鵼の碑
舞台:栃木県,
以下はWikipediaより引用
要約
『鵼の碑』(ぬえのいしぶみ)は、京極夏彦による日本の推理小説。2023年9月14日発売。「百鬼夜行シリーズ」17年ぶりの書き下ろし長編。
過去作との繋がり
2006年『邪魅の雫』以来、シリーズ17年ぶりの書き下ろし長編となる。
2012年『百鬼夜行 陽』には、本作の前日譚にあたる短編「墓の火」「蛇帯」が収録されている。
2019年『今昔百鬼拾遺 鬼』には、本作の事件と同時期に起きた事件が描かれており、本作の事件への言及がある。
本作は「蛇」「虎」「貍」「猨」「鵺」の5パートからなり、各パートに過去作のエッセンスが割り振られている。また宮部みゆき曰く「百鬼夜行版アベンジャーズ」と言えるほどに過去作の登場人物が多く登場する。
「巷説百物語シリーズ」「書楼弔堂シリーズ」との繋がりを示唆する要素もある。
あらすじ
舞台は高度経済成長期前夜、昭和29年(1954年)2月の日光。劇作家はメイドから忌まわしい過去を告白される。探偵助手は失踪者の捜索を依頼される。刑事は消えた死体を追う。学僧は妖光に翻弄される。女が死者の声を聞く。公安が暗躍する。古書肆が古文書の鑑定に訪れる。
登場人物
語り手
久住 加壽夫(くずみ かずお)
御厨 冨美(みくりや ふみ)
「虎」の章の語り手。寒川薬局に勤務する薬剤師で、30歳前の戦争未亡人。住居は五反田。
生い立ちはかなり不幸で、継母に虐待されて家を追い出され、結婚して子供ができた途端に旦那は徴兵されて戦死、幼い我が子も東京大空襲で逃げ惑っている間に栄養失調で亡くしている。戦後、露頭に迷っていた所を秀巳に助けられ、彼の全面的な援助を受けて薬学の専門学校女子部に入学、昭和24年から始まった国家試験に合格して、久遠寺医院が廃業する直前の昭和27年から寒川薬局に勤めている。
生来、楽天的な性格で、怪しい予感に対して無頓着に振る舞う傾向がある。話下手で要点を要領良く他人に伝えることが苦手。結婚などの局面で真面目になれない性質で、秀巳から求婚を受けていたものの、返事を有耶無耶にしていた。
1月に失踪した秀巳から1箇月以上も何の連絡がないことから、黒川玉枝に紹介された薔薇十字探偵社へ雇い主の捜索を依頼。秀巳だけでなく、彼と縁のある笹村市雄もまた消息不明だと判明したことで、日光へ調査に赴く益田に同行することを決める。
木場 修太郎(きば しゅうたろう)
築山 公宣(つきやま こうせん)
「猨」の章の語り手。学僧を自称し、縁あって某寺院に拾われて宝物殿で学芸員紛いのことをしている。
信仰し、修行し、布教し、救済することを僧侶としての理想の在り方と考えており、短期間ではあるが延暦寺で修行した経験もあるが、実家の寺が経営破綻して廃寺になり、信仰では借財は返せず、社会と切れた真の意味での出家も出来ず、夢が潰えた時に挫折して真の意味での信仰を見失ってしまう。僧として修行し、教義も学んでいるが、寺を持たないために檀家と向き合ったことがなく、己の信仰が衆生を救う具体的なイメージをいまだ持ち得ていない。戦中は当たり障りのない善行の在り方や不殺生戒を説いたせいで、厭戦思想だと謂われて非国民と罵られたことがある。
中禅寺とは戦後に知り合い、当時教師だった彼に、東京で迷妄の徒に関わり難渋していたのを救われて以来の友人。
昨年より輪王寺に委託され、文化財保護法制定に端を発する山内整備で偶然護法天堂の裏手土中から発見された長持に入っていた、7つの倹飩箱に収められていた古文書と経典の整理と調査をしており、協力者として中禅寺と仁礼を呼び寄せる。ある日の仕事帰りに不審な行動をしている秀巳と出会い、旧尾巳村で行われていた研究に関する推論を聞く。
緑川 佳乃(みどりかわ かの)
「鵺」の章の語り手。地方の大学の医学部基礎医学科研究室に助手として勤務する医師。人間相手に命の遣り取りをして生殺与奪の権を握るのが嫌だと、臨床ではなく基礎医学を専門として研究に携わる。中禅寺・関口・榎木津は女学校時代の知人。雛人形のように華奢で綺麗な女性で、30代半ばながら小柄で顔の造りが稚く禿のように前髪を切り揃えているので少女のように見える。独身。
