甲子園へ行こう!
以下はWikipediaより引用
要約
『甲子園へ行こう!』(こうしえんへいこう)は、三田紀房の漫画作品である。1999年から2004年まで講談社の漫画雑誌「週刊ヤングマガジン」に連載された(1999年連載当初は別冊ヤングマガジンに掲載)。
あらすじ
鎌倉西高校(通称・鎌西)1年生、四ノ宮純は1年目の夏の大会にてエース投手の故障で先発登板のチャンスを得て、9回二死までは無失点だったものの、二死満塁から最後の1ストライクが取れず、連続押し出し四球を与えてサヨナラ負けを喫する。
四ノ宮はこの押し出し四球がトラウマになり、練習でもストライクが取れないほどになったが、1年秋の秋季大会には復帰した。辛うじて得失点差で予選リーグを突破するものの、県大会では惨敗してしまった。この秋季大会以後、貞兼部長が「勝つ野球」を推し進めていくことになり、チーム内は「勝つ野球」か「楽しい野球」かで揺れることになるが、キャプテン長瀬を中心にして最終的には勝つ野球でまとまっていく。
貞兼は投手の独り立ちが必要と考え、かつての教え子で、プロ選手となった後にスカウトをしている若村に協約違反を承知でコーチを依頼し、以後四ノ宮はメールによる若村の的確な指導を受けてフォームを改造、制球を向上させる。四ノ宮が2年生でエースナンバーを獲得し、夏の大会は初戦から綱渡りの連続で際どい逆転勝ちを続けて県大会にて同校史上初となるベスト4進出の快挙を果たす。
大会終了後、四ノ宮はひとりで合宿を抜け出して甲子園の試合を見に行き、さらに大阪の強豪・豊臣学園の練習に参加し、アドバイスを受け投球フォームを改造する。秋季大会でも準決勝で敗れたものの、地元開催の特権により関東大会進出を果たす。1回戦で敗退するが準優勝校に善戦したことが評価されてセンバツの最終選考に残り期待されるが、無念の落選となる。
四ノ宮が3年となった夏の県大会はシード校として強豪私学相手に僅差で接戦の連続ながら安定した試合運びで順調に勝ち進み過去最高の決勝戦まで至るも、相手投手の豪腕に1人もランナーを出せず完全試合を達成され、惜しくも準優勝となり甲子園への夢は果たせなかった。
その後、四ノ宮は大学野球部のセレクションに挑む。
登場人物
鎌倉西高校
四ノ宮 純(しのみや じゅん)
本作品の主人公。右投右打、投手、外野手。高校1年の夏に押し出し四球で敗戦し、それから「普通にストライクの取れるピッチャー」になるべく努力を重ねる。
珠算3段の腕前で指先の感覚に優れており、若村には球の回転は普通ではないと評された。当初は制球もままならず、変化球のスライダーやカーブも使い物にならなかったが、若村の指導を受けて1年の秋にフォーム改造をしたことで制球力が増した。2年の夏にはブーメランの投げ方からヒントを得て「ブーメラン・カーブ」と自称するカーブをマスターした。2年の秋から冬にかけて速球派投手を目指して、剣道の素振りなど筋力を増強するトレーニングを行ったことからストレートも最終的には130キロ台後半に到達、さらにキレも鋭いため簡単にはミートされなくなった。縫い目に引っ掛ける指先を調節する事でナチュラルに曲がるスライダー系、シュート系の速球(ムービング・ファストボール)を投げる事で打者を打ち取り、またヒジの使い方が抜群で負担を掛けない投げ方のため連投も平気である。最後の夏は7試合に先発し6試合を完投、防御率0.60の素晴らしい成績を残した。反面打者としては8番、9番を任されており打力はあまり無いが打席ではしぶとく粘り強い。
宅見 駿介(たくみ しゅんすけ)
