獄門島
以下はWikipediaより引用
要約
『獄門島』(ごくもんとう)は、横溝正史の長編推理小説、および作品中に登場する架空の島。「金田一耕助シリーズ」の一つ。1947年(昭和22年)1月から1948年(昭和23年)10月まで、雑誌『宝石』に17回連載された。俳句を用いた見立て殺人を描いている。
横溝作品のみならず、国内ミステリー作品の最高峰と位置づけられている(後述の#作品の評価参照)。
本作を原作とした映画2作品・テレビドラマ5作品・舞台1作品が制作されている(2016年11月現在)。
概要
『獄門島』は『本陣殺人事件』に引き続いて雑誌『宝石』に連載されたもので、「金田一耕助シリーズ」ものとしては2番目の作にあたる。本作は金田一耕助の復員直後という時代設定になっており、作品世界としては時間的に『百日紅の下にて』の後ということになるが、執筆は『本陣殺人事件』の次である。作者は、欧米探偵小説の童謡殺人事件、特にヴァン・ダインが『僧正殺人事件』で描いたマザーグースに基づく連続殺人事件のようなものを書きたい、と考えていたが、二番煎じと批判されると諦めていたところ、アガサ・クリスティーが『そして誰もいなくなった』で同じようなことをやっているので、自分もやってみようと思い立ったと述べている。俳句を用いたのは、それに代わる童謡が日本では見つからないからであったが、それでも、童謡殺人を書きたいという思いは捨てきれず、それが『悪魔の手毬唄』につながったという。
作品全体に敗戦直後の混乱が描かれるのも1つの特徴で、復員詐欺、ラジオ番組の「復員だより」、「カムカムの時間」などと言った話題があちこちにみられる。
また、事件の内容は、歌舞伎『京鹿子娘道成寺』と関係があり、三姉妹の母親であるお小夜(既に故人)が『娘道成寺』を得意とする旅役者だったことが語られる他、第1被害者・花子は『娘道成寺』に登場する白拍子の名前であり、第2被害者・雪枝は『娘道成寺』の主要テーマである釣鐘の中で発見され、最後の被害者・月代は白拍子のような装束で殺害されており、さらに、被害者の死因は総じて日本手ぬぐいによる絞殺であるが、これも『娘道成寺』での小道具の1つである手ぬぐいと符合する。
この作品のヒロイン鬼頭早苗は、金田一耕助が生涯愛した女性の1人として知られる。金田一は獄門島を離れる際、早苗に東京へ出る気はないかとプロポーズとも取れる言葉を掛けている。しかし、早苗は「いいえ、あたしはやっぱりここに残ります。(中略)もうこれきりお眼にかかりません。」と島に残る決意を固めており、金田一は振られてしまうという結果に終わっている。
発表当初より高い評価を受けた本作は、後の本格推理派作家などに大きな影響を与えている。また戦後たびたび行われたミステリーランキングの国内部門では圧倒的にベスト1の回数が多い。横溝自身も週刊誌のアンケートで自作から本作を挙げている。
なお、金田一耕助の登場は前作『本陣殺人事件』だけの予定であったが、『本陣』の連載中に『宝石』の編集長・城昌幸から「次の作品を書け」との依頼があり、新しい探偵を考えるのが面倒という理由で金田一を再登場させることになった。
早苗や了然という登場人物名は、本作に先立って執筆された短編『ペルシャ猫を抱く女』から本作へと引き継がれたことを中島河太郎は指摘している。
作中に用いられた俳句
- 鶯の身をさかさまに初音かな (宝井其角)
- むざんやな冑の下のきりぎりす(松尾芭蕉)
- 一つ家に遊女も寝たり萩と月 (松尾芭蕉)
ストーリー
終戦から1年経った1946年(昭和21年)9月下旬。金田一耕助は、戦友・鬼頭千万太(きとう ちまた)の訃報を知らせるため、千万太の故郷である瀬戸内海に浮かぶ孤島、獄門島へ向かう船に乗っていた。金田一は、千万太が今際の際に残した「おれが帰ってやらないと、3人の妹たちが殺される…」という言葉を思い出していた。