20年以上音信不通のままだった大叔父の猪史郎が昭和28年の夏に死亡し、無縁仏として処理される寸前で連絡を受ける。年度末の繁忙期を避けて遺骨を引き取りに日光を訪問、生前に大叔父が運営していた旧尾巳村の診療所を訪れる。その際に10年以上ぶりに関口と再会し、整理中だった当時のカルテから桜田家の診療記録と登和子の記憶に差異を認める。
シリーズレギュラー
関口 巽(せきぐち たつみ)
中禅寺 秋彦(ちゅうぜんじ あきひこ)
益田 龍一(ますだ りゅういち)
鳥口 守彦(とりぐち もりひこ)
榎木津 礼次郎(えのきづ れいじろう)
日光榎木津ホテル
榎木津 総一郎(えのきづ そういちろう)
桜田 登和子(さくらだ とわこ)
日光榎木津ホテルに勤めるメイド。昭和7年生まれの22歳。2人の父親と母親を亡くし、病気と痴呆を患う祖母は駅近くの小橋病院に入院中で、仕事のため2人の異父弟妹は遠縁の寛永堂に預けている。
一寸慎重過ぎるきらいがあって人より少し時間は掛かるが、仕事は丁寧。だが、重度の蛇恐怖症を患っており、にょろにょろしているものなら縄や紐でも凡て蛇に見えてしまうので、帯も締められず腰紐も結べない。そのために和装が出来ず、紐が少ない洋装で仕事が出来るメイドとして働いている。
以前は要領は悪いが明るく生真面目そうな印象だったが、蛇恐怖症になった理由を知ろうと記憶を辿ったところ、倫子が持っていた龍脳の匂い袋の記憶が契機となって「帯だと思って蛇を摑んでしまったような記憶」を取り戻し、6歳の時に首を吊って死んだと思い込んでいた実父を実際は母親が絞殺していて、それを自分がを手伝ったことまで思い出す。16年間も犯罪行為を忘れて生きて来たことへの罪悪感から明朗さを失っている。
奈美木 セツ(なみき セツ)
寒川薬局
寒川 秀巳(さむかわ ひでみ)
可児 卓男(かに たくお)
古文書鑑定の関係者
仁礼 将雄(にれ まさお)
20年前の事件関係者
笹村 市雄(ささむら いちお)
下谷在住の仏師。近所でも愛想の良い好人物と評判。能の小面のような顔立ちで、白木綿を宝冠巻きにして、背中に梵字を一文字染め付けた白い羽織を着ている。
20年前に両親を殺害され、生まれたばかりの妹と共に生家の多西村から日光の桐山老人の許へと引き取られ、電気も電話も通っていないような山中で育つ。戦後、仏師になってからも山で暮らしながら月に一度ほど寛永堂へと通う暮らしを続けていたが、3年ばかり前に下谷の一軒家に引っ越してきた。
仏壇に収める程度の大きさから、より小さい念持仏など、小さな仏像の作製を得意としている。腕も良くて仕事も順調だったようで、僧侶や老人が下谷へ引っ切りなしに依頼に来ていて、家にいる限りは鑿の音がしない日はなかったと云う。寛永堂の伝手で日光榎木津ホテルとも取引きがあり、日光三山に因んだ阿弥陀如来、馬頭観音、千手観音を納品しており、その仕事が評価されて憾満ヶ淵に因んだ不動明王像を製作中。平均すると2箇月に一度、仏像を1体仕上げる度に、3日から1週間ほど家を空け、勉強も兼ねて関東近郊の神社仏閣を廻っていた。また、年に数回は日光を訪れ、田貫屋に連泊して山を巡っている。
両親の死に関わっている可能性があった寒川英輔の墓参りをした際に秀巳と出会う。昭和28年9月から日光の方へ旅行しているらしく、年が明けてもまだ下谷には戻っていない。秀巳の失踪や20年前の遺体消失に関する情報を知っている可能性があり、益田と木場が探している。
寒川 英輔(さむかわ えいすけ)
寒川秀巳の父で植物学者。故人。専門は植物病理学で、帝國大學農科大學の植物病理学講座で白井光太郎から指導を受け、主に土壌や水の成分、細菌、放射線といった環境が植物に与える影響について研究していた。大学には勤務していなかったが、代代の資産家だったことに加え、人徳があり学績への評価も高かったために多くの者から資金提供を受けており、就労することなく研究が出来ていた。在野の碩学として学会誌などには能く論文発表されていたが、名を成す前に死亡した。
20年前、日光一帯が国立公園に指定される際の事前調査団の一員として日光に派遣されていたが、昭和9年6月25日の午前中に日光山中で暮らす者でも入らない魔所の崖から転落死。他に外傷はなく事故そのものには不審点はなかったが、同日の正午に通報があった後で何者かが一旦遺体を持ち出し、事故から1日近く経った26日の午前4時30分頃、何者かの手で事故現場から30分も離れていない村外れの診療所に遺体が運び込まれた。
笹村 伴輔(ささむら ともすけ)
