマス・パーク・ダンヴィリエ(Thomas Parke D'Invilliers)
エリーナ・サヴェッジ(Eleanor Savage)
表現スタイル
『楽園のこちら側』には異なるスタイルの表現方法が用いられている。時に虚構の説話的に、時に自由詩のように、時に文学劇のように、エイモリーによる文字や詩がちりばめられている。実は本作のこの異なるスタイルの混ぜ合わせは、フィッツジェラルドが以前の作品である『ロマンチック・エゴイスト』に、未発表であったさまざまな短編や詩を継ぎ足そうと試みた結果である。三人称が二人称に切り替わることもあり、本作が彼の半自伝的作品であることをほのめかしている。
評価
概して本作に対する評価は熱心である。シカゴ・トリビュートのバートン・ラスコーは「これは天才だと思わせるものを本作は持っている。現代の青年や若い世代のアメリカ人を知ることができる唯一の適切な研究文献である」と述べている 。またH・L・メンケンは「『楽園のこちら側』は最近読んだアメリカの小説の中で最高の作品」とも述べている。
しかし、本作に満足しなかったのがプリンストン大学の学長であったジョン・グライアー・ヒベンであった。「我が校の若者たちが単に社交クラブで4年間を無駄に過ごし、計算高く俗物根性の精神で生きていると考えるのは耐えられない」と述べている。
影響
- 『30 ROCK/サーティー・ロック』の主人公、アレック・ボールドウィン演じるジャック・ドナヒーはプリンストン大学から「エイモリー・ブレイン・ハンサムネス・スカラーシップ」を授与されたと言っている。
主な日本語訳
- 『楽園のこちら側』高村勝治訳、荒地出版社「現代アメリカ文学全集」、1957年/グーテンベルク21・電子出版、2022年
- 『楽園のこちら側』朝比奈武訳、花泉社、2016年。ISBN 978-4907205089
- 『楽園のこちら側』米文学研究同好会訳、2019年。電子書籍・Kindle版ほか
参考文献
- 坪井清彦『The Fitzgerald Club of Japan Newsletter No.17 April 2002 “The Romantic Egoist”から『楽園のこちら側』へ』
- 中村嘉男「『楽園のこちら側』に見る知的統一」長崎大学教養部紀要 人文科学篇、1993年。
- 照山雄彦「『楽園のこちら側』に関する論考」東洋文化 19号、2000年