その前年、千万太は引き揚げ船の中で、来たるべき事件を未然に防ぐため、マラリアのため余命いくばくもない自分の代わりに獄門島に行ってくれるように戦友の金田一に頼んでいた。千万太は金田一が本陣殺人事件を解決した探偵であることを知っていたのである。
金田一は獄門島へ向かう船の中で、戦争中供出されていた千光寺の釣鐘が鋳潰されずに返還されることになったことと、出征していた千万太のいとこである一(ひとし)の生存情報を耳にする。
獄門島は封建的な因習が残っている孤島で、島の網元である鬼頭家は、本鬼頭(ほんきとう)と分鬼頭(わけきとう)とに分かれて対立していた。千万太は本鬼頭の本家、一は本鬼頭の分家である。
本鬼頭家には、千万太の異母妹である三姉妹、月代・雪枝・花子。そして美しくしっかり者の一の妹・早苗がいたが、当主である千万太の父・与三松は発狂して座敷牢に入れられており、千光寺の住職・了然と村長の荒木真喜平、医者の村瀬幸庵がその後見人となっていた。
それから10日あまり経って釣鐘が戻ってきた同じ日に千万太の正式な戦病死の公報が届き、葬儀が営まれた。その夜、末妹の花子が行方不明となり、了然の指示で捜索が行われたが見つからない。寺に戻ることにした金田一が千光寺の典座・了沢や潮つくり・竹蔵と合流し、提灯を持って先を行く了然の後を追っていたところ、境内に入った了然があわてて3人を呼びつけた。その指差す先を見ると、庭にある梅の古木に足を帯で縛られた花子が逆さまにぶら下げられて死んでいた。金田一は了然が念仏を唱える中「きちがいじゃが仕方がない」とつぶやくのを耳にする。了然が発狂した千万太の父を犯人だと思っているのなら「きちがいだから」であるはずが、なぜ「きちがいじゃが」なのかと疑問を抱く。
翌日、金田一は逗留させてもらっている千光寺で、千万太と一の祖父で本鬼頭の先代・嘉右衛門が揮毫した3句の俳句屏風を目にする。「むざんやな 冑(かぶと)の下の きりぎりす」「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」の2句は読めたが、残る1句が判読できなかった。
残る2人の姉妹も千万太の遺言通りになることを恐れた金田一だが、挙動不審者として清水巡査に留置場に入れられてしまい、その間に次の殺人が起こる。今度は三姉妹の次女の雪枝が首を絞められて釣鐘の中に押し込まれていた。勾留されていたためにアリバイがあり、釈放された金田一は現場に赴き、そこで了然が「むざんやな」の句をつぶやくのを聞く。金田一が釣鐘をテコの原理で持ち上げる方法を実演してみせた後、復員兵の海賊が潜入したとの報告を受けた磯川警部が島を訪れ、金田一と再会する。
花子や雪枝が殺された日、何者かが屋敷や寺に侵入した形跡が見つかる。海賊や殺人犯人の仕業ではないかと目され、山狩りが行われることになった。その最中、金田一は床屋・清公から、三姉妹の母のお小夜は「道成寺」が得意な旅役者で、与三松が見初めて後妻にしたものの先代の嘉右衛門との折り合いが悪く狂死、そのあと与三松もおかしくなり座敷牢に入れられたという顛末を聞く。その直後、復員兵が転落死するが、転落する前に何者かに頭を殴られていた。早苗はその男が兄の一かもしれぬと思い、ひそかに食物を差し入れていたのだが、別人と判明する。その夜、本鬼頭では雪枝の通夜が行われた。三姉妹の長女である月代は白拍子姿となり母から伝授されたという祈祷を行っていたが、祈祷の鈴の音は途中から猫が鳴らしており、月代は絞殺されて辺りには萩の花が撒かれていた。