桐山 勘作(きりやま かんさく)
日光山中で暮らす日光派のマタギ。20年前に日光山國立公園選定準備調査団の案内人を務めた。生前の笹村夫妻から子供達を預かり、彼らが成長するまで育てていた。また、診療を受けたことはないが、猪史郎とは10年ほど前から交友があり、診療所を訪れた佳乃を見かけ、彼を偲んで声を掛ける。
20年前の事件や寒川秀巳の失踪に関わる人物として、益田と木場が所在を探している。
その他日光の住民
田端 勲(たばた いさお)
登和子の実父で妙子の最初の夫。漆塗り職人で、妻の父の孝治(こうじ)が師匠だった。故人。昭和13年3月6日に納屋で首を吊って自殺したとされるが、登和子が思い出した記憶によれば、妻と娘の手で締め殺されたと云う。
初めのうちは真面目だったが、仕事が雑で腕は悪かったので寛永堂との取引きを打ち切られ、開戦の10年ほど前から徐々に仕事が減っていたために貧乏で、死ぬ1、2年前からは全く仕事を為ていなかった。喰うに困って世を拗ねて、浮気して女に溺れたとされ、登和子の記憶では、娘が愛人の存在を妻に話してしまったことで、仕事もせずに酒ばかり呑むようになるばかりか娘に暴力を振るうようになり、怒った妻が娘に手伝わせて酔ったところを博多帯で締め殺したとされる。
桜田 妙子(さくらだ たえこ)
徳山 丑松(とくやま うしまつ)
田上 祥治(たのうえ しょうじ)
小峯 源助(こみね げんすけ)
民宿「小峯荘」の主人。70歳くらい。大津から代々百姓をしていた小峯家に婿養子に入るが、子供はできないまま30年ほど前に妻とは死別。戦前から無駄に広い家に工事人や行商人を偶に泊めており、元々畠仕事が嫌で百姓が苦手だったこともあって、5、6年前に旅館業法が出来たのを契機に簡易宿所として申請した。若い頃は酒飲みのろくでなしで、鼻抓み者たちと連んでいたが、後述の契機で生活を改める。
信心は薄く、妻の墓参りにも行かなければ、東照宮へは50年間で2、3回しか参拝していない。庚申講に馴染みはあるが、日吉大社の氏子と云う訳でもない。しかし、以前目撃した光る猿を山王権現の神使だと信じ込み、以降猿を追い払うことが出来なくなり、庭も台所も荒らされているが、玄関の下駄箱の上には三猿の置物を置いている。神使の猿を撃ち殺した嘉助が数箇月もせず死亡したのを教訓に自堕落な生活を改め、部屋の改装や料理の勉強などをしてみたが、宣伝をしていないので客はあまり来ない。
石山 嘉助(いしやま かすけ)
浅田 兵吉(あさだ へいきち)
緑川 猪史郎(みどりかわ いしろう)
佳乃の大叔父で、旧尾巳村の山中にある診療所を営んでいた町医者。故人。出身は青森県。生涯独身で、兄も甥も早くに亡くしているため、家族や血縁は佳乃だけとなっていた。佳乃の幼い頃は年に数度顔を見せていたが、20年以上も音信不通になっていた。
早くに故郷を出て、元々は理化学研究所に在籍していたが、職場の人間が進めている研究が日本や世界のためにならないと学問的な見解から相容れず、研究所を辞め、立ち退いた腕の悪い野鍛冶の小屋を流用して診療所を営んでいた。一種の裏切り行為だったために元の場所には戻れず、他の道も閉ざされてしまい、戦中は番人のように診療所で何かを守っていたが、戦後は何の意味もないものになったため惰性で診療所に留まっていた。昭和28年の夏前に死去するも、佳乃に情報が伝わったのは秋になってからだった。
警察関係者
長門 五十次(ながと いそじ)
伊庭 銀四郎(いば ぎんしろう)
近野 諭(ちかの さとし)
警視庁麻布署刑事課捜査一係の係長。五分刈りの胡麻塩頭で、50歳は超えているが、頑丈そうで図体が大きく、鍛えているので若く見え、柔道や空手の有段者なので見た目通りに強い。若い頃は相当な跳ねっ返りだったらしく、ただの叩き上げではない苦労人だとされている。強盗犯一筋。20数年前は芝愛宕署に配属されていた。
昭和9年の芝公園の事件で一番最初に現着して本庁を呼ぶよう指示した警察官。死体が消えた後も独自に徹底的に喰い付き、消えた死体のうち2体は多西村で焼死体として発見された笹村夫妻のものではないかと推論を立てるが、事件に深入りしたせいで高尾山の方の駐在所に4年間も左遷された。その縁で長門とは毎年年賀状を遣り取りする程度の仲が続いている。
