西部戦線異状なし
題材:第一次世界大戦,
以下はWikipediaより引用
要約
『西部戦線異状なし』(せいぶせんせんいじょうなし、原題(ドイツ語): Im Westen nichts Neues、英題: All Quiet on the Western Front)は、1928年連載のエーリヒ・マリア・レマルクによるドイツの小説。第一次世界大戦の西部戦線を、ドイツ軍の志願兵パウル・ボイメルの視点で描く戦争文学である。1928年11月から12月にかけてベルリンの高級新聞・フォシッシェ・ツァイトゥング(ドイツ語版)紙で連載された連載小説で、翌年1929年1月に初出版された。
日本では主に、秦豊吉による日本語訳が中央公論社より1929年に初出版、その普及版が1930年8月に出版、新潮社の新潮文庫より1955年に出版、その改版が2007年1月に出版された。また、舟木重信による日本語訳が大學書林より1930年7月に出版。蕗沢忠枝による日本語訳が共和出版社により1952年に出版された。
概要
第一次世界大戦の西部戦線において、ドイツ軍の志願兵パウル・ボイメルが戦場での死と痛み、不安、恐怖、理不尽、怒り、そして虚しさを味わい、やがて戦死するまでを描いた物語である。
物語はパウルの視点を通じて戦場後方での休息、新兵訓練、野戦病院、行軍、砲爆撃、塹壕戦、突撃、女性との逢瀬、負傷、戦友の死、物資調達、帰郷、斥候任務と様々なエピソードを時系列が明確でない形で述べられていく。パウルの体の外で起きる戦場での日常や戦闘の描写と、パウルの内面での思索とが対比的に描かれていて、作者をはじめとする戦場の兵士が負った心の傷の深さを際立たせている。題名の由来は最後に明かされ、主人公パウル・ボイメルが戦死した日の司令部報告に「西部戦線異状なし、報告すべき件なし」と記載される。何より苦悩と葛藤を経た一兵士の物語は兵卒の死など記録に残らず大した問題にならないという、戦争の持つ非人間性を風刺した結末となっている。
軍事的な考証も概ね正確に描かれ、毒ガスへの冷静な対処方法や、砲撃時に音の大小でその飛距離や砲弾の種類を見分ける方法、白兵戦では敵を突き刺すと抜き辛い銃剣よりも磨いた陣地構築用のスコップの方が役立つこと、峰に鋸刃が付いた銃剣は使いづらい上に持ち主が敵に捕まったら惨殺されること、戦闘機よりも偵察機の方が砲撃を予告する存在として忌み嫌われるなど、当時の前線の実相が活写されている。
戦場での兵士達が見せる素朴な愛国心や勇気、友情、義務感なども描かれている。しかしそれ以上に戦争という行為の凄惨さと理不尽さ、そして兵士達の人生や人間性が破壊される姿が生々しく描かれており、終盤の主人公が敵兵の死体と向き合いながら述懐するシーンなどから、反戦文学とも解釈できる。それ故にナチ党政権下では所有が制限され、レマルクもユダヤ系、非国民、フランスのスパイなどと言われのない迫害を受け、最終的に国外亡命を強いられた。
なおレマルクは1931年に本作の続編とも言える、第一次世界大戦の塹壕戦からの復員兵を描いた小説『還り行く道(ドイツ語版)』を出版している。
登場人物
人名の表記は1955年に新潮文庫から出版された秦豊吉訳に準拠する。
パウル・ボイメル (Paul Bäumer)
物語の主人公。ブレーメル出身で年齢は18歳。ギムナジウムでアビトゥーアを目指す少年だったが、担任教師カントレックに言いくるめられ、級友のクロップやミュッレルと共に軍への志願入隊を強制される。大学を控えているが実家は別段裕福という訳ではなく、母が癌で倒れた事もあって父親は製本の仕事を夜通し続けて家族を支えている。戦争前は詩や戯曲を作るのが趣味で、自宅には蔵書の山やピアノがあり、机の中には書きかけの原稿もあった。
部隊の中では誰とでも仲が良く戦友愛も強いが、特に人生経験も豊富なカチンスキーとは行動を共にする事が多く、父親代わりとも言うべき深い親愛を感じている。また物語前半では気弱なケムメリヒや少年の新兵達を放っておけず、助けようとする事も多かった。他にカントレックにヒムメルストースと立て続けに小柄な卑劣漢と出会った為に「小男は性格が悪い」という偏見を抱いているが、ヒムメルストースとは後に戦場で和解している。