金田一は、雪枝が殺された日に釣鐘が移動したという目撃情報を聞く。さらに月代がこもった祈祷所を先代が「一つ家」と呼んでいたことを聞かされて、月代の死が「一つ家に」の句の見立てであることに気付き、読めなかった屏風の句が「鶯(うぐいす)の身を逆(さかさま)に初音かな」であること、そして三姉妹はすべて屏風の句の見立てで殺されたことを知る。金田一は獄門島の人間は気がちがっていると興奮し、その瞬間「きちがい」という言葉に関する謎が解ける。
金田一はこの事件に先代の影が差していることから、分鬼頭の当主・儀兵衛に話を聞く。そこで嘉右衛門が見立て遊びを好んだこと、孫息子を2人とも戦争にとられ、忌み嫌っていたお小夜の血が残る本鬼頭の将来を憂い、島の三大長老である住職の了然、村長の荒木、医者の幸庵に何かを託したこと、また彼らも嘉右衛門に同情的だったことを知る。それまで金田一は警察が来たことで自分の素性が知れたと思い込んでいたが、かつて自分が関わった「本陣殺人事件」の新聞記事を村長が読み返しており、それを目撃した助役が儀兵衛にも耳打ちしていたことを知り、彼らがずっと以前から自分の素性を知っていたことに愕然とする。
金田一は磯川警部立会いのもと了然と面談し、一連の殺人事件の真相を語る。花子(と復員兵)は了然、雪枝は荒木、月代は幸庵に殺されたのであり、俳句の見立てによる殺害方法も含めて、すべては死んだ嘉右衛門の差し金によるものであった。了然が念仏を唱えながらつぶやいたのは「季違いじゃが仕方がない」であり、「鶯の身を逆に初音かな」は春の句であるのに対し現在は秋で、季節が違うということを指していた。出征した千万太が死亡すれば、気の狂った与三松とその子供である三姉妹が本鬼頭を継ぐことになるが、嘉右衛門は三姉妹のうち誰が跡を継いでも本鬼頭の家が危うくなるうえ、三姉妹の母親であるお小夜に対する憎悪も手伝って、千万太が死に、一が帰った場合には、一に本鬼頭の家を継がせるために邪魔になる三姉妹を殺害しようと考えた。了然は、そのことを嘉右衛門が死の直前に自分たち3人に依頼したこと、「むざんやな」に使う釣鐘が戦時物資として供出させられているため嘉右衛門が指定する殺人方法は成立しないと安易に考えていたところに、釣鐘が帰ってきたうえ、千万太の死と一の生還という条件まで揃ってしまったため、実行に踏み切ったことを語る。
金田一はすべてが明らかになった後、前夜に荒木が島から逃亡したことと、幸庵も面談の前に発狂したことを知らせ、さらに一の生存が「復員詐欺」による偽りであったことを伝えたところ、了然はその場で憤死する。金田一は残された早苗に東京に出る気はないかと誘うが、早苗は本鬼頭を継ぐ意志を固めていたため、ひとり島を去る。
登場人物
- 金田一耕助(きんだいち こうすけ) - 私立探偵
- 磯川常次郎(いそかわ つねじろう) - 岡山県警察部の警部
- 清水(しみず) - 獄門島駐在巡査
- 鬼頭嘉右衛門(きとう かえもん) - 本鬼頭家先代、故人
- 鬼頭与三松(きとう よさまつ) - 本鬼頭家当主、精神病を患い座敷牢にいる
- お小夜(おさよ) - 与三松の妾、女役者、故人
- 鬼頭千万太(きとう ちまた) - 与三松の息子
- 鬼頭月代(きとう つきよ) - 与三松の長女、お小夜の娘で千万太の腹違いの妹
- 鬼頭雪枝(きとう ゆきえ) - 与三松の次女、お小夜の娘で千万太の腹違いの妹
- 鬼頭花子(きとう はなこ) - 与三松の三女、お小夜の娘で千万太の腹違いの妹
- 鬼頭一(きとう ひとし) - 千万太のいとこ、本鬼頭分家
- 鬼頭早苗(きとう さなえ) - 一の妹、本鬼頭分家
- 勝野(かつの) - 嘉右衛門の妾、通常「お勝」と呼ばれている
- 鬼頭儀兵衛(きとう ぎへえ) - 分鬼頭当主
