疾風の勇人
以下はWikipediaより引用
要約
『疾風の勇人』(しっぷうのはやと)は、大和田秀樹による日本の歴史漫画。「所得倍増伝説!!」というサブタイトルが付されている。『週刊モーニング』(講談社)にて、2016年9号から2017年27号まで連載された。単行本は全7巻(講談社モーニングKC)。
概要
戦後政治史に脚色を加え、大蔵省次官から政治家に転身しやがて総理大臣となった池田勇人の活躍を描く。大和田が『ムダヅモ無き改革』の連載中、第二次世界大戦の資料を集めていた流れで戦後史の資料を読んだ際にこの作品を思い立ったという。
「一番ドラマチックな人生を送っている」「映画や小説などで取り上げられたことのない人物」であることから池田を主人公に選び、タイトルの「疾風」は衆議院議員初当選から11年で首相に上り詰め、退任後間もなく死去した池田の生涯をイメージしている。2008年・2009年ごろから構想を練り始め、『佐藤栄作日記』などを参考に描いている。主人公には田中角栄と吉田茂も考えられていたが、田中は総理大臣在任中よりも就任前・退任後の方が活躍しており、またロッキード事件で失脚している点などから読者が感情移入し難いという理由で、吉田は「貴族的な雰囲気」で共感を得られないために、それぞれ候補から外している。池田の外見は『負けて、勝つ 〜戦後を創った男・吉田茂〜』の渡辺謙や『リンカーン』のダニエル・デイ=ルイスの影響を受け、史実よりも美形に描かれている。
単行本第3巻の発売を記念して「あの政治家に聞いてみた! 池田勇人とその時代」と題したシリーズ企画が行われ、小沢一郎、藤井裕久、丹羽雄哉、山崎拓、藤井孝男のインタビューが『モーニング』誌に掲載された。これらは3巻以降の単行本の巻末に1本ずつ収録されている。
フリースタイルの『THE BEST MANGA 2017 このマンガを読め!』で第2位に選出されている。
当時首相だった安倍晋三の祖父である岸信介が妖怪然とした姿で登場していたことや、池田が首相になる前の第5次吉田内閣総辞職の時点で突如終了したことなどから、連載打ち切りには政治的圧力が背景にあるのではと憶測を呼んだが、週刊モーニング編集部によると岸が登場する前の2016年の時点で既に終了が決まっていたという(一方で作者の大和田が「突然ですが次週でおしまい。第三章「死闘!55年体制編」、第四章「宏池会爆誕編」の再開は未定」とツイートしている)。本作のファンである岸田文雄は第3次安倍第3次改造内閣を控えた2017年7月、東京都内の日本料理店で安倍に同作を熱っぽく紹介した際「(岸が池田の敵役であったので)ちょっとまずかったかなあ」と周囲に漏らしたが、安倍は意に介さなかった。
あらすじ
1947年、GHQ統治下の日本において、大蔵省次官として復興財源を集める日々を過ごしていた池田勇人は、旧知の運輸省次官・佐藤栄作と共に白洲次郎に招かれ、首相の座を追われたばかりの吉田茂の邸宅を訪れる。吉田が2人を呼び寄せた目的は、党内基盤が脆弱な現状を打破するため、高い政策運営能力を持った精鋭を結集させた為政者集団「吉田学校」を作り、マッカーサー率いるGHQを日本から追い出し独立を自らの手で果たすことにあった。吉田の志に共感した2人は学校に加わり、官僚を辞して政治家への転身を決意。吉田はまず政界工作に乗り出し、炭鉱国家管理法案の問題点を突くことで寄り合い所帯の片山哲政権を分裂させ内閣総辞職に追い込む。続く芦田均政権も池田と田中角栄が昭電疑獄を暴くことで窮地に立たせ、同時に芦田の背後にいるGHQ民政局のケーディス大佐の謀略を潰しスキャンダルによって追放。これにより吉田は政権を取り戻し、第2次吉田内閣を樹立させた。
1949年、池田と佐藤は第24回衆議院議員総選挙に初当選して衆議院議員となり、前尾繁三郎ら新人・若手も大量に加わって吉田学校は盤石なものとなった。池田は宮島清次郎の推薦によって一年生議員にもかかわらず大蔵大臣に抜擢され、大蔵官僚時代の部下だった大平正芳と宮澤喜一を秘書官に任命する。就任直後、GHQへ派遣されてきたドッジ公使はインフレ抑制策としてドッジ・ラインの実施を命令。この強硬政策の影響で起こったドッジ不況により日本経済は激しく混乱し、国鉄の大規模人員整理は下山事件などの大事件を引き起こした。政府の責任者としてラインの実施や予算・減税案の編纂に当たる池田は、GHQとの折衝に八面六臂の活躍を見せ政界にその存在感を示しながらも、悪役として国民に憎まれるようになってゆく。