木場のことは買っていて、暴走癖に対して小言は云うものの、解雇せずほぼ野放しにしている。長門から聞いた20年前の芝公園の事件について聞きに来た木場に、特高警察の命令で処分される前に鑑識からくすねていた現場写真を渡し、彼に強引に有給休暇を取らせ、笹村夫妻の遺児が引き取られたと云う日光へ行って捜査するよう命令する。
植野(うえの)
木暮 元太郎(こぐれ げんたろう)
栃木県警察日光署の元刑事。明治生まれで70歳過ぎの強面の老人で、短く刈り込まれた頭髪は真っ白だが、太い眉毛は黒黒としていて、声も低く嗄れているものの張りがある。小来川村在住。
自宅には祝日でもないのに日の丸を掲げ、門柱の代わりに立てられた石の柱には八綋爲宇と彫り付けられているので、周囲からは右翼思想の持ち主や国粋主義者と思われているが、戦前は兎も角、現在は戦争行為には反対の立場を取っていて、祖父の代から筋金入りの尊皇攘夷主義者だと自認している。
20年前に寒川英輔の死亡事故を扱った警察官。昭和29年1月4日に秀巳の訪問を受け、遺体を通報から1日後に診療所へ運んだのが特高警察だと疑っていること、昭和8年から旧尾巳村で理化学研究所が原子力関連の研究を行っていた可能性があることなどを語り、後日自宅を訪問して来た益田と御厨にも同様の話をする。
用語
寒川薬局(さむかわやっきょく)
一白新報(いっぱくしんぽう)
政権に批判的な記事を載せていたせいで特高警察から目を付けられていたらしい。20年前には理化学研究所に纏わる記事を書こうとしていた。
日光榎木津ホテル(にっこうえのきづホテル)
小峯荘(こみねそう)
田貫屋(たぬきや)
寛永堂(かんえいどう)
尾巳村(おみむら)
転出があったエリアでは緑川猪史郎が営む診療所のみが機能していたが、昭和28年夏に医師が死亡して閉鎖された。廃村になった当初は何十人もの人足が来て、寺のような大きな屋敷を拠点に作業を行っていたが、実際にどのような事業が行われていたかは近隣住民でも知らなかった。
芝公園の死体消失事件
事件に関わった近野は遺体を持ち去ったのは特高警察だと考えており、第一発見者のバタ屋が腰を抜かして喚き散らし野次馬が集まったせいですぐに死体を運び出せなかったと推測している。事件関係者は大戦を経てほとんど死亡したか雲隠れしており、当事者で所在が判っているのは長門と近野程度。
多西村の強盗放火殺人
刊行背景
「百鬼夜行シリーズ」は、1994年の第一作『姑獲鳥の夏』から1998年『塗仏の宴 宴の始末』まで、約3ヶ月間隔で刊行していた。しかし作者の多忙などにより刊行ペースが延び始め、『鵼の碑』は2006年『邪魅の雫』巻末でタイトルが発表されて以来、17年間にわたり発売日未定となっていた。
発売日未定の間も、作者は本作の執筆と構想を続けていた。2023年5月、4年間務めた日本推理作家協会代表理事を退任したのを機に、約3ヶ月本腰を入れて執筆。同年7月31日、発売日が発表された。2023年は作者デビュー30周年(すなわち『姑獲鳥の夏』30周年)でもあった。
発売日が発表されると、SNS等でファンから驚きと喜びの声があがった。過去作と同様、頁数の多さによる本の厚さ、重さも話題になった。紀伊國屋書店全店では本作のためのブックカバーが用意された。広告として、東京メトロやJR西日本では車内広告、朝日新聞では全面広告が掲載された。
2008年には、版元の講談社での新企画開始に伴い、『鵼の碑』から版元を別の出版社へ移籍すること、講談社ノベルス版の増刷を中止することなどが告知されていた。しかし最終的に、講談社ノベルス版と同社単行本の同時発売となった。
書誌情報
- 単行本版: 講談社、2023年9月14日発売、ISBN 9784065330722
- 新書版: 講談社〈講談社ノベルス〉、2023年9月14日発売、ISBN 9784065150450
- 電子書籍版: 講談社〈電子百鬼夜行〉、2023年9月14日発売、ASIN B0CG5853SR
参考文献
- 朝宮運河「京極夏彦ロングインタビュー」『ダ・ヴィンチ 2023年10月号』、KADOKAWA、2023a。https://ddnavi.com/interview/1175766/a/。
- 朝宮運河「スペシャル対談1 京極夏彦×宮部みゆき」『ダ・ヴィンチ 2023年10月号』、KADOKAWA、2023b。https://ddnavi.com/interview/1176862/a/。