- 鬼頭志保(きとう しほ) - 儀兵衛の妻
- 鵜飼章三(うかい しょうぞう) - 分鬼頭居候、復員軍人
- 荒木真喜平(あらき まきへい) - 獄門島村長
- 了然(りょうねん) - 千光寺住職
- 了沢(りょうたく) - 千光寺典座
- 村瀬幸庵(むらせ こうあん) - 漢方医
- 竹蔵(たけぞう) - 潮つくり
- 清公(せいこう) - 床屋
本鬼頭系図
某 | |||||||||||||||||||||||||||||
千万太 | 〈本家〉 | ||||||||||||||||||||||||||||
与三松 | 月代 | ||||||||||||||||||||||||||||
雪枝 | |||||||||||||||||||||||||||||
お小夜 | 花子 | ||||||||||||||||||||||||||||
嘉右衛門 | |||||||||||||||||||||||||||||
一 | 〈分家〉 | ||||||||||||||||||||||||||||
某 | |||||||||||||||||||||||||||||
早苗 | |||||||||||||||||||||||||||||
横溝正史による解説
横溝正史が最初に『獄門島』の筆を執ったのは1946年(昭和21年)10月で、最終篇の脱稿は1948年(昭和23年)8月と、足かけ3年、実年月で1年と10か月の長期連載となっていて、横溝は「むろん、私としては初めての経験であった」と振り返っている。
横溝が島を舞台とする小説を書くことを思いついたのは戦争中で、1945年(昭和20年)の春に両親の出身地である岡山県へ疎開したのも、瀬戸内海の島が近いというのがひとつの理由であった。しかし「元来出不精で乗り物恐怖症」のため、疎開中にどの島にも足を運ぶことはなかった。にもかかわらず本作で小島の封建的な風習、風物を描くことができたのは、疎開先の部落に、かつて瀬戸内海の島で青年学校の教師をしていた人がいたからだと語っている。また、島を舞台に書きたいという願望は、遠くは江戸川乱歩の『パノラマ島奇譚』や『孤島の鬼』に端を発しているが、近くはカーター・ディクスンの『プレーグ・コートの殺人』の影響であり、「プレーグ・コートは別に島ではなく、ロンドン郊外にある中世風の旧家である。だから、これを島にもっていっても、いっこう差支えのないような雰囲気なのである。」と述べている。
俳句屏風を作品に用いようと思いついたのも戦争中のことで、博文館を辞めるきっかけとして家を建てた際に友人から新築祝いに贈ってもらった「鶯の身をさかしまに初音かな」等3枚の俳画の色紙が貼られている屏風を疎開先に持ち込んで、これ小説にならないかな、ヴァン・ダインの『ビショップ』(『僧正殺人事件』)のようにやれないかと思いついたと語っている。
横溝は大方の構想がまとまったところで友人にそれを聞いてもらう習慣だったが、疎開先ではもっぱら夫人に話していた。この『獄門島』でもそうしたところ、夫人が「ひとりずつ犯人なのね」と応じた。横溝は「そんなの馬鹿にされる」と怒ったものの、「今までなかったから面白いのではないか」と考え直し、「怪我の功名」で『獄門島』の犯人が出来上がったという。
作中の「釣鐘の力学」のトリックについては海野十三、曹洞宗の知識については千光寺の和尚・末永篤仙に教示を仰いでいる。