1950年、通産大臣兼任となった就任会見における不用意な発言から「"中小企業の五人や十人自殺してもやむを得ない"と放言した」と報道される。この「中小企業発言」は多方面から激烈な非難を浴びせられ国会に不信任決議まで提出される騒動になるが、吉田の計らいで不問に付され不信任決議も否決された。4月、白洲・宮澤と共に日本政府特使として訪米。アメリカの商工業の視察とドッジ・ラインの緩和交渉のためとされた渡米の真の目的は、講和の下地作りのため吉田の密使として国務省・国防総省と秘密裏に交渉することで、マッカーサーも言外に承認していた。「独立を果たした後、日本の自主的要請に応じて米軍を国内に駐留させる」という吉田の案はそれぞれ異なる方針を執っていた国務省と国防総省の双方に受け入れられ、またドッジ公使との交渉でもラインの緩和と減税措置を勝ち取り、特使団は意気揚々と日本へ帰国した。
帰国直後の5月、GHQの頭越しに本国と経済交渉をしたことに経済科学局局長マッカートが激怒、民政局局長ホイットニーと連名で強烈な警告を発する。第2回参議院選挙を応援するつもりで京都を訪れていた池田は急遽東京へ戻り、訪米の真の目的が講和の下交渉だったことを明かしてマッカートの恫喝をはねのけ、池田が頭を下げGHQの顔を立ててやる形で事態を終息させた。6月、北朝鮮軍が38度線を越えて侵攻を開始し、朝鮮戦争が勃発。日本経済は降って湧いた朝鮮特需に活況を見せるが、池田は特需によるインフレと戦争終結後の経済混乱を危惧、やがて予測通り米軍の需要過多によるインフレが始まり、激化する戦況に苦慮しながらドッジらと協力して対策を推し進める。この一連の政策にまつわる国会答弁が「貧乏人は麦を食え」発言として報道されたことで池田は「麦飯大臣」の悪名で呼ばれるようになる。1951年1月、吉田とダレス特使による正式な講和交渉が開始される。米軍駐留に加え、先立って設立されていた警察予備隊を大幅に増強する30万人規模の即時再軍備を求めるアメリカに対し、冷戦が激化する世界情勢と立ち直りきっていない日本経済を鑑みた吉田はこれを拒否、かわりにアジア諸国への賠償を済ませた後で5万人規模の保安隊を創設したいと提案する。トルーマン大統領の足元を見る形で出されたこの代案はダレスに受け入れられ、やがて交渉は最終段階へと突入した。しかし4月、講和案の国会採決に向けて気を引き締める吉田学校に飛び込んできたのは、マッカーサーがGHQ総司令官を解任されたという突然の知らせだった。
マッカーサーがトルーマンとの対立で解任され日本を去り、講和交渉に俄かに暗雲が垂れ込めたように思われたが、幸いにも交渉プロセスに大きな変化は顕れなかった。朝鮮戦争も司令官交代により38度線で膠着し、やがてアメリカ・ソビエト連邦間で休戦交渉が行われ始める。7月、講和条約の草案と日米安保条約案の存在が公表され、アメリカは超党派・挙国一致の全権団の派遣を日本に要求。池田は吉田の命を受け、国民民主党の代表を全権団に参加させるべく三木武夫との交渉に臨むも、売り言葉に買い言葉で三木の説得に失敗しあわや講和を台無しにしかけ、吉田を激怒させてしまう。最終的には国民民主党の代表参加を取り付け、東側諸国も含む全面講和を主張していた日本社会党からのオブザーバー派遣も約束させたが、池田は自らの政治生命の終わりを覚悟。しかし吉田が6人の全権委員のひとりとして指名したのは、他ならぬその池田だった。そして9月、サンフランシスコにて行われた講和会議にて、アメリカ主導の講和を破壊しようとするソ連の妨害を退け、吉田首相と全権委員はサンフランシスコ講和条約に署名。日本はついに悲願の独立を成し遂げ、ここに新生日本の夜明けが訪れた。しかし吉田学校にとってそれは、GHQの公職追放が解けた「戦前の妖怪」との戦いの始まりも意味していた。