戦場の恐怖に立ち向かい、進んで戦友を助ける勇敢で責任感の強い人物だが、物語が進むに連れて次第に人間性を失い、人の死や人生を何とも思わなくなっていく。後方での休暇時に芸術どころか人生にすら何の価値も感じられなくなっている自分に気付いてからは、日常と切り離されてしまった自分の人生に絶望感を覚える様になる。戦場に戻ってからも、仮に生き残ったとして何の為に生きるのかという希望が全く抱けずにいる。
ミュッレル (Müller)
パウルのギムナジウムでの級友。出征したクラスメートの中では一番の勉強家で、士官編入を夢見て戦場でも勉強に励んでいる。よく言えば合理的、悪く言えば無神経で同じ級友のケムメリヒが瀕死の時には無用となる革の長靴をどうにか手に入れようとしていた。
薄情者という訳ではなく、物事を切り分けて考える事ができるというだけできちんと人並みの友情や優しさは持ち合わせている。パウルの協力でケムメリヒから念願の立派な長靴を譲られた際にも、自分が死んだらパウルに譲ると約束していた。
劣勢になっていく戦争後半、白兵戦で至近距離から敵兵に照明弾を胸部に打ち込まれ、三十分以上も苦しみ抜いた末に絶命した。ケムメリヒの靴はパウルが譲り受け、パウルが死ねばチャーデンが受け継ぐ事になった。
フランツ・ケムメリヒ (Franz Kemmerich)
パウルのギムナジウムでの級友。小柄で童顔、かつ白く綺麗な肌を持っており、少女のような雰囲気を漂わせている。体操の成績は優等で文才にも恵まれるなど、才色兼備な少年。将来は山林保護の仕事を志望している。
戦争前はカントレック自慢の生徒として可愛がられていたが、戦場に志願する様に仕向けられた事に違いはなく、物語冒頭で既に片足切断の重症を負って野戦病院に入院している。感染病で日に日に衰弱し、かつての美しさは失われて骨と皮の風貌に痩せ衰える。
出征前にケムメリヒの母から後事を頼まれていたパウルは最期を見届け、その痛ましい死にも深く悲しんだが、戦場で過ごす中で徐々にその感傷は薄れていった。死の間際に自分の靴を欲しがっていたミュッレルに靴を渡す様に遺言した。
ヨーゼフ・ベーム (Josef Behm)
パウルのギムナジウムでの級友。太っていて陽気な性格。カントレックが教え子たちに出征を促した際、戦死への恐怖という率直な理由から生徒の中で最も強く異を唱えた。結局はカントレックに説得されて志願し、皮肉にも級友で最初に戦死してしまう。
死に方も悲惨であり、眼に被弾して地に倒れ、しかも仲間からは死んだと思われて戦場に放置され、それから長時間悶え苦しんだ末に声に気付いた敵兵に見つかって射殺された。冒頭の時点で既に戦死しており、回想のみで登場する。
ミッテルステットはカントレックがいなければ「ベームは少なくとも召集されるまでの3ヶ月間は長生きできた」と憤っていた。映画版では現実にパウルとともに奮戦する様子が映される。
ミッテルステット (Mittelstädt)
スタニスラウス・カチンスキー (Stanislaus Katczinsky)
歩兵中隊の古参兵。年齢は四十代で、故郷には妻と息子がいる。本業は靴職人。既に何年も戦場を生き抜いていて、戦闘に関する経験はもちろん、食糧徴発や寝床探しなど様々な軍隊生活の知恵に通じている。
取り分け物資調達の手際は卓越したものがあり、どんな所でも必ず魔法の様に食料を調達してくると言われている。また仕事柄、手先が器用で大抵の手仕事は巧みにこなす。若い新兵たちへの面倒見もよく、中隊の面々からは何かと頼りにされている。
パウルからすれば親子程の年齢にあたり、年相応の心細さを隠さずに話せる数少ない相手でもある。物語終盤、物資運搬中に脛を撃たれて重傷を負う。パウルが銃火の中を担いで野戦病院に運ぶが、辿り着いた時は砲弾の破片が頭部に当たって死んでいた。
ヒムメルストース (Himmelstoss)