横溝には神戸二中時代に西田徳重という探偵小説マニアの友達がいたが、中学卒業後の秋に早世してしまった。横溝はその縁で兄の西田政治と文通するようになっていた。横溝は8月15日の日本敗戦後、疎開先ですることがなく、「本格探偵小説の鬼であった」といい、小さなトリックを、つぎからつぎへと思いついては悦に入っていた。さきの西田兄弟はそろって本格探偵小説ファンで、兄の政治は「GIが売り払っていった古本が、古本屋に山のようにある」と、ポケット・ブックを疎開先にあとからあとから送ってくれた。横溝の本格熱はますます過熱し、「西田政治さんの送ってくれた本の中にアガサ・クリスチーの『そして誰もいなくなりました』があった。これがのちの私の『獄門島』になった。」と語っている。戦後の長編第1作として横溝は『本陣殺人事件』を執筆するが、これは試験的作品であり、「したがって私がはじめから自信をもって着手した、本格探偵小説は第2作の『獄門島』以降ということになるのであろう」としている。
有名な「きちがいじゃが仕方がない」については、エラリー・クイーンの『Yの悲劇』における「なぜ凶器がマンドリンだったのか」というサブトリックの真相に感心し、メイン・トリック以外にああいう細かいトリックを散りばめると効果的だと思ったため考案したと横溝は述べている。
作品の評価
- 1949年「第2回探偵作家クラブ賞」候補にノミネートされる。
- 田中潤司は作者作品ベスト5を選出した際、本作品を1位に挙げ、作者もこれを「妥当なもの」としている。
- 『週刊文春』が推理作家や推理小説の愛好者ら約500名のアンケートにより選出した「東西ミステリーベスト100」の国内編で、本作品は1985年版と2012年版のいずれにおいても1位に選出されている。
- 英訳版に対して、2022年6月10日のニューヨーク・タイムズの新刊書評で、「ジョン・ディクスン・カーを少々、アガサ・クリスティをひとつまみ」と、偉大な推理作家の名を引いてほめていた。
『夜光怪人』版「獄門島」
横溝による探偵由利麟太郎シリーズのジュブナイル作品『夜光怪人』の終盤に、目的地であるとなりの龍神島への経由地点として、獄門島が登場する(ただし読みは「ごくもんじま」)。瀬戸内海の島という地理関係、その昔海賊が跋扈していた地という設定も『獄門島』に準じたもので、鬼頭儀兵衛や島の駐在・清水巡査も再登場する。
『夜光怪人』の年代は不明瞭(「仮装舞踏会」の章で「今年はだいぶ世のなかも(注:戦争から)立ちなおった」とあるので戦後復興期頃)だが、儀兵衛が島の漁師全体を率いる存在として描写されており、本鬼頭関係者は出てこない。
ソノラマ文庫版および角川文庫版、角川スニーカー文庫版『夜光怪人』は山村正夫の手により、「由利麟太郎」の部分が「金田一耕助」に書き換えられているがその辺の整合性が合わされておらず、金田一が獄門島で協力を頼んだ際、清水巡査は既知だからではなく「著名な探偵だから」協力したことになっている。
映像化作品(共通事項)
いわゆる「放送禁止用語」の問題
本作における事件の謎を解くのに極めて重要な鍵として、俳句用語である「季違い」と「気違い」の聞き間違いというものがあるが、最近のテレビ放送においては表現の自主規制が行われているために問題が生じる場合がある。
例えば、1977年版の映画が後年テレビ放送された際、「キチガイ」という音声が消されるなどの処理がなされ、原作未読の視聴者にとってはなぜ金田一が謎を解けたのか理解できない状況となってしまったことがあった。しかし、近年におけるBS放送での放映では、「現代からすれば不適切な用語・表現などが含まれるが、作品のオリジナリティーを尊重してそのまま放送した」などの断り書きを表示して、音声処理を施さないオリジナルで放送されることも多々みられる。
テレビドラマにおいては、「気違い」という言葉を使わなくとも話が成立するように変更している事例が多い。具体的には、1977年版では「同音異義語の聞き違い」というトリックを無くして単に意味が判らなかっただけとし、1990年版、1997年版、2003年版では与三松が精神に異常をきたしているという設定自体を無くしている。一方、2016年版は、この部分を原作通りの設定とした。