1951年秋、大蔵大臣池田の尽力の甲斐あって日本財政はようやく健全化し、ドッジも最早アメリカの力は必要ないと太鼓判を押した。この時期から池田に、総理大臣として国政を指揮したいという願望が芽生え始める。自由党前党首・鳩山一郎は自らの公職追放令の解除を受け、「復帰したら党首の座を返す」というかつての約束を盾に政権交代を迫るが、国内外の情勢を無視した鳩山の政治観を危惧した吉田はこれを拒否、吉田学校と鳩山派の政争が始まる。鳩山派は学校の筆頭格である池田に狙いを定め、池田の師匠・石橋湛山が池田の政策を公の場で次々と論破。世論に鳩山待望論が芽生え、党内抗争でも鳩山派が台頭し始める。1952年8月、池田の提案により衆議院の抜き打ち解散が行われる。鳩山派への不意打ちとして強行されたこの解散総選挙は、期間中に石橋と河野一郎を除名したことが逆効果となって鳩山派が続々当選し、政局のキャスティングボートを完全に握られる結果に終わった。国民からの不人気が決定的となった内閣のさらなる支持率低下を防ぐため池田は、自ら蔵相の座を下り専任通産大臣となる。しかし中小企業発言を蒸し返された時の問題発言で国会が紛糾した結果、2021年現在も史上唯一となる、国務大臣の不信任決議可決という事態を招いてしまう。一時はショックで自宅にひきこもる池田だったが、大蔵官僚下村治から手渡された論文の経済予測に大きな感銘を受けて一転立ち直り、漠然とした願望ではなく明確な野心として、総理大臣を目指す決意を固める。
1953年、吉田首相の国会答弁での一言がバカヤロー解散を引き起こし、鳩山派は分自由党を設立し自由党を割って独立。分自由党は解散総選挙に勝てなかったが自由党も議席を大きく失い、かろうじて首班指名を受けられる程度の少数与党に転落してしまう。11月、渡米した池田が1ヶ月間に亘るアメリカとのMSA協定締結交渉をまとめている間に、自由党と分自由党は連立し鳩山らは自由党に復帰、議席を大きく取り戻す。しかし翌1954年、造船疑獄で佐藤の政治生命を守るため指揮権を発動したことにより内閣支持率が急落、さらに鳩山が反吉田勢力を結集させて日本民主党を作り改めて独立したことで、内閣不信任が避けられない情勢となる。池田の涙の説得により吉田は解散総選挙を断念し、内閣総辞職を決断。吉田学校設立から7年、日本の独立発展を推し進めた吉田茂政権はついにその幕を下ろした。
1954年12月。新しく誕生した鳩山政権に、吉田学校の居場所はなかった。再び世界に激動の萌芽が始まった1955年、池田は捲土重来を初日の出に固く誓う。
(以上、「第二章」まで)
登場人物
吉田学校
池田 勇人(いけだ はやと)
主人公。吉田茂の勧誘を受け大蔵次官から政治家に転身、衆議院選に初当選した直後に第3次吉田内閣で大蔵大臣に任命され後に通産大臣も兼務、サンフランシスコ講和条約の締結交渉にも大きな役割を担う。
広島県の造り酒屋の出身で広島弁を喋る。酒豪。官僚時代は「数字の鬼」「税の鬼」などと呼ばれ、片山内閣では大蔵省のトップとして佐藤と共に次官会議を取りまとめるなど非常に高い実務能力を発揮していた。かつて大病を患い、5年間もの過酷な療養生活の間に前妻を亡くし大蔵省を一度辞職した経験があり、それによって叩かれてもすぐ立ち直る強靭な精神力が養われたが、豪胆な性格のために放言が多く、財務政策の責任者であることも重なって敵が非常に多い。特に放言は各方面からの多大な非難の的となることがままあり、「中小企業発言」にまつわる1952年の国会答弁は、国務大臣の不信任決議可決という前代未聞の事態を引き起こしている。
吉田 茂(よしだ しげる)
第45代内閣総理大臣。首相として講和条約を早期に結びGHQによる占領を終了させようとしていたが、芦田の離党により第23回衆議院議員総選挙に敗れて退陣に追い込まれ、再起のために若手官僚を集めて吉田学校を作る。昭電疑獄、山崎首班工作事件を経て第48代として再び総理大臣に就任、内政政策を進める傍らで講和も推進し、サンフランシスコ講和条約締結と日米安保条約締結を実現させた。
初登場時は日本自由党総裁。その後の党再編によって生まれた民主自由党、自由党でも総裁を務める。戦前からの付き合いである白洲と、娘婿の麻生太賀吉を側近としている。
講和締結後も首相を続けていたが、長期政権となり政治方針が貴族的などの理由から支持率は低下、バカヤロー解散から造船疑獄、日本民主党設立と続く一連の潮流に抗しきれず、1954年に政権から退いた。