パウルたちの新兵教育時に配属された第9班の班長。本職は郵便屋。12年間の軍歴を重ねて今では下士官になっており、新兵達を必要以上に鍛えて叩き上げようとする横暴な小男。反抗的だったパウルについては特に苛め抜いた事から酷く憎まれているが、同時にパウルは権力を持てば皆彼の様になるし、逆に郵便局員だった時は奴もあんな性格ではなかっただろうと呟いている。また厳しく訓練するのは出来る限り後方で戦争をやり過ごす為に勤務評価を上げようと必死になっているからでもある。
パウルたちが出征した翌年、入営した志願兵の一人がプロイセン州知事の令息と知らずにいつものごとく厳しく扱い、その影響で前線送りにされてしまい、よりにもよってパウル達の中隊に配属される。クロップやチャーデンからは報復とばかりに仕返しされ、ベルチンクからも過去の行いを詰問されて肩身の狭い思いをする羽目になる上、実戦では砲撃に怯えて新兵の様に狼狽するなど臆病な本性まで露呈してしまう。しかし見かねたパウルから叱咤された事で勇気を取り戻して前線に飛び込み、退却時には戦死したウェストフースの遺体を担いで戻るという勇敢な行動を見せて中隊での評判を回復させた。戦いの後、中隊の面々に歩み寄る姿勢を見せ、配給食糧を多めに渡すなどの配慮を見せた事もあり、最終的にはパウルらと和解した。
映画版ではウェストフースを連れ帰る場面はなく、最後まで憎まれ役扱いである。また狐色の頬髯ではなく口鬚を生やす男と容姿の設定も変更されている。
カントレック (Kantorek)
パウルが在籍するギムナジウムに務める教師。いつも灰色のフロックコートを着て眼鏡を掛けている初老の小男。パウルのクラスの担任も務めており、パウル曰く「ドブネズミ」の様な男。見た目だけではなく性格も鼠の様に狡賢い。
「なっちょらんぞ」といった嫌味な言い回しが口癖で、生徒達を次々と質問攻め(「大胆なるカール王の子供は何人なりや」等々)にしては、回答できなければ「お前さんには真面目ちゅうものが欠けてますぞ」などと論って黙らせてしまう。また大戦が始まると愛国者を自称して軍国主義・帝国主義を賛美し、いかに「帝国と皇帝陛下が偉大で、いかに戦争に価値があるか」と朗々と語り、詭弁を弄して義憤や恐怖を生徒達で扇動し、自らが担任するクラスから次々と軍へ志願させている。だが生徒を戦場に追い込みながら、決して自分は戦場に出ようとはしない。ヒムメルストースの様に手を挙げたり声を荒らげる事こそないが、立場が下の人間を従える為の卑劣さや陰湿さでは遥かに上回っている。
物語後半、兵力不足から一転して根こそぎ動員の対象になってしまい、国民兵として体格に合わない不恰好な軍服を着せられて訓練場に召集され、他の予備役兵や徴兵不適合者達と訓練させられる立場になってしまう。どうにか苦境を抜け出そうと訓練教官を務める元生徒のミッテルステットに媚を売るが、素気無く「国民兵カントレック」と呼び捨てにされ、徹底的に苛め抜かれている。
映画版では徴兵もされず、懲らしめられる場面も描かれないなどヒムメルストース同様最後まで徹底した憎まれ役である。噂では相変わらず生徒達に「いかにドイツ帝国が素晴らしいか、いかに参戦が栄誉あることか」という胡散臭い長談義を垂れ流しているらしい。
ジェラール・デュヴァル (Gerard Duval)
映像化
1930年の映画
1930年にアメリカでリュー・エアーズ主演、ルイス・マイルストン監督で映画化された。1930年第3回アカデミー賞作品賞、監督賞受賞。
1979年の映画
1979年にアメリカのテレビ局CBS放送によりテレビ映画としてカラー映像でリメイクされ、第37回ゴールデングローブ賞(英語版)を受賞し、プライムタイム・エミー賞 作品賞 (テレビ映画部門)にノミネートされた。
2022年の映画
ドイツ語で製作され、2022年10月28日にNetflixにより全世界独占配信された。監督はエドワード・ベルガー。
日本語訳
- 秦豊吉訳、中央公論社、1929年。新潮文庫、1955年、新版2007年
- 蕗沢忠枝訳、共和出版社、1952年