撮影地
「獄門島」の所在地の設定は、笠岡諸島最南端ということ、作中に登場する定期便の航路(笠岡から出発して真鍋島の次に停泊する島)など、六島と共通する点が見られ、1977年の映画化の際には六島で撮影が行われたが、1990年のドラマ化の際には真鍋島で撮影された。
映画
1949年版
『獄門島』は1949年11月20日に、『獄門島 解明篇』は1949年12月5日に公開された。東横映画、監督は松田定次、脚本は比佐芳武、主演は片岡千恵蔵。
- この作品では、「獄門島」の読み仮名は「ごくもんじま」となっている。
1977年版
1977年8月27日に公開された。東宝、監督は市川崑、脚本は久里子亭(日高真也+市川崑)、主演は石坂浩二。
- この作品では、犯人を原作とは別の人物に変更している。それに合わせて予告編では横溝正史本人による「金田一さん、私も映画の中の犯人を知らないんですよ」という語りがある。また下記に記載されているように、映画公開の直前にテレビドラマ版の放送があり、映画館の入り口に「テレビとは犯人が違います」という看板が立てられて宣伝されていた。
テレビドラマ
1977年版
『横溝正史シリーズI・獄門島』は、TBS系列で1977年7月30日から8月20日まで毎週土曜日22時 - 22時55分に放送された。全4回。
毎日放送製作。
キャスト
スタッフ
原作との主な差異
1990年版
『横溝正史シリーズ・獄門島』は、フジテレビ系列の2時間ドラマ「男と女のミステリー」(金曜日21時3分 - 23時22分)で1990年9月28日に放送された。
キャスト
スタッフ
原作との主な差異
1997年版
『名探偵・金田一耕助シリーズ・獄門島』は、TBS系列の2時間ドラマ「月曜ドラマスペシャル」(毎週月曜日21時 - 22時54分)で1997年5月5日に放送された。
キャスト
スタッフ
原作との主な差異
2003年版
『金田一耕助ファイルII 獄門島』は、テレビ東京系列・BSジャパン共同制作の2時間ドラマ「女と愛とミステリー」(毎週水曜日20時54分 - 22時48分)で2003年10月26日に放送された。
キャスト
スタッフ
原作との主な差異
2016年版
スーパープレミアム『獄門島』のタイトルで、2016年11月19日にNHK BSプレミアムで放送。主演は長谷川博己。
この作品では「きちがいじゃが仕方がない」は変更されずそのまま用いられた。
キャスト
スタッフ
原作との主な差異
舞台版
「劇団ヘロヘロQカムパニー」によって、2012年12月16日 - 22日に前進座劇場で上演された。
キャスト
スタッフ
漫画化
本作はささやななえ、いけうち誠一、JET、長尾文子により、4作品の漫画化が行われている。
関連イベント
- エキスポランド・人が演じる幽霊屋敷『獄門島』
その他
- テレビ朝日「火曜ミステリー劇場」の『なんでも屋探偵帳 はりつけ島連続殺人』(1990年)は、有槻島・通称:“はりつけ島”なる島が舞台となっており、本作のパロディ的な作品となっている。
- 『金田一少年の事件簿』にて本作の事件は『金田一少年』の劇中世界において実際に起きた殺人事件であることが言及されている。
参考文献
- 中島河太郎 (1971)、「解説」(角川文庫、横溝正史『獄門島』)
- 中島河太郎 (1977)、「解説」(角川文庫、横溝正史『ペルシャ猫を抱く女』)
- 大坪直行 (1971)、「解説」(角川文庫、横溝正史『悪魔の手毬唄』)
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