四ノ宮と同学年の二塁手、後に遊撃手。右投両打。名門横浜第一の監督滝島徹郎の息子だが、両親は幼い頃に離婚しており父親とは別居している。名門校の監督の息子として周囲から騒がれることを避けるため、公立校で高校野球気分を楽しもうと鎌倉西高校に進学した。1年の秋からセカンドのレギュラーとして起用され、また2年の夏の大会では3番に昇格した。2年の秋以降、守備位置を遊撃にコンバートされキャプテンとなったが、前任の長瀬と違ってクールな性格が災いし、ナインから信頼がなかなか得られず悩むこととなった。選抜落選後は、「身の丈にあった普通の野球」によって神奈川を勝ち抜くことを提唱し、チームにこの意識を徹底させた。実力は折り紙つきで、スイングも鋭くセンス抜群で長打力も発揮できる神奈川県有数の強打者であり、横浜第一のエース藤島をもってして「こいつだけは別格」「なんでこんな奴が鎌西なんてしょぼいチームに」と言わしめる程である。守備も瞬発力を生かしてファインプレーを連発し、センスの良さを発揮している。
猿石 貴史(さるいし たかし)
鳴沢 講平(なるさわ こうへい)
雪野 透(ゆきの とおる)
竹井 直孝(たけい なおたか)
長瀬 勝秀(ながせ かつひで)
高平 佳弘(たかひら よしひろ)
四ノ宮より1学年先輩の一塁手。右投右打。強豪私立でベンチ入りできると評されるほどの長打力を持つが、極度の練習嫌いなために鎌倉西に進学した。大振りが目立つアッパースイングで試合ではチャンスを潰すことが多く、4番を任されているが打点も少ない。四ノ宮とのチームの方向性を賭けた30球勝負では全く力を発揮できずに敗れる。しかしその後は練習後にバッティングセンターのゲージを長時間貸切り打撃を向上させた結果、四ノ宮と同じように勝負を挑んできた赤原を初球場外ホームランをで返り討ちにするなど成長している様子。3年生の選手権予選の湘学舎戦では満塁の走者を一掃する逆転タイムリーを放った。典型的なお山の大将タイプで、同じく個性の強い赤原とは事あるごとに衝突していたが、上記の湘学舎戦においてお互いのプレーを認め合い和解した。
川地 達郎(かわち たつろう)
赤原 譲也(あかはら じょうや)
四ノ宮より1学年後輩の投手。左投左打。1年の頃から130キロ中盤のストレートを投げていたが、球にしっかりと回転がかかっていないため棒球であり、コントロールも良くなかった。バッターとしても長打力があり、1年の夏から5番を任されている。東京のボーイズリーグではかなりの有名選手で横浜第一に進学するつもりであったが、進路を勝手に決めようとしたボーイズの監督と揉め事を起こしたことで問題を抱えた選手と思われてしまい、強豪校への進学を絶たれてしまった。性格は自己中心的、協調性ゼロと言われており、特に1年の夏の大会で試合中に高平と言い争いをした際や、秋の大会で先発起用されないことにふて腐れてベンチの空気を悪くした際には布施監督から激怒されている。物語後半では四ノ宮中心の投手起用に潔く理解を示すなど人間的に成長した描写があり、ピッチングもそれなりのレベルにはなってきている。
猪久保 亘(いのくぼ わたる)
貞兼 利次(さだかね としつぐ)
横浜第一高校
藤島 陽平(ふじしま ようへい)
ハマの大エースの異名を持つ超高校級投手。右投右打。四ノ宮と同学年だが素材的にも精神的にも優れたものを持っている。150キロのボールは「自然に」投げられると言ってのける。2年夏の甲子園敗退後、監督から自身の才能は自分だけのものではなく、日本の野球ファンすべての人のものだといわれ、自身の野球に対する目標を見出す。作品中では四ノ宮のライバルではなく飛び抜けた存在として描かれるがエースピッチャー同士、野球に取り組む考え方など気が合うのか、試合以外ではかなり親しく普通の友人感覚で会話をしている。
自分の実力に確固たる自信を持ち、四ノ宮に対しては「俺とお前では背負っている期待が違う」と独白し実際に甲子園優勝も果たしているが「(俺がいない)他の県ならば、お前も甲子園に行けたのにな」と実力を認め、予選を常に勝ち上がってくる実績に対して「相変わらず本番にきっちり調整してくるな」と一目も置いている。
邦大藤沢高校
仙波 敦志(せんば あつし)
元町高校
夏井 健人(なつい けんと)
湘学舎高校
脚注・注釈
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