高安犬物語
以下はWikipediaより引用
要約
『高安犬物語』(こうやすいぬものがたり)は、1954年に発表された戸川幸夫による日本の短編小説。戸川幸夫の第一作であり、代表作にも挙げられる。第32回直木賞受賞作。
初出は『大衆文芸』1954年(昭和29年)12月号。直木賞受賞により『オール讀物』1955年4月号に再録。
戸川自身の旧制山形高校時代の実体験をもとに、一部フィクションを交えて描いた半自伝的小説である。戸川によれば、長谷川伸が主催する新鷹会に入門してから間もなく、長谷川から、「新鷹会賞」を制定し年間の最優秀作に与えることにしたので、門下生で割当で何かを書いてくるように言われ、執筆した作品であったという。
東京書籍の小学校高学年の国語の教科書などでも紹介されている。
あらすじ
高安犬(こうやすいぬ)は山形県東置賜郡高畠町高安(こうやす)を中心に繁殖した中型の日本犬で、主に番犬や熊猟犬として使われていた。
昭和初期。古生物学に興味を持ち、山形高校の理科に進学した「私」は、絶滅した山犬(日本狼)に興味を持って調べているうちに、学友の尾関から日本犬のことを教えられ、次第に興味をそちらへと移していった。
あるとき、尾関は「私」と、日本犬の同好仲間であるパン屋の主人「木村屋」に、高安犬を探しに米沢に行こうと呼びかける。だが、当時すでに混血が進み、純血の高安犬は絶滅に瀕しており、探してもよぼよぼの老犬が2頭見つかっただけであった。尾関と木村屋は捜索を諦めたが、諦め続けずに探し続けた「私」は、和田村で、ついに1頭の高安犬を発見する。それは吉蔵という猟師の飼い犬で、名を「チン」といった。気難し屋の吉蔵は、「私」に全く取り合おうとしなかったが、「私」は熱心に吉蔵のもとに通いつめる。
やがてチンがポリップを発症したため、「私」は吉蔵を説得し、手術費用を出す代わり、木村屋がチンを引き取ることになった。だが、山形市に連れて来られたチンは間もなく隙を見て逃げ出し、和田村の吉蔵のもとに戻ってしまう。結局、手術は吉蔵を伴って行われたが、この手術を境にチンは「私」たちにもなつくようになり、結局、木村屋で飼われることになった。
冬のある日、チンを散歩させていた「私」は、東北闘犬界の横綱である土佐犬「頼光」と出くわす。まだ手術後の傷の癒えない体でありながら、頼光と対決し、ついに倒してしまう。春になってチンは、ダムに落ちた子供を救い出し、このニュースは新聞でも取り上げられた。
やがて「私」と尾関は卒業してそれぞれ東北帝大と北大に進学したため、チンとは離れ離れになってしまう。その年の2学期、チンはヒラリヤに倒れ死去する。「私」と木村屋は、最後の高安犬の姿を永久に残そうと、羽前長崎の剥製師に剥製作りを依頼するが、出来上がってきた剥製は無残な出来栄えで、とても後に残せるものではなかった。「私」と木村屋は、故郷の和田村にチンの剥製を葬ることを決意する。
主な登場人物
「私」(田沢)
尾関
木村屋
翻案作品
漫画
- 『高安犬物語』 - 古山春夫作画。「名犬なんでも入門」(小学館入門百科35、1981年)に掲載。
- 『高安犬物語』 - 新潮文庫「名作アニメシリーズ」(1987年)。下記『青春アニメ全集』のアニメ作品のコミカライズ。
アニメ
- 『高安犬物語』 - 『青春アニメ全集』(日本テレビ系列、1986年)