佐藤 栄作(さとう えいさく)
池田の高校時代からの旧友。運輸省次官として大蔵次官の池田と共に活躍し、共に吉田の勧誘を受け政治家に転身する。下戸。難局において過激・苛烈な一面を見せることがある。
一年生議員にして自由党幹事長に抜擢され、学校で池田に次ぐ活躍を見せていたが、実兄・岸信介がA級戦犯として訴追されていたため、占領下では大臣職から遠ざけられていた。幹事長を退いた後、当時閣内での地位が高くなかった郵政大臣に就任する。
その後再び党幹事長となり、抜き打ち解散、バカヤロー解散と立て続けに起こった解散総選挙の資金集めに奔走、党所属議員を増やすため岸を入党させるなど辣腕を振るった。しかし造船疑獄の中心人物となったことで結果として吉田政権に大きな打撃を与えてしまい、さらに自ら党に引き入れた岸も日本民主党設立に加わってしまう。
田中 角栄(たなか かくえい)
大平 正芳(おおひら まさよし)
宮澤 喜一(みやざわ きいち)
鳩山派
鳩山 一郎(はとやま いちろう)
元・日本自由党総裁。GHQによる公職追放で政界から退いており、日本独立に伴って自由党に復帰した。脳溢血の後遺症のため歩行が困難で、普段は車椅子に乗っている。
追放の時に吉田に党首を譲る条件のひとつとして「復帰の暁には党首の座を明け渡す」という密約を交わしていたが、即時の再軍備と憲法改正を主張したため今の情勢が見えていないと吉田が禅譲を拒否。鳩山派のリーダーとして吉田学校との政局に臨み、最終的に日本民主党党首として吉田内閣を倒閣に追い込んだ後、第52代総理大臣となった。
作中では元代議士でありながら選挙の仕組みに疎いところや、吉田を心配するふりをして河野の取った行動を「(約定を破った)吉田のせいだ」と伝えるなど、世間知らずでヤンデレなキャラクターとされている。
石橋 湛山(いしばし たんざん)
三木 武吉(みき ぶきち)
自由党系政治家
岸 信介(きし のぶすけ)
松野 鶴平(まつの つるへい)
大野 伴睦(おおの ばんぼく)
山崎 猛(やまざき たけし)
広川 弘禅(ひろかわ こうぜん)
その他政界
芦田 均(あしだ ひとし)
片山 哲(かたやま てつ)
浅沼 稲次郎(あさぬま いねじろう)
三木 武夫(みき たけお)
大麻 唯男(おおあさ ただお)
幣原 喜重郎(しではら きじゅうろう)
財界
GHQ・アメリカ
ダグラス・マッカーサー
ウィリアム・マーカット
チャールズ・L・ケーディス
ジョゼフ・ドッジ
カール・シャウプ
書誌情報
- 大和田秀樹 『疾風の勇人』 講談社〈モーニングKC〉、全7巻
- 2016年5月23日発売、ISBN 978-4-06-388599-6
- 2016年8月23日発売、ISBN 978-4-06-388633-7
- 2016年11月22日発売、ISBN 978-4-06-388664-1
- 2017年1月23日発売、ISBN 978-4-06-388684-9
- 2017年4月21日発売、ISBN 978-4-06-388715-0
- 2017年7月21日発売、ISBN 978-4-06-510046-2
- 2017年8月23日発売、ISBN 978-4-06-510124-7
角栄に花束を
大和田は本作の連載終了後、田中角栄を主人公にした『角栄に花束を』を『ヤングチャンピオン』(秋田書店)にて2019年から連載しており、田中は本作のキャラクターが(主人公寄りに若干の修正はされているが)そのまま流用され、本作に対する一種のスピンオフとなっている。本作より時代をさかのぼって、1934年から田中の生涯を追っているが、衆議院議員初当選以後は、池田勇人、吉田茂、大平正芳、佐藤栄作なども本作そのままのキャラクターで登場し、本作をなぞりながらも別の角度から戦後政界史を描いている。
- 大和田秀樹『角栄に花束を』秋田書店〈ヤングチャンピオンコミックス〉、既刊8巻(2023年2月20日現在)
補足
- 第1話では「この作品はフィクションです。」という注意書きが書かれていたが、のちに「この作品は史実をもとにしたフィクションです」に変更された。